小寒 第六十九候 雉始雊
小寒も末候、第六十九候「雉始雊」。「きじはじめてなく」になりました。期間は 1月15日~1月19日。明日でおしまいです。
日本での雉が妻を求めて鳴くのに思い出すのは、数年前、義父が亡くなった時のことです。
雪国の遅い桜が咲く頃だったので、暦よりは少し後のことですが、義父が亡くなった翌日、家の庭に見事な雄の雉が迷い込んで鳴いていたのです。
山歩きが好きだった義父ですから、雉の姿を借りて家族に挨拶に来たのではないかと、親族一同言い合ったのですが、翌日にはなんと雌の雉とやってきて、それには前日の思いがけない大きく美しい鳥の到来に充分驚いていた私たちは、更にビックリ。まるで義父が、彼より数年早く亡くなった義母を見つけ、それを知らせに来たように見えたのです。
この雉の番は、葬儀の間、毎朝姿を現しては鳴き、葬儀の後の家の遺品の整理なども終わって、親族たちがそれぞれ家へ帰り始めたのとほぼ時を同じくしてどこかへ飛び去っていきました。
更に驚いた事には、義父の家へ風を通しに行く家族によると、この年以降、春には毎年雉の番が現れるのだそうで、私たちは「お父さん、お母さんたち」と雉の夫婦を呼び、毎年、今年もきっと現れてくれるのではないかと願っています。
さて、この候で雉が鳴くのは、婚姻色で羽が色鮮やかになった雄が雌への求愛のためだといいますが、チェンマイでも、この時期はまさに鳥たちの恋の季節の始まりです。
朝は冷え込んでも、昼ごろには陽射しが強まり、空気にも少し熱を含むようになり、どことなし悩ましい春めく気配を感じるのは、人や猫だけではないようで、インドカッコウは悩ましく最後を伸ばす歌を、雉ほど華麗ではありませんが、婚姻色で頭や喉の赤や黄色の羽毛が普段より鮮やかになったムネアカゴシキドリ(写真)が、ホッホッホッホッと、小鳩の鳴き声から語尾をとってしまったような長閑な歌を歌って恋の相手を探しだすのです。
彼らの声がいよいよ季節が移ろう明らかな兆しです。これから、いよいよ昼の時間の長さがもどってきたのを実感するようになり、午後の風は熱を含むようになり、落葉した大きなチークの葉がその風に大きな鳥のようにバラバラと舞う日が増えていくことでしょう。
9年前のこの日の日記ではまだ朝の気温は13度(今日は18度!)。まだまだ、寒かったはずですが、残念ながらこの頃は冬は短くなる一方のよう。なんと一昨日の夕方には雨季ほどの勢いはありませんが、大きな入道雲が東の空に現れて、陽が沈んだ後も夕日に輝くその姿は、ローカルニュースでも取り上げられました。
鳥たちの恋の歌を聞くのは楽しいことですが、冬が短かくなっていくのは、何か大きなものを喪失していく痛みを感じます。特に、南の国では。