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東海学生演芸大賞を繋ぐコンテンツへ#4 〜大会発足とその裏側〜
名古屋にある同朋大学でコペルという
お笑いサークルに所属しているニコラシカの関瞳弥と言います。
2023年11月、
ある男の一言で私はこの大会に携わることになった。
『学生芸人の大会をやる。』
そう私に放ったのは一つ上の先輩、ワカドリの上野おつりである。当時、彼とはある一つのユニットライブで共演しており、半年くらいの付き合いであったため、それほど親しい仲ではなかった。そんな上野の口から『学生芸人の大会をやる。』という言葉が出た時、私の中で消えかけていたものが再び燃え始めた。
私は、その日家に帰ってすぐに上野にLINEで『学生賞レース、僕も色々と手伝いたいです』とメッセージを送った。返事は『ありがとう』と、すんなり受け入れてくれた。先程も言ったように、私はこの当時上野のそれほど親しい仲ではなかった。親しくもない相手と一つの事をやり遂げるのはいくらなんでも厳しい。相手の事をよく知らない状態で共に大会を作り上げていく事や大きなリスクがあるということも勿論分かっていた。
それでも私は、この大会に携わりたかった。
その理由は、私の夢であったから。
私は高校1年生の時に、今の相方とお笑いライブに出演するようになった。高校生芸人なんて名古屋には数少ないものであり、周りには私たちの10個や20個も上の先輩ばかりだった。あの時の、居づらさみたいな感覚は今でも忘れない。それから時を経て、高校2年の時に、事務所に所属する事になった。その事務所にはお笑い芸人が私たちのコンビしか居らず、事務所側のなんとかしてあげたいという気持ちが私には伝わっていた。
そんなある日、事務所の社長と私と相方の3人でどのような活動をしていくかの話し合いがあった。社長さんは、まだ高校生の私たち2人に、「将来やってみたい事。とにかくやってみたい事を書けるだけ書きなさい。」と言った。私は1人のお笑い芸人として成し遂げたい事をノートに書ける分だけ書いた。
そのうちの一つに、
「全国の高校生が戦う、
高校野球のような、
漫才、コント、落語など、
全てのお笑いの頂点を決める
大会を創設したい。」
当時は叶わないと思っていた夢を
私は、思いっきり書いた。
上野の「学生芸人の大会をやる。」と聞いたとき、
まず初めに私の頭を過ったのは、この高校2年の時に書いた、私自身の大きな夢であった。
2023年、本格的にその賞レースに向けての準備が始まった。上野ともいつから仲が良いか分からないくらい仲良くなった。私と上野は毎日のようにLINEでやり取りをしながら、色んな事を決めていった。
大会の名前を決める日には何個か案を出し合い、それをアルデバランの山岸さんに通してという作業を続けた。中々良い大会名が決まらない中、山岸さんから上野に大会名の案が送られてきた。
「東海学生演芸大賞」
私と上野は、迷いなくその名前を大会の名前にした。
これがこの大会の全ての始まりである。
今年は第2回大会を盛り上げるべく、
クラウドファンディングも始めました。
皆さんで、この「東海学生演芸大賞」を
何年も続く大会にしていきたいです。
ご協力宜しくお願いします。
https://camp-fire.jp/projects/823447/view
東海学生演芸大賞を繋ぐコンテンツへ#5
〜大会発足とその裏側〜
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