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内心の不寛容と礼節

先週に引き続き、森本あんり著、『不寛容論』(2020)から。

寛容とは、そもそも「嫌いなもの」「不愉快なもの」を(時にしぶしぶ)受け入れること。好きなものに寛容になるとは言わない。だから、内心どう思っているかとか理解しているかとか、そこは問わないことにしましょう、けれどたとえ内心嫌いでも、お互い礼節を持って接しましょう、というのが寛容だと。

「真理についての良心がそれぞれ異なっていても、各人が平和で静穏に権利と自由を享受することを相互に確認し確立する」(p.215)

企業のD&Iに当てはめると、どういうことになるのかなということを考えながら読みました。例えば、セクシュアルマイノリティや特定の国籍の人に嫌悪感を抱く人がいるとする。会社としては、私たちはオープンでインクルーシブな職場を目指すこと、差別は許さないことを表明して、知らないことに対しては理解を促進するような機会を提供する。それでも嫌いな人の内心は問わない(というか、本人にしかわかりようがないので問題にすることに意味がない)。でも、会社という同じ船にのっている以上、礼節を持って接すること、悪口を言わない、侮辱しない。もし、あからさまにハラスメントとなる行動や発言をしている場合は、それはNGです、と言える。

不寛容な人に寛容になるべきか?という問いに対して、一旦これで答えになりそう。


参考:森本あんり(2020). 不寛容論: アメリカが生んだ「共存」の哲学.


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