【無料】2025年 ブーイングの奥とその先と

新年あけましておめでとうございます。
明けてからは初めてのnote記事ですね。
年始のプロレス界は色々ありました。
というか、例年行われる年越しプロレスに参加してなかったので
他のプロレスを見る余裕があったってだけかもしれません。
その中で、私の目に入った情報について考えたことを記事化させてもらいます。

まず、元日。
早速ニュースターが誕生したんじゃないでしょうか。
NOAHのOZAWA選手です。
清宮選手とのタイトルマッチで、見事勝利しました。
この現象には非常に多くの意味があると思っています。
まず、キャリア2年ちょいで団体のトップに駆け上がったこと。
これは、単純に快挙です。

次に、自分だけのやり方で挑戦権を得て、結果も出したこと。
他の誰もやっていない、自分だけのやり方を通してベルトまでたどり着いたのは素晴らしい。普通、時間がかかりますから。

次に、清宮選手は若くしてベルトを持ち徐々に積み上げていたところにOZAWA選手が一発でかっさらっていった。
この対比が今後のNOAHにとって大きいと私は思います。

そして、なにより閉塞感を打ち破ったこと。
これが一番大きいことなんじゃないでしょうか。

プロレスは格社会です。
キャリアを通して「何をやってきたか」が重要視されます。
そこを重要視するあまり、ベテランの存在感が強くなるのは、
基本的にどのプロレス団体でも同じだと思います。
特にNOAHはいわゆる若手がなかなか育たない、育ってもすぐに辞めてしまうという状況にありました。
私もいわゆるベテランの選手なので、ベテランが力を発揮し続ける事が悪いことだとは思いません。
ただベテランが力を持ち続けると、どうしても見ている方からすると代り映えしない印象になります。
なので、若い選手の台頭というのはその団体にとって重要になってきます。
清宮選手は、そんな「代り映え」の部分でNOAHを背負っていた存在だったと思います。
言い方を変えると、一人で背負っていた。

タイトルマッチでは清宮選手にブーイングが集まっていましたが、
あれって清宮選手個人へのブーイングじゃないように私は感じました。
清宮選手に向けたというよりは、その奥にあった閉塞感に対するブーイング。
それを、OZAWA選手が打ち破って見せたのです。
言い方が正しいのかどうかはわかりませんが、NOAHが変わる。
その瞬間を体現したのがOZAWA選手で、その瞬間を多くの観客は歓迎したんだと思います。

清宮選手とOZAWA選手は同い年です。
考え方のベクトルを変えると、NOAHを背負う若い選手は清宮選手だけではなくなった。
そして、大和田選手も清宮選手に反旗を翻しました。
続けてこの輪に入れるでしょうか。
NOAHの景色が変わり始めました。
そう印象付ける、1月1日武道館大会だったと思います。

そして遠藤哲哉さんがNOAHを主戦場にする件に関しては、別に書きます。

あと他にはスターダム、マリーゴールドのビッグマッチがあったとは思いますが、こちらはそこまでチェックしきれてないので記事化はできません。いや、しようと思えばできるけども。

そして、新日本プロレスですよ。1.4、1.5東京ドーム。
まずは1.4。
海野選手の挑戦が話題となった大会でしたが。
こちらも海野選手にブーイングが飛んだようです。
ただ、同じブーイングでも質が違うかもしれません。
当然ブーイングというのも声援の一種で、声を出す一人一人がそれぞれの思いで出すわけです。
なので厳密には全員が同じ意思のブーイングではないかもしれませんが。
それを踏まえた上でも、大まかな意味でのブーイングの質は清宮選手へのものと海野選手へのものとでは違いがあった気がしてます。
どちらも現地で聞いてないんで画面越しの推測ですが。

海野選手へのブーイングは「まだお前じゃない」というニュアンスが多分に含まれている気がしました。
このブーイング現象の単純比較は難しいです。
新日本プロレスの1.4は、歴史があり業界そのものを背負ったイベントです。
このメインイベントに対する重責は、他の大会とは比べられるものではありません。

