棚橋選手の引退に思うこと

週刊男色ディーノです。
宣言通り、試合があった月曜日は更新できませんでした。
そして、明けて火曜日も難しそうです。
ということで火曜深夜、下手すりゃ水曜早朝になりそうですね。

というのも、考えがまとまらないのですよ。

今週プロレス界に起こった出来事と言えば、

ザックセイバーJr.選手がIWGPのタイトルを獲ったねとか、新日本プロレスの両国大会がらみの話題があるにはあるんですけども。

申し訳ないです。
私的には、棚橋選手の引退発表しか頭に無いです。

それしか頭にない状態なんだけれども、考えがまとまらないというか。

私の棚橋選手への思い入れは過去にも綴っておりますのでそちらを読んでいただくとして。

ついに、その時がやってきてしまいました。

かいつまんで言うと私、棚橋さんに関しましては学生プロレスの時からの思い入れがありまして。
関西の学生プロレスでは、ひとつ上の世代のものすごい選手なんです。
学生の頃から、プロを視野に入れて活動していた人。

もうね、まだ無料部分だというのにすげーウェットな事言っていいですか?
クサいとも言うし、痛いとも言うし、青いとも言う私の感情。

初めて見たのが私が20の時。学生プロレスやってる時。

その時の私が「あの人と試合したい」って言い続けてるんですよ。
今の私に。あの時からずっと。

私は、学生の時プロになるなんて考えてなかった。
学生プロレスに誇りを持っていた。
だから、学生プロレスを極めようとした。

当然、向こうは私の事なんて知らない。
今でも、視界に入っているとは言い難い。

まともにプロレスしたら、あんな人に勝てるわけがない。
じゃあ、違う方法で勝負したら勝てるんじゃないか?

今の私の方向性は、あの時生まれたんです。

別に、棚橋さんと戦いたくてプロになったわけじゃない。
流れでなんとなくプロになってしまっただけだ。
私は私で生きてきた。
学生プロレスというバックボーンを生かして。

その間も、棚橋さんは積み上げていた。
差は開く一方だ。
棚橋さんはプロレスに対してまっすぐ。
公平に言えば、私は別の方向に頑張った。
誰にでもできるわけではないやり方で。
結果、お互いが積み上げれば積み上げるほど、距離はできていった。
そのことに、私は後悔していない。

なんとなく、この瞬間が来ると思ってた。
棚橋さんが社長という道を選んだ時から。

おそらく、これから棚橋さんの引退までの1年ちょい。
多くの選手が棚橋争奪戦を繰り広げる事だろう。

客観的に見て。
私にその資格はない。
ここはプロの世界。
ビジネスにならなければ棚橋争奪戦に割って入ることは出来ない。
逆に今の私では、もう言えない。

また、棚橋さんと試合がしたい、と言えるのは
棚橋さんと関係値が出来上がっている人だ。
新日本プロレスは、厳しい道場生活を経て成り立っている。
だから、同じ釜の飯を食った人にしか言えないことがある。
または、他団体でも同じくらいの格を持つ人。
言うだけならタダだけど、そうじゃないんだ。

今や、棚橋さんはプロレス界の顔なのだから。

まだ何者でもなかった学生の時に、一方的に私が戦いたいと思っていた。
しかも一方的に。
私が他の選手に勝てるのは、想いの長さだけだ。

そんなもの、同じような修羅場を潜り抜けてきた戦友しか言えないじゃないか。
だから、私なんかが表立っては言えない。

あ、ちょっとこのままだと書かない方がいいことも書いてしまいそうだから、
ここから、思い出したように有料にします。

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