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2020年8月の日記

8月*日
闘病中の母の状況がよくないと先月末に連絡があった。突然のことではないが、やはり戸惑う。なんとか持ちこたえたようで、コロナの中、周囲に気遣いながら実家に戻り、病院を見舞った。救急救命病棟の相部屋で、声を出す元気もない母だったが、それでも小さな声で「まずは一般病棟に戻ることが目標」だと。一目見るだけでいいので、何度でも来ようと思う。

8月*日
長女小2を連れて、神奈川歯科大学附属病院へ。乳歯が欠けてしまうことの治療相談、紹介状を持って初診。場所は横須賀基地の横で、看板などを見ながら「アメリカに来た気分やなあ」と娘と盛り上がる。医師の見立てでは、何やら器具を装着したり、通院治療も必要なようだが、永久歯が生え揃うまでの話だということで、大きな心配はなし。それにしても、大きな病院通いが続く毎日だ。

8月*日
人事・経営者向けの雑誌「HITO」の取材で、JTのI井さんを取材した。生き残りをかけ、大型M&Aを仕掛けた渦中にいたI井さん。買収後の社内融和の際、従業員が働く幸せを感じられているかどうかを優先事項として各種サーベイでチェックしていたという話の中で、「サーベイは国の歴史を反映すると学んだ」という話が面白かった。例えばロシアの子会社では、抑圧されていた時代の名残なのか、「あなたは今、幸せを感じて働けていますか」といった類の質問に回答する際に、「例え匿名でもNOと書くと密告されて処罰されるのではないか?」という猜疑心が働きがちだという。一方でアジア圏の場合は、匿名だと、思っている以上のことを書きがちな面があるという。そういったものは、個々人の資質ではなく、歴史が背景にあるから、グローバルトップマネジメントにおいては、歴史を学ぶことが必要なのだと。日本の会社ばっかり見ているぼくには、頭では分かるが身体では理解できていない視点だと思った。

8月*日
アソブロックでは各自が自分の年俸を決める。今年もその時期がやってきて、全員から宣言額が出揃った。上げるもの、下げるもの、色々だ。兼業が必須なので、この時期に来年の働き方や、キャリアの棚卸、今後どうするのかなど、各自強制的に内省が回る。それもまた、成長支援を担保する仕掛けのひとつだ。

8月*日
どうでもいいことだけれど、ここ二日ほど、夜眠れない。いつでもどこでも熟睡がウリなのに珍しい。確かに暑い夜が続くが、引っ越して鎌倉の湿度に身体が悲鳴をあげているのか。夜中はネットニュースも更新されず、なんとも不愉快な時間が続く。

8月*日
夜9時頃、父から母の病状が急変し、病院から呼び出しを受けたと連絡。後で知るのだが、解熱剤の点滴で身体全体の機能が低下し、血圧が60台になったことへの対応だった。18時過ぎまで病院にいた父はとんぼ帰り。芦屋に住む弟も、深夜になるが駆けつけるとのこと。私は鎌倉からの足がない。車で事故でも起こすと面倒なので、明日始発で向かうことに。万一のことはないと思いつつ、死ぬなよと願う。

8月*日
始発電車は4時57分。駅までのバスは出ていないので、歩いて30分。起きてすぐ出られるように準備を万端にし、4時15分に目覚ましをかけておいたら、4時13分に自然に目が覚めた。順調に大津に向かい、8時30分には病室に。昨晩はずっと弟が状況報告をしてくれていて、一進一退の状況は把握していた。病院まであと20分ほどの山科駅で弟から「私に携帯に電話をください」とメッセージが来た際には「まさか」と思ったが、「病院についたら」という意味だった。驚かせるな、と思う。

病室の母は意識がほぼなく、声も漏れかなり呼吸が苦しそうだが、血圧は70台に回復し、峠は越えたようだった。手を握り、「よく待っていてくれた」と声をかける。その後、体調に不安があり病院に来ることができない妹もリモートでつなぎ、父、弟、妹、私の4人で母を見守った。

夕方頃からだろうか。呼吸の際、母の眉間にシワが寄るようになった。そのため、息を吸う際にかなり険しい顔になる。とても苦しそうで、鬼の形相とまではいかないが、見ていて辛い。21時頃、主治医にそのことを相談。主治医は「意識も混濁とする中なので、見ているほどにご本人に苦しさはないのではないか」と言う。しかし、見ているのが辛い。熱もずっと40度近い。元々、延命も苦しいのも嫌だと強い意志を持っていた母の気持ちを考え、父が「ホスピスだとどういう対応になるか」と聞く。主治医が「基本的に病院と変わりませんが、もしかしたら痛みの緩和に向け、麻薬的なものを使う段階かもしれません」と言う。「そうしてやってくれないか?」と家族の意向を伝えると、主治医は少し考えた後に、母に「それでいいですか?」と語り掛け、処方箋を書きますと言ってくれた。

