闘魂スタイルというかファイトスタイルについての考察

昨日(2/29)はルチャンコ・リブレがあって、まあ私は試合ではなかったんだけどなんだかマスクマンとして試合に出たような疲れがあったのと時間の無さだったので記事書けませんでした。
木曜日はコメントでのリクエストにお応えする記事をかいておりまして、久しぶりに複数リクエストがあり選択肢があったので悩みました。
結果、話題と言えば話題なので「闘魂スタイル」について、私が受けている印象を述べてみたいと思います。

まず、根本的な私の印象としては「闘魂スタイルって何?」っていうところに尽きます。要するには「よくわからない」っていうのが正直なところ。

そもそもで言いますとね、プロレスにおけるファイトスタイルっていうのは言ったもん勝ちの側面あるんですよ。
戦い方の言語化、と言いますか。
例えば私のファイトスタイルは「ゲイスタイル」だったり「ゲイレスリング」だったり「男色殺法」だったり名付けられているのですが、当然元々そんな言葉あるわけないじゃないですか。ただ、ゲイであることを活かした戦い方をすることを説明するためにその名前を使ってるわけです。
細かいことを言うと、最近の私は必ずしもゲイスタイルオンリーで戦っているわけでもないのですが、そこはまあ置いておくとして。

要は、見ている人がしっくりくる名前であれば、どんなスタイルを名乗っても成立しちゃうんです。私の場合は見ている人がしっくり来たから言葉としての「ゲイスタイル」が定着した。今となっては言葉がちょっと鋭いがゆえに勘違いする人もいるんだけども、そこはいいです。キャッチーでかつ説明できているのであれば、ひとまずは目的を達成してるわけですし。

「ストロングスタイル」だってそうです。新日本プロレスが標榜したスタイルなんですけど、新日本プロレスの歴史にだって色んな選手がいて、色んな戦い方があったわけです。でも、新日本プロレスのエッセンスを表現するために「ストロングスタイル」が使われているわけですね。
同じく、全日本プロレスの「王道スタイル」もそう。実はこれって要素を差す言葉ではなく、社風だったり団体の方向性だったりキャッチフレーズだったりを表現する言葉なんですよ。

ただ、私は体験してないから推測にはなるんだけども、その昔から紡いできた「言葉」は決して軽くは無いんです。なぜなら、そこには思い入れが存在しているから。
人によってはただの言葉にしか過ぎない。
でも、その言葉って、言うなれば旗印なんです。
その旗印のもとに集まって、日々を過ごし、プライドを持って戦ってきた。
思い入れのあるものを踏みにじられたら、腹立つでしょ。
だから、気軽に踏みにじっていいもんではないと私は思っています。
つまり、ファイトスタイルって、そういうものなんだと思います。

で、時を戻して「闘魂スタイル」について。
私はよくわからないです。
踏みにじるでも何でもなく。
わからないんです。
正直なところ、言葉を使っての話題化には成功しているとは思います。
次の段階としては、じゃあそれってなんなのか。
ここを証明していくフェーズに入っていくような気がします。
もしくは言葉を紡いでいくことから撤退するのかもしれませんが。
それ以上でもそれ以下でもないですかね。
今のところの私の認識としては。

闘魂スタイルについては以上になりますが、このままじゃあお金を取るのは忍びないので、ここからはちょっと踏み込んでファイトスタイルの捉え方について語っていこうと思います。あとは、なぜ私がこのファイトスタイルを選んでいるのかについても。
今回ばかりは初めて少しだけ語ることもあって挑発的な論調になるので反論もあるかもしれません。
きっと、そもそもが答えのない話ではありますので、読んだ人ごとの感想はあっていいと思います。

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さっきも書いたけど、ファイトスタイルなんてただの言葉です。
でも、プロレスにおいてはけっこう重要なファクターじゃないかと思っています。
分解して考えますね。
プロレスってお客さんに向けてやるもんじゃないですか。
という事は、お客さんに伝えなきゃいけない。
伝えるための方法がいくつもあって、そのうちのひとつが言葉だと思うんです。
たとえば

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