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立冬 第五十七候 金盞香

立冬が先一昨日に終わりました。
立冬の末候は「金盞香」、きんせんかさく。期間は11月17日から21日。
この金盞香は、菊科のキンセンカではなく水仙の花だということです。
凍てついて、ものみな枯れ眠りゆく物憂い気配が増していく季節の中で、ひだまりに咲く水仙は、まだ先の春への思いを少しずつ準備してくれ、その甘さと清冽さが相まった香りも、冬の中で背を伸ばしてみたい気持ちになります。
とはいえ、水仙の学名であり、ギリシアの美少年の名前のNarcissusは、死や自己愛というちょっと不穏な意味が隠れていますし、Narcは、眠りに関わる言葉。冬の空気の覚醒的な感じの一方で、どこか内側にこもってしまいたくなる冬眠への願望も感じさせる気がします。

そんな冬から春にかけての気分にそうような水仙、日本ならば少し早めに球根を植えればそろそろ花が咲く頃でしょうが、残念ながらタイでは、温帯の植物の水仙はなかなか育ってくれません。

水仙ならずとも、何かこの時分を象徴する特別な花があるとしたら、満月と水のお祭り、ロイクラトンを彩る花灯籠のクラトンではないでしょうか。

クラトン

これは、バナナの茎を輪切りにしたものを台にしてそこにバナナの葉を巻き、色々な花や葉を折り畳んだもので装飾、お線香と蝋燭、そしてお金を少し乗せたもので、川に流して、川と水の女神に日頃水を使ったり汚してしまうことへのお詫びと感謝をするのです。
また、満月が昇るのに合わせて、日頃使うものなどに感謝し、仏教の教えを象徴するものとして、プラティップと呼ばれる素焼きの小さなお皿にミツロウを流して作った蝋燭を、家の玄関や階段、水場などに灯す習慣があり、満月が登り始める夕刻、方々の家の庭や門にちらちらと小さな灯りが沢山揺れる眺めはなんとも静かで優しく、敬虔な雰囲気があり、これこのお祭りの本当の形なのだなあと実感します。

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クラトンにお話を戻すと、今は、街では市場や川沿いの屋台で売られていることも多いですが、郊外では今も家で作って近くの川などに流しにいくもの。昔は小学校の伝統を学ぶ授業で子供達が作り、先生に家族と一緒に川へ流しにいきましょうね。と言われたものだそうです。

今年のロイクラトンは、満月の19日。そして20日でしたが、パンデミックの影響もあって市内の紙灯籠(北タイの伝統的な装飾です)も控えめに、灯籠流しや、大きな紙灯籠が飾られた地区では、入場制限なども設けられた中で行われました。

日本でロイクラトンというと、ディズニー映画のラプンツェルで有名になったという、夜に飛ばす熱気球ばかりが知られていますが、本当はこちらには伝統も文化もなく、観光のアトラクションや人寄せのために始まったものなのだそうです。それでもかつては地元の人も楽しんでいたのですが、最近ではショウアップされ大規模になりすぎたために、飛行機の運行の障害や火災、ゴミ問題などが深刻になり、すっかり地元の人には嬉しくないものになってしまった感があります。
そのため、この数年は条例によって制限がどんどん厳しくなり、今年はとても高額な罰金が課されることになったうえ、内外の観光客もとても少なくなったこともあり、とうとうほとんど飛ばなくなってしまいました。

なんだか皮肉なことですが、人出の少なさと、狂騒的な熱気球揚げがなくなり、静かに川に灯籠を流す人たちがゆるやかに集まる様子は、少なくとも地元の人たちに言わせると、むしろこちらが本当のロイクラトンだったようです。もちろん、今の病禍には早く去って欲しいと誰もが切望していますが。

そんな静かな水と満月のお祭りが終わった翌日。
チェンマイは空気が不思議と冴えてきて、朝夕は冷え込み、標高1500メートルを越える山、ドイステープでは霜が降りました。少し遅れましたが、五十六候の「地始凍(ちはじめてこおる)」となりました。熱帯にもゆっくり冬が兆しつつあります。

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