見出し画像

「本来無一物」と安西先生

禅語「本来無一物」を紹介します。


人は生まれながらにして持っているものは何一つない」つまり、「失うものはなにもない」との意味です。


禅語には似た言葉に「無一物無尽蔵」があります。これは「何もないことは、無限の可能性を持つ」ということ。人にとって「失うものはなにもない」ことほど、人を強くする境涯はないのです。


人は社長も平社員も本質は同じ「無一物」です。輝かしい過去の栄光や成果も、衣服のように「身ぐるみ剥がされてなるもんか」と執着するほどのものではありません。


身ぐるみ剥がされても、生命を奪われたわけではないのです。もう一度、頑張って衣服を身につけたら良いのです。


むしろ、今の境遇に固執して、不満を抱え、ストレスに病みながら無理をしていませんか?ハリボテの人形のような生活は中身のない人生です。


エジソンは「一つのものを発明するまでに何万回もの失敗をしてきた」と言っています。失敗を次の挑戦に活かせる、その失敗こそ成功の原資になるのです。

自分は「無一物」だと思えば、失敗や結果の出ないことなど、恐れることはないのでしょう。
失敗を後悔してもなくなりません。過去を変えることは出来ません。
しかし、前を向いて、失敗した経験を生かすならば、未来の結果を変えることはできるのです。

失敗しても決して諦めない。スラムダンクの安西先生もこう言いました。
「諦めたらそこで試合終了だよ」と。

失うものなどなにもない、という覚悟が人を強くします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?