2020年4月の日記
4月*日
アソブロックに1日に入社した新卒社員K林と、中途社員A岡へレクチャー。アソブロックとはどういう会社であるかを中心に話す。とはいえK林は新卒社員、電話の取り方、名刺交換の仕方などを、社会人経験があるA岡から教わる。完全スマホ世代。電話で名乗る習慣がないため、会社の電話は取るところから難航。
4月*日
丹波出張。定宿のパークイン柏原泊。目的は10年近い付き合いになる建築会社・Y社のブランド動画撮影。とあるご夫婦の、ご自宅ができるまでを、設計段階から1年かけて追っている。丹波の風景を撮ろうと、桜の見頃を狙って来丹。加古川や篠山川沿いの並木が美しい。こんなに桜が溢れた街をぼくは他に知らない。
4月*日
コロナの影響で経営を見ているS社の状況が厳しい。元々10月で規模縮小とスタッフ全員で共有していたが、コロナ禍で店舗休業を決め、プロジェクトもペンディング傾向が強く、入金がままならない。状況共有・現状認識のため話し合いたいが、3密要因となりそれもままならない。事実だけを知らされても、解釈の共有がなければ経済不安が健康不安を引き起こすこともある。LINEやZOOMでは限界がある。
4月*日
長男の中学校入学式に出席。これでもかというくらい間隔を空けた座席で式典を見守る。緊急事態宣言の発令が決まる。最近こんなのばっかりだ。夜、「折り入って話が…」と連絡が来たN木と食事。そこで衝撃な相手との結婚報告を受ける。こんな幸せな気分があるのか…というくらい、いい気分。コロナで下がり目だった気分に喝が入る。できることを全力でやって、役に立つ自分であろうと心に決める。
4月*日
日経ビジネスのS方記者が来社。未曽有の事態にアソブロックはどう対応しているのか?がテーマの取材。メンバー各自が相応の負担を自ら申告し、それを引き受けることで難局を乗り切ろうとする風土と実践がある話をする。夕方、安倍さんから正式に緊急事態宣言。以後6週間で、ウイルスとの完全別離を切に願うばかり。
4月*日
妻が仕事なので、小2と中1が相手の即席「団塾」を開塾。出社日をのぞいて、平日は3時間、土曜日は2時間の短縮授業を、できる範囲でやることにする。G.W.まではこんな感じが続くのだろう。朝は一緒に勉強をして、昼を済ませて午後は散歩。越してきた鎌倉は散歩スポットが豊富なので助かる。
4月*日
3月に取材されたイギリス国営放送BBCの番組が公開になった。映像が美しいことと、取材局がBBCという物珍しさからか、レスポンスが多く、久しぶりの友人からメッセージなども届いた。G.W.に開業10周年のイベントを企画していた愛知県安城市にある「暮らしのお店」アニバーサリー企画が延期に。様々に段取りしていたので、残念。
4月*日
コロナには関係なく、鎌倉に越したら、新宿への出社を出張扱いにしてみようと考えていたので早速実践。新宿のオフィス近くのPホテル(1泊5,500円)に泊まり、朝から夜中まで、まとめて仕事をする。大変はかどる。移動は、通勤電車を避けて車を利用。帰りに妻から頼まれた買い物を済ませる。高速道路も空いていて、電車で通勤するよりも断然早かった。
4月*日
京都腑舞鶴市で経営するカフェ「カンマダイニング」にも如実にコロナの影響が出てきた。愛知県安城市の雑貨屋「くらしのものがたり」の売り上げはここ三日間、0円、1,100円、0円と散々。数字のやり繰りに苦悩するS社の卸事業も相変わらず注文が全く来ない。緊急事態宣言で雑貨屋さんも店を閉めざるを得ないのだから、当然だろう。資金繰りを続けながら、考えるのはここをどう乗り切るかばかり。
4月*日
朝、車で10分ほどの場所にある鎌倉霊園に眠る義父の墓参り。その後、義妹と甥っ子が遊びに来た。引っ越しで近隣に友だちがいないので有難い。子ども達を近所の公園に妻が連れて行ったら、近所のお爺さんが出てきて「自宅に戻れ」と言われたらしい。近隣宅から終日公園を見張っているようだ。気付けば今日は日曜日。とうとう、曜日感覚がなくなってきた。
4月*日
先週から始めた、週に1度の「東京出張」。1泊2日、根を詰めて仕事をする。とはいえ、コロナの影響下。資金繰りの検討や助成金の申請準備、主宰するシェアオフィスの家賃減免申請や、入居法人・個人への支払い猶予案内など、お金に関することばっかり。全然創造性がない。
4月*日
