引退について
週刊男色ディーノです。
今週は久しぶりにDDT以外、私のこと以外のプロレス界で起こったことについて書かせて頂きます。
というのも、この出来事に対してものすごく思うところがあったからです。
そのニュースとは、ズバリ斎藤彰俊選手の引退です。
私も、引退を考えることはあります。
というか、ある程度のキャリアを迎えた選手は一度は頭をよぎったことがあるんじゃないでしょうか。
斎藤彰俊選手の引退についてや自分の引退について、感じたことを述べさせていただきます。
さる11月17日、斎藤彰俊選手の引退試合が行われました。
正直、私と斎藤選手の接点はさほど多くありません。
シングルマッチをしたこともありますし、何度か食事の場(大会の打ち上げ的な)にはご一緒したことがあります。
でも、逆に言えばそれだけです。
なので、本来は「お疲れさまでした」以外の特別な感情までは抱くことはないはずなのです。
ですが、斎藤選手は背負ったものが大きすぎて、ついつい感傷的になってしまいます。
斎藤選手は、三沢光晴さんが亡くなった時に相手だった選手です。
三沢さんは、言うまでもなくプロレス界のスーパースター。
その三沢さんがリングで命を落としてしまった。
これ、斎藤選手の気持ちは絶対の他の人にはわかりません。
私も想像まではできますが、自分の事として考えた場合でも同じ立場に立つことを想像すらできません。
それが、何の前触れもなくある一瞬で襲ってきたんです。
想像できる範囲内でも、辛かったと思います。
それでも…いや、きっとそれだからこそ斎藤選手はリングに立ち続けました。
その決断には心から頭が下がります。
今ほど誹謗中傷が問題視されていなかった時代。
斎藤選手を襲った誹謗中傷は半端じゃない量と質だったことでしょう。
きっと斎藤選手は、それ以上に自分を責めたんだと思います。
でも、斎藤選手は立ち上がりました。
なぜなら、プロレスラーだから。
それ以上の理由はたぶんなかった、というかまとめるとそういう理由に帰結する、と推察します。
引退試合を映像で見ました。
対戦相手の丸藤選手も、試合でメッセージを伝えていました。
斎藤選手が長い間背負った十字架。
たとえリングを降りたとしても、一生背負うことになるのでしょう。
ですが。
丸藤選手もまた、別の形で共に背負うことを伝えます。試合で。
絶望的な事が襲ってきても。
それでも立ち上がるのがプロレスラーです。
そして、リング上で会話ができるのもまたプロレスラーです。
丸藤選手は三沢さんの弟子でもあります。
丸藤選手もまた、斎藤選手とは別の方向での十字架を背負っています。
それを、背負い続ける。
そうやって少しでも斎藤選手の背負ったものを共に背負おうとしている。
勝手な私の解釈ですが、試合からはそう読み取れました。
この引退試合の解釈として、正しいかどうかはわかりません。
ただ、同業者の端くれとして、試合を通してそう感じたってだけの話です。
三沢さんだけではなく、斎藤選手の人生で多くの人との出会いと別れがあったことでしょう。
生きていくってそういうことなんです。
プロレスラーとして生きていくというのは、リングを去った人たちの想いを背負うことでもあります。
プロレスラーは、他のプロ格闘家と比べて基本的に試合数が多いです。
日常って、色んな情報が多くて、その情報に飲み込まれて日々が過ぎていきます。
普通に生きていくのですらそうです。
その日常の中に、プロレスラーの背中には色んな人の想いが乗っかっています。
これは「だからプロレスラーはスゲー」って話じゃないんです。
キャリアを重ねるってそういうもんだってことを言ってるんです。
プロレスラーって基本的にはなりたくてなる職業なんです。
夢をかなえられなかった人もいて、夢の半ばでリングを去る人もいる。
もちろん、総合的に決断して降りる人もいる。
プロレスラーは競技寿命が長いがゆえに、リングを降りる判断が難しいんです。
小さい怪我や中くらいの怪我はあるとは思いますが。
斎藤選手が大怪我なくリングを降りたこと、本当に安心しました。
心から思います。
斎藤選手、本当にお疲れさまでした。
これからの人生に幸あらん事を。
とまあ、今回はこんな感じなのですが、有料部分で私の引退観について語ってみます。
これはつまり人生観でもあり、プロレス観でもあります。
斎藤選手が、引退試合で出したバックドロップ。
三沢さんが生前最後に受けた技です。
そして、丸藤選手がフィニッシュとしてエルボーを放ちました。
エメラルド・フロウジョンでおそらく勝負は決していたはずなのに。
ここに私は人生を感じます。
丸藤選手は伝えたかったんじゃないでしょうか。
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