バタバタ
毎日が慌ただしく、あっという間に過ぎていきます。
わたしが「忙しい」と感じるとき、それを言葉にするときは、余裕が欲しいなぁと思っているときです。こんなときつくづくわたしは忙しいのが苦手なんだな、と実感します。
日本人は働きすぎだと思います。時間に余裕がないと、心に余裕が持てない。忙しいのが好きな人もいれば、そうでない人もいる。忙しいのが苦手な人にも市民権があればいいのにと思います。
ありがたいことに、ちょこちょこと動画編集やライターのお仕事をいただいて、なんとか生活しています。
さらに年末、演出のオファーもいただくことができ、数日後の撮影に向けてバタバタと準備をしています。
思えば、わたしにとってはじめての表現は映画でした。映画といっても自主映画です。子どものころから映画が好きで、幼いころは大人になったら映画やドラマで演じるお仕事をしたいと思っていました。それがいつからか物語を作りたいと思うようになり、自然と映画を作りたいと思うようになりました。同じころにアルバイトから映像制作会社に入り、いつか自分の映画を撮ることを目標に勉強をさせていただく日々。仕事と学びに全力投球していました。仕事の帰りに毎日カフェで9時頃まで勉強したり、テレビADや自主映画の制作をしたときは、あまり寝ていませんでした。
そんな生活をしていたわたしが、こんなにも忙しいのが苦手になるなんて、と思いますが、40も過ぎると体力がなくなるもので、あのころのような無茶はもう叶いません。お金のことも、あのころは二の次で、今だって清貧に憧れて気づけば利益度外視して働きがちですが、最近多少は身体を壊したり働けなくなった時のことを考えるようになりつつあります。
話は戻って、映画一本で突っ走って、地方の映画祭にノミネートしていただいたり、憧れだったぴあフィルムフェスティバルで一次選考を通過し作品名と名前が公表されたりして、嬉しいこともありましたが、壁にもぶつかりました。
わたしは、演出も制作もわかってない。
それは体調を崩して映像業界から一旦退かざるを得なかった期間に、冷静に考えてたどり着いたことです。向いてない、と思いました。コミュニケーションが苦手なわたしは、現場が苦手で、現場で学ぶ機会もなかなか得られませんし、仮に長い年数現場にいたとしたら、また身体を壊してしまうことは目に見えていました。
また、映像でやっていくにはわたしのキャパは小さすぎるとも思いました。わたしはひとりでコツコツやる作業が向いていて、同時にいくつものタスクを捌いたり、時間に追われて何かをすることが苦手なんです。だから、編集で食べていくというのは、一種の折衷案というか、今までのスキルの中で比較的自分に向いていることを仕事にすることができたということだと思います。
そんな中、演出のお仕事が舞い込んできて。自分の「苦手」を冷静に見つめられるようになった代わりに、「苦手」という固定概念に縛られてプレッシャーを感じているわたしがいて。
スケジュールの組み方も、キューの出し方も、箱馬という言葉も、撮影のカンも、みんな忘れてしまった。
けれど。
忘れたなら、また覚えればいい。
頼りになる先輩方がいてくださるおかげで、たったひとつのチャンスに巡り逢えた。学びのチャンスに。どんなお仕事もすべて学びのチャンスだけれど、今回新しいチャンスに出逢えたのだから、いつもと同じように全力で学べばいい。
感謝は何よりも力になる。
きっと、今まで出逢ったすべてのひとに、今まで起こったすべてのことに感謝するまでの長い道のりを、今、歩んでいる。がんばります。