普通に普通な僕たちとBase Ball Bear
お疲れ様です。踊る踊りという者です。
普段は主に芸人さんの深夜ラジオにメールを送って採用されたりされなかったりしてます。
踊る踊りという名前はラジオネームです。二つ名とかでもカッコよくていいですね。二つ名でお願いします。
本題へ進みます。
僕はBase Ball Bearというバンドがとっても好きです。
中2の時に知って以来、ずっと曲を聴き続けたりライブを見に行ったりしています。
このnoteの趣旨はそんなBase Ball Bearというバンドを僕が語るというものです。
あくまでも「僕にとってのBase Ball Bear」を語るのでもしかしたら都合の良い解釈や行き過ぎた考察があるかもしれません。
でも自分には自分のことしか書けないので
そのあたりは"この世界の正体は僕らのeyes"ということでご容赦ください。
僕の"Base Ball Bear"史
僕がBase Ball Bearと出会ったのは中2の夏でした。
2016年のロックインジャパンに家族で行った僕はその後のWOWOWのアーカイブ配信でBase Ball Bearの「祭りのあと」のライブを目にしました。
なんとなく良いな〜と感じ、曲を漁っていくうちにどんどんとそのバンドの独特な雰囲気に夢中になっていきました。
近所のブックオフでCDと音楽雑誌を買い漁る
放送部の活動を利用して昼休みに全校で曲を流す
学校紹介のビデオのBGMにする(文化祭の紹介映像で17歳を流し、三送会の映像で若者のゆくえを流した)
などなど、ほとんどどうかしてるくらいベボベに没頭してました。crazy forです。
何がそこまで僕を夢中にさせたのか、その決定的なきっかけはよく分かりません。
そもそもベボベを知る前に音楽をよく聴いてきた訳では無いのです。
なのでベボベと今までのバンドと比較して〜というよりは、音楽を意識的に聴くようになったきっかけがまさにベボベでした。
それからフジファブリック、奥田民生、スチャダラパーなどなどなど色々なアーティストを聞くようになりました。
しかし、その中でもBase Ball Bearは僕にとってとびきり特別なバンドだと言えます。
そして今日まで僕はBase Ball Bearのリスナー、ファン、マニアで居続けています。
Base Ball Bearの特異性
ここまで僕とBase Ball Bearの歴史について語ってきました。
で結局Base Ball Bearの何がそこまで好きなのかと。
ズバリそれはBase Ball Bearの特異性にあると思います。
その特異性とは「普通」です。
Base Ball Bearは「普通」を極めしバンドだと言えます。
"普通"というこのバンドの性質が"普通"な僕を惹きつけてやまないのです。
ここでいう"普通"とは、自分の考えや信念、感情みたいなものです。
自分にとっての常識といってもいいかもしれません。
そんな"普通"は人によって異なっていて、人はそれぞれ自分の"普通"を持っていると思います。
Base Ball Bearはそんな人それぞれの"普通"を肯定するのをとても重視しているのです。
幾つかの歌詞を引用して、Base Ball Bearの"普通"観をみていきたいと思います。
この「曖してる」という曲は小出祐介(Base Ball Bearのギターボーカル、すべての曲作詞を担当)の"普通"観をとてもよく表していると思います。中でもこの歌詞はベボベの作品の中でも屈指のパンチラインだと個人的に思っています。極端であったりいわゆるベタなものはあくまでも「世間」の普通といえます。それよりも曖昧で分かりづらくて一概には言えないカオスな感情や考え、そんな「個人」の普通を大切にしたいという小出氏の信念がこの三行の歌詞に集約されています。
この曲は歌詞もさることながらカッティングのフレーズも死ぬほどかっこいいです。
「魔王」には小出氏がレコーディングをしたときに感情が高まり泣いてしまったというエピソードがあり、それほどベボベの中でも想いがこもった曲だといえます。世間や大多数から支持されるものと自分が表現したいものの葛藤と、その呪縛からの解放がこの歌詞には表れています。この曲はアルバム「二十九歳」収録「光蘚」と合わせて聞くとより味わい深いものになると思います。
これはアニメの主題歌を担当するなど、いわばBase Ball Bearの最初の絶頂期にリリースされた「(WHAT IS THE) LOVE & POP?」の12曲目に収録された「ラブ&ポップ」という曲です。このアルバムではじめて小出氏は自分の内面について言及しました。それまで青春ど真ん中の曲をリリースしてきた中でだんだんと感じてきた「孤独感」と、一方でアーティスト活動を通して人とつながりたいと感じている感情の矛盾に対する葛藤が描かれています。
