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恋の話をしよう

わたしの初恋は26歳と激遅だった。

5人姉弟7人家族で、いやになるほど家族愛なら知っていた。
友愛も、ずっと大切に付き合っていきたい友人に恵まれたから、人を愛するということを頭ではなく心で感じることが、やっと出来るようになってはいたのだが、恋というものにはとんと縁がなく。

少女漫画のトキメキも、ドラマの中のヤキモチも、今思えば、エンターテイメントとして楽しんではいたのだが、どうにも、身近に、現実に、
人を好きになる、という感情を理解できずに、夢ばかり見ていたように思う。同時に、恋に踊らされる周りの人が滑稽に見えていた。

どうして、人は恋をしたらこんなに愚かになるんだろう?

どうして、一人のほうが楽なのに、結婚したいなんて思うんだろう?

本気で疑問だった。

まだ駅前のチェーンのサロンで整体師として修行中だったある日。その人はやってきた。

「ライブ帰りで、疲れちゃって」とリフレクソロジーを選んだその人は、小柄で、髪が黒くて長い、大きな目をマツエクが上品に囲んでいる、中川翔子似の40代半ばの女性だった。

施術の順番のローテーションでたまたまわたしが担当することになったのだが、最初の足浴でウトウトしてから、足を拭いてオイルで流す頃にはぱっちりと目が覚めて、その人は、今のいままで行ってきた韓流アイドルのライブの感想をマシンガントークで話し始めた。

「背が低いから高いヒールを履かないと推しの男性アイドルが見れないから、足が疲れちゃうの。」

時間いっぱい話して、また高いヒールを履いて帰っていった。

その時間の、どこから好きになったのか、最初から一目惚れしてしまったのか、

お見送りをする頃にはわたしはもうその人にメロメロだった。

他の、年配のマダムのお客さまと特別違うところなど無かった。失礼な言い方だが、いたってどこにでもいる、韓流アイドルの追っかけのお母さまだった。
今でも何がどう違うのか、書き起こしてもうまく説明できない。

とにかくその時点で明らかだったのは、わたしがそのお客さまに恋をしてしまったということだ。

やあやあ、これはどうしたものか。
その日はフワフワ〜ッとした足取りで帰った。

それから何度か、その人を担当する機会があった。
仮にその人をフジコさんと呼ぼう。

基本的に指名がない限り、来た順のローテーションでお客さまを迎える駅前の揉み屋はわりかし忙しくて、担当出来ない時もあり、しかしフジコさんは女性担当を希望する方だったので、確率としては高く、
実は、一回だけその時の担当するはずの女性スタッフに頼み込んで交代してもらって施術したこともあった。

フジコさんは、たいてい関東圏のライブ後か、大阪や名古屋のライブの遠征帰りに来店した。

疲れてずっと寝ている時もあれば、ナチュラルハイになってずっとしゃべっているときもあった。
今回のライブはいい席だった、遠征先の友達とこれを食べた、推しとのチェキを撮ったときしゃべった、来月も追いかけるから予定がいっぱい、
追っかけ事情を話すフジコさんとの会話ではわたしは1%の相づちしか打たない。というか打てない。
マシンガントークの99%がよくいるオタクの感想だった。
わたしはそのどんな時もフジコさんが可愛かった。

そうか、恋してる相手の話ってなんでも可愛いんだなぁ……

我ながら重症だった。

フジコさんは1、2ヶ月に一回くらいしか来なかったので、担当できた回数は両手いっぱいにも満たない。
フジコさんには旦那さんとお子さんがいて、家族をとても愛していた。

それでも、来てくれれば胸が弾んだし、施術中は幸せだったし、もう最後の方は、フジコさんが健康で、家族に囲まれて、韓流アイドルでめいっぱい充実した生活をおくって、幸せに暮らしていてくれれば、それでわたしも幸せだと思った。それを心の底から納得してしまった。

一目で恋して、秒で愛した。

そうしてわたしは恋を知り、失恋?したが、悲しい思いも、妬ましさも、涙なんかもまったく流さず終わった。

恋が愛に昇華された瞬間、依存や嫉妬はわたしの中で永遠にフィクションとなった。

だって、最終的にどうなるか、解ってしまったから。今となっては、究極のネタバレをされてしまったようにすら感じる。

一年後、わたしはそのサロンを去り、独立した今、もう、フジコさんと会うことも、お話することも恐らく無い。
それでも、どこかで生きていて、相変わらず追っかけに忙しくて、楽しく過ごしてくれていたらいいな、とずっと思っている。

そのあとわたしは某ジャイアン声優に二度目の恋をし、まさかの自分が追っかけになることになるのだが、それはまた別の話で、少なくともその新しい恋が始まるまで、フジコさんから更新されることはなかったのだ。

わたしの初恋のひとは、今日もどこかで。

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