22時30分頃、15分で解熱剤を点滴。その後すぐから、ごく弱い麻薬(モルヒネ等)の点滴を始めた。徐々に険しい母の眉間のシワが減り、穏やかな顔になっていく。スマホを通じてだが、一番近くで母の様子を見る妹が、明らかに表情が良くなってきたと声を出す。病室にいる父、弟、私もそれを確認しホッと一息。椅子に座って襲い来る睡魔と戦いを始めた最中、妹が「お母さんの息がおかしい、息をしていない、口から黄色いものを吐いた。見てあげて!」と立て続けに大きな声を出す。すると、私の目の前にあった母の足が突然ビクンと上がった。何事かと枕元に行くと、確かに息をしていない。急ぎでナースコールを押す。詰所にいた看護士が、すぐに来てくれる。そして「実は先ほど心拍が0になりました」と言われた。「つまりは」と確認。看護士はそうとは言えないのか「心拍が0だということです、先生を呼んできます」と返す。そこで、「そういうことだよな」と事態を飲み込んだ。

23時38分に当直医により、死亡が確認され、長い一日が、予期せぬ形で終わった。ちなみに、妹は確かに見たというが、そしてそう叫んだことを皆が聞いていたが、酸素マスクの中にも衣服にも、何かを嘔吐した後は何一つなかった。病室に来られなかった妹が、リモートでつないだipadの画面越しに、まさにその時を看取れたのが、良かったと思う。

8月*日
感染者が増え続けているが、PCR検査をした友人や感染した知り合いは誰一人おらず、一体どこの世界の話だと思っていたら、遂に今日の取材を頼んでいたベテランライターのM内さんが濃厚接触者となり、急きょのキャンセルになった。もはや次を手配する間はなく、大手建設会社・S水建設のI上社長に自ら取材することに。前日に予習をしまくって、何とか乗り切る。汗をかいた。

8月*日
母の死から10日後。まさかこんなことになるとは思わず予定を組んでいた、「団士郎トークライブ」をzoomで開催した。2,000円の有料講演にも関わらず、100名の参加希望を集めた。母の死までの参加希望は50人。SNSで、母のことを伝えた後に、突然申し込みが殺到し、もう50人。最期はzoomの視聴可能数の関係で、お断りをする流れになった。京都の二条御幸町にある士郎さんの仕事場から中継。2時間に渡り、母に関すること、そこから家族のことが語られた。まるでお葬式のスピーチの続きのような。今回に限っては、参加者ではなく、参列者の様相だった。

8月*日
懇意のI元さんが経営をサポートするデザイン会社の社長が、アソブロックの運営の仕組みを聞きたいということで、オンラインで2時間ほど話す。こういった機会が時々あるが、話すことで整理・確認できることが毎回ある。社員や関係者の成長を最優先する経営、俗的な評価指標に惑わされない経営、ただそこを追求するのみだ。

8月*日
母の二七日法要。ちょうど関西にいたので参列した。といっても参列者は父、弟、私。そして横浜からリモートで妹、の4人。読経してくれたT中導師の講話を聴き、その後4人でロイヤルホストに食事に。T中導師と父は長年の友人。私も幼い頃、とても可愛がってもらった。母を偲ぶ良いひと時になった。

8月*日
月に一度の出版社・ホンブロックの定例会議。先日のオンライン講演会の後にBASEを利用した書籍販売で望外に冊数が出た。一連の取り組みに可能性を感じる。肝入りで準備を重ねた、木陰の物語「広がる!」プロジェクトのWEBサイトが遂に完成。個々人の物語を読み、書きすることで相互に支え合う「語りの互助プラットホーム」を目指したい。国語辞典ならぬ、家族辞典のようにね。 https://honblock.net/kokage/

8月*日
長年の友人Sさんと始めた「新しい家族のカタチを考える会」の第一回目のイベントを開催した。ぼくの出番はないので、一視聴者としてzoom参加。Sさんの「少しでも早いタイミングで子育てについて様々な選択肢があることを知っておいてほしい」という想いが、トークから溢れ出ていた。 https://www.new-family.info/

8月*日
「家族支援」はライフワークのひとつと化しているが、これまで実現したいと願いながら中々上手く行かなかった「家族の構造理論を子育て渦中の現役夫婦に学んでもらう」という企画について思いつくことがあり、懇意の雑誌「かぞくのじかん」M編集長にメール。早速「検討する」と返答があった。