AIと一緒に小説を書きました③

これの続き。

----------

と、読み終わったところで顔を上げると、バスケ仲間のツツが遠目に見えた。
「ツツ!」
俺は少し大きな声を出して、ツツを呼び止めた。
「ジョンか、こんなとこで何やってんの?」
「ああ、成り行きでここで本を読んでたんだ。」
「なに?えらいアンティークじゃんか。古代のポルノか?」
と、俺から本をつまみ上げる。
「うえっ、文字ばっかじゃん」
ツツは開いて1秒もかからないうちに俺の膝の上に本を置いた。
「今から昼行かね?」
「おう、そうすっか」
気づいたらちょうど良い時間になってたようだ。
「なんだ?悪事の相談か?」
通りがかりの警察官が少しふざけた様子でこちらをうかがう。
「善良な市民だぜ?」
とツツが返答すると
「信じてるよ」
と、軽く手を上げながら警官は去っていった。
「ぜってぇ信じてねーだろ」
ツツと俺はゲラゲラ笑う。
「お前やばい薬とか持ってねえだろうな」
と、俺が聞くと、ツツはジャンパーの胸元を開き、じゃじゃーんというツツの声とともに、ジャンパーの内ポケットからビニール袋に入った白い粉をチラリと見せてきた。
「おい!やべーってそれ!魔法の粉やんけ!」
俺はツボに入ってしまったのか、自分でも訳が分からなくなるくらい爆笑してしまって、しばらくその場にしゃがみ込んで動けなくなってしまった。
ちなみに魔法の粉というのは、ハッピーターンというソフトせんべいに付属している調味料の粉の事だ。

しばらくして落ち着いたあと、最寄りのカレー屋で軽くランチを済ませる事になった。
カレー屋というのは、もちろんカレーも置いてあるが、食前にビタミンTと呼ばれるドラッグをキメてからカレーを食べると、非常に美味に感じる事が出来るため、ビタミンTのリキッドが装填された喫煙具も販売されている。
なお、移民宇宙船内においてはビタミンTは合法であるし、副作用や依存性等の社会問題も存在しないという事になっている。知らんけど。
「なあツツ、自由意思って何だと思う?」
「どうした唐突に」
「さっき読んでた本の内容だ」
「そりゃ多分、チキンカレーかシーフードカレーかどっちにしようか。みたいな話じゃね?」
ツツはカレー屋の今日のメニューを見て悩んだ様子で答えた。
違う、そうじゃない。
と、言おうと思ったが、結局少し考えた後
「ああ、多分そういう事なんだろうな」
と、返答した。
ツツの言う通り、あまり難しく考える必要は無いのかもしれない。
そう考える理由は、俺が既にビタミンTが装填された喫煙具を片手に、カレー屋のメニューを眺めているところだからだ。
ビタミンTをキメると、心が落ち着き、気分が穏やかになり、非常に怠惰になってしまうのだ。
もう自由意志の事は一旦忘れよう。という気分にさせてくれるのだ。
しかし、今度は俺と同じくビタミンTが装填された喫煙具を持ったツツから話を切り出してきた。
「そろそろ仕事でも始めようかと思うんだ。ジョンみたいな良い仕事じゃなくて良い。何でもいいから仕事をしないと…っていう気分に最近なる」
普段のツツからは聞けない、しかもキマってる状態から出る発言に俺は目を白黒させながら
「うんうん、それもまた自由意志だね」
と、返す事しか出来なかった。
「なんだよそれ」
ツツは少し笑いながら続けた。
「家族の事が嫌いって訳じゃないけど、そろそろ俺も20だし家を出て独り立ちしたいんだ。でも、家賃が払えなくなって実家に出戻りするのも無様だし、無責任だ。」
「ちゃんとそのへんは考えてるんだな。」
「それにあいつが自殺してしまった原因を考えると…よ…」
「ん…」
あいつ、とはバスケ仲間だった奴の事だ。
あいつは親元を離れてからも、働かずに宇宙船からの年金で暮らしていた。
暇を持て余していたが、宇宙船内で出来る娯楽も学問も限られており、放浪の旅に出るなんて事も出来ない。
そういった理由と、宇宙船に「生かされている」状況に、次第に生きる理由を見失ってしまったのか、自殺してしまったと推測されたのだ。
「そうだな。働く事はいいことだ。多少の暇つぶしになるしな。それよりカレー食わねえか」
ツツが言葉を紡いでいる間に、俺はちゃっかりビーフカレーを2人分注文していたのだ。
丁度いいタイミングでカレーが運ばれてきたのだった。
「俺の自由意志は?」
「無いって本に書いてあったぞ」

