2024年7,8月の日記~「線状降水帯がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 」号~
7月*日
アソブロックのホームページが新しくなった。なんだか嬉しい。
今回のリニューアルにおける最大のニュースは、アソブロック史上はじめて「事業を定義した」こと。アソブロックは「人の成長支援プラットホームであること」を存在意義にしているので、これまで「特定の事業はありません」と公表してきた。
その気持ちは今も変わらないのだけれど、主たる事業というのを一度書いてみたいとも思い、何か書けることがないかと考え続けた結果、思い至ったのが「応援」という言葉。
そういえば、アソブロックは社内外の人を応援することを営みの中心にしている。
実際はその人たちが成し遂げたいことが依頼として届くことが多いので、プロジェクトという形で伴走しながら価値実現に向けて事業的なことをしているように見えるが、本当にしていることは関わる人たちの応援であって、人が育てばプロジェクトは自ずと成功するというくらいに考えている。
であれば主たる事業として「応援」が相応しいのではないか。応援を主たる事業に据えている会社なんて、うちと「我武者羅應援團(がむしゃらおうえんだん)」くらいではないか。なかなかいい思い付きだ。あちらが我武者羅なら、こちらは遮二無二。応援されたい方は、ぜひどうぞ。
7月*日
メンバーにS崎くんという男子26歳(たぶん)がいる。
ベースはいいのだけれど、なかなか殻を打ち破れない面がある子で、環境を変えさせようと出稼ぎに行かせたりもしているんだけど、基本、いつも「モヤモヤ」している。先日行われたらしい「わかもの会」(グループの「わかもの」が集ってお酒を飲む会)でも、モヤモヤ・オンステージだったらしい。
でも、そのモヤモヤを聞いてくれる仲間がいるのだから、それもまた通過儀礼なのかもしれない。そんなS崎くんの、ここは才能がある!とぼくが睨んでいるのが、文章を書く力。以下は先日、会員さんに向けて送られた「ホンブロック通信」に彼が寄せた短い文章だ。
抑制が効いていて、とてもいい。平易な文章なのに、読み手の中で情景が広がる。母との関係性も、なんとなく見えるような気がする。
「S崎、書く仕事に本格的に取り組んでみるのもいいんじゃないか」
と声をかけたら
「ぼく、この文章書くのに1日半もかかったんですよ…。とてもじゃないが、持ちません」
と笑っていた。ワンチャンあると思うんだけどなあ。
7月*日
主宰するシェアオフィス・合羽坂テラスで友人たちと上映会をひらき「自由な学校」という映画を観た。
トエックという徳島県にある幼小連携校の日常を丁寧に掬ったドキュメンタリーで、同校の卒業生である齋藤千夏さんが監督。彼女も会場に来てくれて、にぎやかで大変愉しいひと時となった。
特に印象的だったのは、映画の中で、同校を卒業し、公立の中・高と進んだ男の子が、卒業後を振り返り「トエックを出てから、違和感との付き合い方が上手になってしまった」と語っていたこと。そう表現できる16歳はすごい。
映画を観ていて、思い出した風景がある。それは、もう10年以上前のことだが、息子が川和保育園(ここも相当変わった保育園)に通っていた頃の父親懇談会での話。
40近いパパが「私は、ここに息子をどうしても入園させたくて、妻を説得して引っ越してきました。なぜなら、私のこれまでの人生で一番楽しかったのは、川和保育園時代だったからです!」と熱く語っていた。お酒が多少入っていた勢いもあって、私はつい「相当つまらない人生ですね」と小声で返してしまった。ちょっと言い争いになったのでよく覚えている。
決して彼を攻撃したかったわけではない。多少、園長に気を遣った発言であることも分かっている。でも、自分の人生をそんな風にしか語れない大人を育てているのだとしたら、教育機関として失格だと思ったのだ。
「保育園時代が最高」なんてメッセージ、子どもたちに夢も希望を与えないじゃないか。教育はすごく重要だし、従事している皆さんにはリスペクトしかないけれど、一方で、忘れられてなんぼ、なところもあると私は思う。「亡くなって、はじめて分かる親の愛」じゃないけれど、質の高い教育って、そういうものなのではないだろうか。
「自由な学校」、色々なことを考えさせてくれます。機会があれば是非ご覧ください。
8月*日
アソブロックの社長に戻り、ナビサイトへの掲載を再開した。
その名も「リクナビ」。オワコンと言われようが、やはり今も多くの大学生が見ている。私はこの就活が日本の若者の活力をある意味奪っている側面もあると思うので、一石を投じるならここだと思い、「世の中には、いろんな会社があるんだなあ」ということを伝えるためだけに、ナビサイトに掲載を続けている。
