電脳灯争戦で『物語の終わり』を積まないほうが良い理由

みなさんどうも
二條舞衣です

電脳灯争戦について皆さんが対戦記やら振り返りをしている中、私は構築だったりデッキ読みについての部分に触れてみようかなと思いましたのでそんな記事を書きたいと思います。


物語の終わり

みなさん、ヒストリックブロールだととりあえず生!
感覚で『物語の終わり』積んでません?

ランダムマッチではマナの軽い統率者やとりあえず入れとくか枠になりがちな伝説クリーチャーが軒並み強いので採用してもいいかな。
と、思いますが相手の統率者、ひいてはデッキのアーキタイプがある程度絞れている状態のときでも本当に常に物語の終わりを入れたほうがよいのでしょうか?

そこで今回は私が感じた積まないほうが良い理由を挙げていきたいと思います。

なぜランダムマッチでは『物語の終わり』が板なのか?

ランダムでの対戦の場合、どのようなアーキタイプかわからない相手との対戦となるため統率者がデッキの中心になりやすく、更にわかりやすいパワーカードとしてプレインズウォーカーもアドバンテージ獲得手段として採用が多くなります。

パワーカードはある程度のマナ総量を求められるため、お互いにどんな相手にも対応しやすいように多角的に対応策を取ろうとすると、ある程度長いゲームレンジでの試合展開になりやすく、そうすると統率者も複数回プレイされる状況となります。そのため、ターゲットも多く序盤から終盤まで物語の終わりは仕事をする可能性があるカードとなります。


電脳灯争戦で『物語の終わり』を積まないほうが良い理由

では、なぜ相手の統率者がわかる場合には「物語の終わり」を積まないほうが良いのか?それは統率者の用途や配色から組めるアーキタイプが絞られるため、必ずしも「物語の終わり」がベストな選択肢では無いケースがおおくなるからです。

とくに強力な統率者ほど、真っすぐぶつかったほうが同速度帯で戦うデッキに対してはその時点で優位なのでズラす意味がなく、デッキの全貌がある程度の精度で予測が立てられます。
そうして予測をしていく中で「物語の終わり」が非常に範囲の狭い呪文となるケースがありえます。

軸をずらす必要の無い強カード

今回はそんな「物語の終わり」が採用しにくいケースを紹介していこうと思います。


・ビートダウンには除去のほうが積みたい

コントロールぎみな統率者を使用していて対戦相手がビートダウン向けの単色統率者(スレイベンの守護者、サリア等々)を選択している場合、打ち消しよりも除去に比重を置きます。
とくに1~2マナ圏はレジェンドでないクリーチャーにもかなり強力なカードが数多くおり、カウンターではどうにもならないケースがあるため軽量かつ範囲の広い除去から優先して積みたいところです。
とはいえ、必ず1回は統率者はプレイされるので入れ得では?と思われるかもしれないが、後引きなら既に場に出ていたなら無駄引きになりそれがキッカケで負けるかもしれず、範囲の広い除去のほうが先にあっても後にあっても同じであれば統率者以外の脅威にも対抗できるだけ良いです。

神話なんだから伝説でもよくない?筆頭


・部族クリーチャーな統率者な場合は対象がめちゃ少ない

本大会ですと『熊の女王、アイユーラ』や『牙持ち、フィン』(厳密には部族ではない)などの特定のカード群のロードになるカードを統率者としている場合、他の採用クリーチャーは概ね伝説でないものが多数を占めます。
そうなると、物語の終わりをカウンターとして当てれる先が恐らくアドバンテージ源として入っているであろう少量のプレインズウォーカーあたりでライブラリの99枚中3枚前後あれば良いのでは?といった事になりかねません。
こちらも前項でも語ったように統率者出てから処理できつつ後引きでも良い除去中心の構築で良いかと思います。

緑・無色の熊、多相の戦士は伝説が他にいない……


・青白系プレインズウォーカー統率者の全体除去が消せない

ちょうど私の所属するチームの「大文字ひのこ」さんのマッチアップであったように、『ドミナリアの英雄、テフェリー』をクロックパーミッションで相手にした場合、消したい呪文が全体除去とテフェリーにほぼ絞られるため、非生物カウンター(否認みたいなの)をより多く積むほうが良いのではという議論がありました。
本戦ではテフェリー前までに物語の終わりを引けており、テフェリー以外にも『サメ台風』のトークン生成を対象に取れたため問題なかったように見えるが、仮にカウンターであっても『湖での水難』でトークン対処して、湖の水難で消した2回目のテフェリーにそのカウンターを当てても順序逆で問題ありませんでした。
もし、物語の終わりが後引きになった場合には全除去に対して構えられない無駄引きになる可能性があったのでカウンターとして見るなら優先度はかなり落ちるカードとなります。

対テフェリー戦で一番信頼できるかもなカード。時点で否認。


・カウンター合戦で打てないので仕掛けに使えない

コントロールPW型同士の対戦のような場合、統率者を先に着地させて盤面を安定化する=勝利となるため、事前の仕掛けで前段階でのアドバンテージ源の設置やエンドフェイズのドロー、瞬速生物(もしくは放浪皇)によって盤面取りをしつつ統率者をお出迎えするゲームになるかと思います。
そういう時に、積極的に仕掛けていきたいときにカウンター合戦に入るときには「物語の終わり」は使えないです。
ディフェンシブなカードなので負けないゲームは作れますが、相手のデッキが想定できていて、デッキ構築段階で余分なカードを減らした分、仕掛けられるカードを多く採用できるのであれば攻めにいけるようなカウンターのチョイスをしたほうが勝ちやすいと思います。

「物語の終わり」で打ち消せる範囲も内容も他例に比べると残したほうがよさそうに見えますが、デッキ内に積みたいカウンター枚数と打ち消せる範囲を天秤にかけて積まない判断もアリなのでは?と、思えるかと。

通れば勝ちクラスのカード


終わりに

電脳灯争戦では半分デッキ公開制の対戦かつ、そのデッキに対してのメタを張ったり躱したりするデッキ構築の猶予がある為、デッキそのものを殺すような攻撃的なカードも投入されます。

先に挙げた例のように、コントロールを用いて対アグロをする側であれば対策される側として苛烈な攻めを受け止められるようにどんな状況でも捌ける範囲の広いカードを多く求め、コントロールを相手にするクロックパーミッションを使う側になるのであれば、こちらの攻めを通すための攻めるカウンターのほうが重要になります。
で、あればこそ統率者を決めて、次に『統率の塔』を積むかのように「物語の終わり」を積んでも本当に良いのかどうか?気にする必要があります。

最後になりますが、電脳灯争戦では普段のヒストリックブロールでは採用されないカードも出てくると思いますが、何故それが積まれたのか?そういう視点でも電脳灯争戦を観てみると両チームの思考の一端が透けてより楽しく見れるかもしれません。
採用理由が気になったらTwitterやコメントなどでも聞いてみるといいかもしれないですね。

旦那様へのご援助頂けますと幸いです。 二條舞衣