バスケットコートに行くと8人いた。
ツツと俺を合わせて10人。アライの予想通りだ。
って言っても、バスケットコートを全面使用して、ちゃんとした試合をする事は稀だ。交代要員もいないし。
大半はハーフコートで1on1をするか(残り奴らはだべってる)、3ポイント大会をするか…ああ、バスケットコートなのにバックギャモンをやったりしたな…
そんなゆるい集まりだ。
まあ、皆ビタミンTをキメてから来るというのもあるが…
ただ、今日は少しばかり体を動かしたい気分だ。
「なあ、今日は3on3やらね?」
俺の発言に皆が驚いて目を見開く。
ビタミンTをキメて、怠惰な気分になってから激しい運動をするというのは、至難の業だからだ。だが、
「いいよいいよー、全然オッケー!」
と、ドクが即座に賛成の声を上げてくれて、つられるように他の仲間も賛意を示してくれた。

今、久々に真剣にバスケをやっている。
俺が提案者なものだからか、相手チームの奴らは全力で俺をマークしてきた。
上等じゃねーか、やってやんよ!っていう気持ちで、マークを外しに行く…なんて事はせずに、今いたゴール下から3ポイントラインまで退いた。それが功を奏したのか、いつの間にか俺に対するマークが外れていた。
「ナイスジョン!」
と、味方からパスを貰う。と、同時に相手がカバーに入ってきた。俺が3ポイントを打つと思ったのだろう、ブロックの体制に入ろうとジャンプの姿勢を取った。
それを見逃さずに横にかわし、他の味方2人が相手を抑え込んでくれてるのを横目で確認すると、ゴール下までドリブルをしながら全力疾走し、
見よ!この洗練されたレイアップを!と心の中で叫びながらレイアップシュートを決めた。
実際には、はたから見たらかなり不格好なレイアップだったのは間違いないが、入れた事は入れたので良しとする。

と、ここで、俺の体はエネルギー切れになったのか、膝の力が抜けた。
ビタミンTのせいもあるが、普段の運動不足がたたったのだ。
俺は素直に、重力に逆らわずにバスケットコートに寝転んだ。
「おいおい、はえーっての」
と笑う仲間たちの声が聞こえるが、息切れを起こして何も言い返せなかった。
「まあナイスファイトだったぞ」
と、ツツが俺の頬に冷えたコーラの缶を押し付けて、だらしなく寝転んだままの俺の腹を軽く叩いた。
「センキュ」

その後はいつも通り、のんべんだらりとした緩慢な時間が続き、俺は体力が回復しても、また3on3の続きをやろうと言い出すような空気ではなくなってしまった。
だべってた俺たちの話もネタも尽きかけたころ、俺はさっきのプレイを思い返していた。
あの本が本当のことを書いているなら、俺のさっきのプレイは、俺の脳のプログラムが俺を動かして、俺がゴールを入れる事も、その後でエネルギー切れになる事も事前に決められたことだと言うのか?
俺は皆の会話の輪から離れて本を開いた。

「"非両立説と自由意志 ― 科学的真実と社会の調和"

著者名: チディマ・ウソボ

自由意志が存在するかどうかについての古典的な議論は、自由意志は決定論と両立しないため、存在しないと主張しています。
これは「非両立説」と呼ばれる立場に基づいており、これまで多くの研究がなされてきました。
自由意志が決定論と両立するかどうかを明らかにできれば、自由意志とは何かを理解するための重要な手がかりとなります。

しかし、仮に非両立説が正しいとし、自由意志と決定論が両立しないと考えたとしても、私たちの生活や社会にどのような影響があるでしょうか。
決定論が正しいかどうかについては、まだ結論が出ていないという意見が多いです。
だからといって、非両立説が正しいとすれば、それが自由意志が存在しないという結論につながるわけではありません。

私たちの社会には、決定論を前提に設計された制度は存在しないようです。
だから、たとえ決定論が正しいと証明されたとしても、私たちは自由意志が存在するという前提のもとで生活を続けていくことが可能です。

実際、地動説が正しいとわかっているにもかかわらず、「太陽が昇る」と言いますし、その表現に矛盾を感じることはありません。
天動説が誤りであるとされたことは、科学の進歩に大きく寄与しました。
それでも「太陽が昇る」という表現が否定されることはありませんでした。

決定論や自由意志についても同じことが言えます。
それらが誤りであるという発見がどれほど学問的に重要であっても、私たちの日常生活の慣習は変わらないかもしれません。
どうしても何かを変える必要があるとは私には思えません。

ただし、上記の議論が自由意志の存在を支持しているわけではないことに注意してください。
決定論が科学的に正しいとされたとしても、私たちの生活や社会をそれに合わせて変える必要はありません。
これは科学的な発見について疑問の余地がないことを意味します。

科学は日々進化しています。その都度制度を変更するのは無理があります。
むしろ、大きな問題がない限り、科学との矛盾をそのままにしておく方が理にかなっていると思われます。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?