Base Ball Bearの曲ではよく「孤独」について言及されることがあります。これは「普通」に付随している寂しさや苦悩という一面であり、これが後に前述の「魔王」のような「自分らしさ」として昇華していきます。また小出氏はインタビューなどで「人は究極的にはみんな孤独」とよく語られています。
普通を体現するバンド「Base Ball Bear」
ここまで歌詞から小出祐介的"普通"観を読み取ってきました。
これに加えてBase Ball Bearというバンド自体も"普通"をその身をもって体現しているといえます。
Base Ball Bearの今までの活動を振り返ってみると、その時にやりたいことをやっているという印象を強く受けます。
毎回アルバムによってテーマがしっかりしており、そのテーマはその時期の世界情勢や世間のムード、小出祐介氏の心情に非常に強くリンクしたものになっています。
そのため、時期によって曲のムード、ライブでの盛り上げ方や曲のアレンジが異なっていることがしばしばあります。
その一見バラバラな歌詞や演奏、ライブの演出のその"散らかりよう"こそがBase Ball Bearの本質だと思います。
いわばBase Ball Bearというバンドは、そのメンバー、特に小出祐介氏の人生や成長過程を映したドキュメンタリーといえるでしょう。
実際、元メンバーの湯浅氏が脱退した際も小出氏自身がメディアを通して説明をしたり、アルバムの特典にドキュメンタリーを収録するなど、ドキュメンタリー性を非常に重視しているとわかります。
また、Base Ball Bearが高校の文化祭で組まれたバンドであるというのも、このバンドの特性を作り上げている一つの要因なのかもしれません。
小出氏は以上のことを意識して活動をしている一方で、決して無理してこういったことをしているわけではないでしょう。
おそらくその理由は「そうしたいから」です。
それこそが小出祐介氏にとっての表現したいことであり、それが小出祐介氏にとっての"普通"なのです。
極端に"普通"を演じているわけではなく、"普通"に"普通"なのです。
おわりに
ここまでBase Ball Bearの"普通"という特性について書いてきました。
僕にとってのBase Ball Bearというバンドは、上の立場から自分を引き揚げるような憧れるだけの存在ではありません。
自分が思っていることをそっくりそのまま代弁してくれるような、自分に完全に寄り添ってくれるお人よしな存在でもありません。
自分よりも少しだけ、ほんの少しだけ前にいて、生きるヒントをくれるような温かな存在です。
僕はこうやって言語化しないと不安な人間なので今回このような記事を書きました。
実際上手く書けたかは正直不安です。
でもここには"頭の中を録画する機材"も"心と心つなぐケーブル"も無いのでしょうがないですね。
もちろんなんとなく好きでもいいと思います。
有名な曲しか知らなくても、僕以上に歌詞を解読してもいいと思います。
それはきっと皆さんにとっての大切にすべき"普通"だと思うので。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
あとがき
Base Ball Bearを人に紹介するのってめちゃくちゃ難しくないですか?
ここまで永遠と語ってきた通りベボベってめちゃくちゃ曖昧なバンドなので(少なくとも僕にとっては)魅力をわかりやすく語るなんて僕には無理なんです。
おそらく僕は孤独にファンをしている期間が長すぎて「人に紹介する」というスキルを0にしてしまいました。
だれか優しい方、ベボベを知らない人に向けた記事をぜひ書いてほしいです。
あとこの記事を振り返ってみても、どう考えても書きすぎました。
ギリギリまでコンパクトにわかりやすくしたつもりなのに。
そしておそらくこの記事を読んでもらったところで多くの人に引かれてしまいそうで不安です。
僕はただベボベの魅力を語りたかっただけなのに。
好きすぎるが故の悲しき運命です。
僕もしっかり「short hairの本田翼かわい~」とか「夏だからBREEEZE GIRL聴こ~」とか思うミーハー心も持っているのでご安心ください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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