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「コンテンポラリーの視点から考える日本の古典舞踊」

9/24 夕刻。
いつも劇場に入る時は少し緊張する。ドアを開けて入る場所は色々だけど、ダンスボックスは少し気恥ずかしい感じ。ただいま。劇場が包み込む空気は今回はぴりりとしている。ダンスを観る椅子が並べられている。嬉しい。オンライン参加の方達のzoom画面が後方に。私はシェアーズは今回初めて劇場参加。ダンスボックスではピアニストながら、ゴリ押しで色々な企画させて頂いて、感謝✨

さて、今回は日本舞踊「島の千歳」を3名のダンサー(上野愛実/ 渋谷陽菜/ 藤原美加)が和装と洋装の2回踊り比べ、さらに余越さんのトーク。マスクの中でグッと息を吸い込んで、気合充分に参加した。コンテンポラリーの視点から考える日本の古典舞踊って、なんだか凄そう!!

さて、スクリーンにはド本格的な日本舞踊家の白黒画面が映しだされ、その動画を背景に三者三様に踊る模様。「ついビデオの舞踊家の所作と比べてしまうんですけど。」「いや、それって踊り手の職業病じゃないの?」などの意見もあったけれど、それも含めて同じ演目を踊っている状態での個々のズレ。一体私、どこ見ればいいんですかー。お、美しいのぉ~、ビデオとシンクロ!やや、二人は揃ってるぞ、等この見方きっと違うのだけどやめられず、私の中のみんな揃って美しや、という日本仕様な脳、めためたに崩れる…。

3人の踊りは個々の身体に合わせて、自身のテンポで踊るのだそうで、な、なんか、深い…。このコロナ禍で、同じ場所で同じ演目を同じ音楽で、つまり同時に個人の踊りとして踊るわけでしょう?(何を言ってるんだ)それでも一つ同じ舞台で踊っているって、ねぇ、それを観てるって。ねぇすごくない?すごくない?急に涙ぐんでしまいそうに…私はその後1週間、国内外のダンス作品などを見ながらつい、3人で踊る、という場面を色々探してしまい、調和ってなんだね?共に生きるってなんだね?等問いつづけました。いい体験。

参加者のひとりから、舞踊というのはダンスと違って舞ってるって感じるのだけど、から始まり、もし目の見えない人がお稽古してもらう場合ってどんな感じになると思いますか?と質問。余越さん、たぶん師匠の身体に触れて、その動きを直に感じろと仰るのでは?と。目を閉じて、耳で踊りを感じてみたい。もう一度!!

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では、洋服になった踊り手側の感想の方は?

服は楽になって息がしやすくなった、師匠は忍者みたいなど、美加ちゃんに笑わされたけど、確かにものすごく楽しそうに踊ってる、との印象はあった。和装の袖の中の動きが晒されて、自分たちも剥き出しになった動きを隠せなくて戸惑う。実は袖の中で色々やっているので…と渋谷さん。上野さんの、頭のなかはぐるぐる巡りながら踊っているけれど、実は映像でみた舞踊家の動きは緊張されてて早くなってたりするんです!!でも最後の一手で魅せる。あぁこんな風になれたら、よいな、と。(その時の目の輝き✨)早く踊ってしまって時間が余ってしまった時は充実した石になりなさい、と余越さんのお言葉。ひゃぁ、いい言葉!

前半は平家物語→ アメリカのダンサーと日本の舞踊家が原型そのまま踊る「TYLER TYLER 」その際に師匠が鏡で踊る(左右振付を逆で踊る)余越さんの過去作品の動画を解説付きで観る、という贅沢な時間が繰り広げられた。

レイモンド・カーヴァのWhat We Talk About When We Talk About Love の題名の頭を取った「what we when we」の作品のこぼれ話(著作権に付いて等)師匠とのエピソード。全て師匠の見真似で、お稽古は3回までしか見てもらえない、など厳しい舞踊の世界に唸りながらも、とても贅沢な時でございました。

私自身コンテンポラリーの視点から考えられたのか…というと、口を閉じなくてはいけなくなりそうですが、楽しかった!です。

会場の皆様、オンライン参加の皆様もありがとうございました!また、シェアーズでお会いしましょう!ちなみに、私は暗い夜道は手を振りまわしながら踊って帰ります。誰も近づいてこないしおすすめ!10月9日から下町芸術祭もはじまりますね。みなさまいい秋をお過ごしくださいまし~。azumi piano(あづみぴあの)でした。

(azumi piano)


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