なので、文章もちゃんと違和感があるように。エントリーを募るために、本音と建前を使い分けたりもしない。「きもっ!」と思われたら本望で、でも、きもくても20年続く会社もある。
・内定を得るためには本音と建前を上手に使い分けることが大切だ
・社会人になるということは、子どもみたいなことを言わないということだ
などという学習は、決してマストではない。そんなメッセージが、ひとりでもふたりにでも届いたら本望だ。
掲載後、学生からのレスポンスは大したことはないが、友人や仕事仲間からのレスポンス量はすごい。その大半は、「よく掲載規定を通ったな」というもの。確かに、好きに書いている。
8月*日
大学を卒業して、志したのは小説家だった。芥川賞くらいはすぐ獲れるだろうと、なんの知識も根拠もなく、大阪府守口市の図書館で、朝から晩まで小説を書いて過ごしていた。
ONは小説を書くこと、OFFは小説を読むこと、
図書館は最強の仕事部屋で、自分的には毎日仕事をしていたが、収入は0円。やがて親、友人たちへの借金が自分的限度額に至った。でも普通のバイトをするのは悔しくて、たまたまコンビニで見かけた「ハナコwest」(マガジンハウス)に「文/***」とクレジットされているのを見て、これくらいならすぐ書けるだろうと、フリーライターもしてみることにした。小説が売れるまでの、腰かけだ。
100枚3,000円(なけなしの金)で作った名刺を片手に、訪問したマガジンハウス関西版編集部。雑誌内の文章を指さしながら、
「ぼく、これくらいなら余裕で書けますよ」
と豪語し、仕事歴として、文芸誌に応募しただけが勲章の小説を渡したところ、あきれ果てられた。
ところがどっこい。若くて・安くて・早くて・やる気がある、という4拍子揃った若手フリーライターは、数カ月の潜伏期間を経て売れっ子になった。
やがて「編集もやってみろ」と抜擢され、食うために必死に頑張る中で、
「編集って紙の上だけじゃなく、世の中も要するに編集やん!」
と気付き起業。アソブロックを創業して22年目になるが、今も「書く」ことは常に隣にある。「書く」ことを通じて、あるいは「書く」過程で知り合った人たちから、たくさんの学びを得てきた。その一端をシェアしてくれないかと、友人のナカムラケンタさんに誘われて、こちらの講義で1コマ持つことになった。担当は、10月29日の会。
8月*日
夜22時頃だったか。東京・蔵前(台東区)にあるsalviaの夜番スタッフ(女性)から電話がかかってきた。
「あ、あ、団さん、あ、あ、」
かなり切迫している。店にいるのはその子だけだから、お店に強盗でも入ったか、危険な目にでもあっているんじゃないかと思いド緊張したら、
「あ、雨が、雨が…」
と言う。
蔵前のお店はレトロビルにあり、エリアに運悪く線状降水帯がやってきたそうで、店内中雨漏りがするわ、排水設備の不良なのか、シンクから水が逆流してくるわ、大変なことになっているらしい。
レトロビルの1,2,3階を借りているが、2Fのシャワー室からは、開栓していないのにシャワーが出ている、とか。何よりも、「商品が! 商品が!」と彼女。必至に濡れないところに移動しているものの、雨の勢いが強すぎるのとワンオペだということもあり、迫りくる大雨に太刀打ちできず、
「あ、あ、あ、」
と、金魚がエサを求めパクパクしているような電話口。焦る彼女を落ち着かせようと、「なるようにしかならないから、もう諦めて帰れば?」と言ったものの、さすがにそうはいかないと言う。「1時間ほどかかるけど、今から車で行くわ」と伝え到着したのが23時過ぎ。
小降りになった雨の中、絶望的な顔で迎えてくれたスタッフは、もはや動かすことも難しいものが残るなか、今何してたの?と聞いたら「神頼み」と苦笑い。
中に入ると、何がすごいって、古い建物だから、どこから流れ出てくるのか、水とともに大量の砂が流れて来ていた。いろいろなところが砂利砂利で、これに絶望した。
ニュース番組なんかで知っていたはずだが、風雨被害においては水もさることながら、その後残る砂、これが人の心をくじくんだと、よく分かった。
それから深夜3時頃まで、二人で砂利の処理をした。くしくも夏の甲子園の熱戦中。
「泣きながら砂を集めるのは同じやな」
なんて言いながら、さすがにもう帰ろうと諦めた帰路、彼女が「腹が減った」と言うので二人でなか卯に入り親子丼を食べた。気分は絶望的でも、ちゃんと腹は減る。飯を食うと、ちょっと元気になる。人間って、いいな。