緊急事態宣言の対象区域が全国に拡大された午後、東京都稲城市のR幼稚園へ。半年以上かけて、学園メッセージやロゴ、タグラインなどを作り直してきた、最終局面の打合せ。窓を開け放った部屋で、十分な距離を取り、3密回避の中で打ち合わせた。方向性はほぼ確定し、よいロゴ、タグラインができた。幼稚園という枠を超えた、関係する人すべての学び舎に、という想いを込めた。
4月*日
丹波のY工務店から、新しくリノベーションの事業を立ち上げたい、ついては立ち上げ支援をクリエイティブ面から頼めないか、という依頼があったので、簡単な提案書を書いた。事業可能性の有無は、経験からある程度読めるが、有だからといって必ずしも成功はしない。最大のポイントは熱意ある専従者がいるかどうかと、どこまで我慢できるかの二点だと思う。
4月*日
鎌倉警察署へ車庫証明を取りに行く。電話で事前に問い合わせたが、緊急事態宣言下でも、引っ越し後15日以内規定は不変だそうだ。道路使用許可の申請窓口と並んで行列。窓口対応の警察官は迷惑顔だが、並んでいる方も憂鬱顔だ。誰かの咳に全員が反応して、まるで息の合ったオーケストラのようだ。いや、今は息が合ってはいけないのだった。
4月*日
N大学・経済学部の広報をもう4年ほど担当している。本来なら19年度中に終わらなければならないWEB改修が、コロナの影響で遅れており、その協議に大学へ向かう。少人数で、今後の方針を検討した。建物受付で検温(ぼくは36.6℃で合格)とアルコール消毒。ロビーでの待ち合わせは禁止。ところが隣のビルのラーメン屋は行列だった。何が何やら。
4月*日
3月にオンラインで取材されたWEBメディア・キャリアコンパスの記事が公開になった( https://ix-careercompass.jp/article/4586/ )。F.B.への投稿を備忘転載しておく。
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「僕らもまだ模索している途中」だと文中で言っていて、そこをちょっと補足させてもらいます。メンバーシップ型からジョブ型への移行が言われる昨今ですが、ジョブ型で10年やってきた身としては、今、次の提案を社会にしないといけないと思っています。それは、ジョブ型ベースのメンバーシップ型の在り方です。
コロナの「自宅待機」は「後回し」の言い換えだと個人的には感じているのですが、「ジョブ型」も「成果主義」の言い換えで、日本社会は「成果主義」を弱者切り捨てになる、格差社会を助長する、と敬遠してきました。言い方を変えてもその本質は変わらないわけで、このままの流れでジョブ型が定着すると、懸念が現実になる可能性が高いです。
アソブロックではその懸念をどうすれば打ち破り、ある意味、健康なジョブ型が成立するのかを、引き続き模索しています。鍵は「ベーシックインカム」なのだと思いますが、営利法人である以上、化石燃料の恩恵にあずかれるような国が始めているような行政主導なそれは成立しません。でも、営利法人にも何かやり口があるはずで、とそこを追求し、「こんなんどうですか?」と提案できないかと思う日々です。
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4月*日
3回目の東京出張。十分に距離を空け、換気をしてホンブロックの定例会議。10年目を迎える「木陰の物語 届けるプロジェクト」の進捗など、意見交換した。夜、家賃減免措置を相談していた新宿オフィスの大家さんから、5カ月・20%減免の連絡をいただく。大変ありがたい。
4月*日
毎日が祝日みたいなものだが、暦的にはG.W.前最終日。アソブロックのプロデューサー会議を行った。コロナでどのチームも痛手を被っている上に、Y井の役員兼務先が上場企業に買収され、来期はアソブロックでの活動を縮小、あるいは休止する方向との報告があった。Hには初子ができ、9月から産休を取得する予定だとか。コロナの中でも各々の事情は動く。すべてを前向きなきっかけにしなければと思う。
4月*日
デザイン事務所eaでアートディレクションをさせてもらっている雑誌「かぞくのじかん」のM月編集長から「コロナ禍の今、思うこと」がテーマの短い原稿執筆を頼まれ、執筆。午後は恒例の家族散歩。引っ越し直後が功を奏し、知らない道が色々あるので楽しい。夕方、小・中学校の休校が5月末まで延長と正式に発表された。G.W.が終わるまで、と思っていたが、あと1ヵ月もこれが続くのか。