共通点があるとすれば、
会社のプッシュが見える選手は、どうしても好かれづらい一面がでてきます。
で、今回の海野選手と清宮選手はその現象に巻き込まれた感はあります。
ですが両者の違う点として、清宮選手は王者で海野選手は挑戦者だった、ということが挙げられます。

先ほども述べましたが、清宮選手へのブーイングは王者=現状、つまり無意識の閉塞感へのブーイングで、挑戦者のOZAWA選手に新しい景色を見せてもらいたかったのでしょう。

一方で海野選手は挑戦者ですが、挑戦者としてお客さんから認められていなかった。
その上で、試合を通じてもまだ認めさせることができなかった。

試合で覆すことができなかった、ということは、逆説的に言うと覆すことができるチャンスもあった、ということになります。
これは私の選手の視点での話なのですが、試合中に見る人の印象を変えることは不可能な事ではありません。

私は比較的アウェーは得意な方なのですが、それは見る人の感想を想定して、見方を変える準備をして臨むからです。
具体的に言いますと、私ってイロモノなんですよ。
だけど、試合によってはどこかのタイミングでちゃんと普通のプロレスにも対応できる要素を差し込むんですよ。
そうすると、「思ったよりやるやん?」的な見方が生まれます。
そこが感情移入の始まりです。

まあ私は東京ドームで試合をしたことがないし、新日本プロレスなんて大きな会社を背負ったことはありませんから、海野選手の内心は推し量ることしかできませんし、偉そうなことを言える立場にもありません。
ですが、チャンスが無かったわけではないのは事実としてあると思います。

比較するならば、1.5の東京ドーム大会でケニー・オメガと戦ったゲイブ・キッド選手でしょうか。
ゲイブ選手は、ケニーに比べて実績では大きく劣ります。
ですが、入場とコスチュームで「新日本を背負っている」ことを見ている人に印象付けました。
入場で感情移入させることに成功したのですね。
結果、観客の大声援を受けることになります。

とまあここまで書いておきながら、私は海野選手が羨ましくもあります。
プロレスラーとして、こんな経験できないですからね。
いつも言ってますが、新日本プロレスの選手は選ばれし人間です。
その選ばれし人間の中でもさらに選ばれた人でないと、東京ドームのメインは張れない。日本最大の会場でメインを張れるだけでも成功なんですよ。
あくまでプレイヤー視点ではね。

選ばれなかった人間は、自分で選んでいくしかないので私としては今の人生を選んでいるわけですが。

一方で、お客さんはブーイングを飛ばす権利はあると思います。
試合を見て、自由に感想を持っていい。

ですが、SNS時代だからこそこれは超えちゃいけないラインがあって、
選ばれて挑んだ海野選手の人生を否定する権利はないです。断じて。

プロレスは続きます。
選手やスタッフ、お客さんの人生も続きます。
記憶には新しいけど、過ぎ去った大会はもう過去です。
じゃあどうするって、前向いて歩くしかないでしょうよ。
続くんだから。

海野選手は、これからもっと強くなるでしょう。
清宮選手も、きっとそうです。
ブーイングされる=挫折 では決してないのですが、
おそらく本人の意識というか周りからの見られ方を踏まえると「挫折」と呼んでもいいものなのかもしれません。
そこからどう這い上がるかを体現していくのも、またプロレスラーとしての人生なんじゃないかなーと今年23年目を迎えるインディプロレスラーの私としては思いました。

偉そうに書いて申し訳ない気持ちでいっぱいではありますが、
私も見た以上は感想を持つ権利はあると思いますので、年始に見たプロレスの感想を書かせてもらいました。

そんな感じです。

あと、DDTファン的には別記事もご覧くださいな。

・遠藤哲哉のケツ断
・竹下幸之介の3団体所属

について、私の推察を書いています。
ドラマティックドリームに書いてみようとは思っています。

では、今年もよろしくお願いいたします。

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