日記番外編1~考えるロダン~
こういうセットで駅のトイレに行きましてね。
入口に「男性清掃員作業中」という掛け札があって、
中に入ると、歳の頃は70に近いんじゃないかと思われる男性が、
とても熱心に小便器を清掃されていました。
ウナギの寝床的な空間に、整然と10ほどの小便器が並んでいて、
最手前のそれに立って用を足そうとしたら、
清掃後、清掃前の区分けがあるんでしょうね、
「奥からお願いします」
と声をかけられました。
「はい」と返事をして、
さて、このキャリーケースとブリーフケースをどうしようか、
と考えたんです。
通路が狭いので、奥の小便器までゴロゴロ連れていくのは邪魔になる。
まあ、ここに置いておくのが妥当かなと思い、
通路の最手前のスミっこに、ひっそりと置いて、奥へと進みました。
清掃のおじさんは本当に熱心で、
厚手のゴム手袋を装着した両手を小便器の奥に突っ込み、
こちらまで音が聞こえてきそうな勢いでゴシゴシされています。
ぼくの方はというと、まずまず長時間我慢していたものですから、
「まだいくの?」と呼びかけながら、
ゆっくり深呼吸をする、いい時間を過ごしていました。
年齢を重ねるとキレが悪くなりますから、
「出切った」と思っても、自分を信じちゃいけません。
そろそろかな、と思ってからが勝負です。
と、その時です。
最手前の小便器の清掃に移ろうとしたおじさんと、
ちょうど入ってきた男性サラリーマンがぶつかりそうになったんです。
なんと言ってもウナギの寝床、通路が狭いんです。
おじさんからすると、男性サラリーマンはご利用者さまですから、
おじさんが道を譲ろうとされました。
しかしそこは推定年齢70歳。
車は急に止まれないよろしく、じじいは急に曲がれないわけで、
よろめいてしまったんです。
よろ、
よろよろ、
よろ。
その結果、ぼくが
「通路の最手前のスミっこに、ひっそりと置いた」
あのカバンセットに触れてしまい、
キャリーケースの上に置いたブリーフケースが床に落ちてしまったんです。
あ、
と思ったら、予想通り残尿がザっと出たんですが、
そんなことを喜んでいる場合ではありません。
じじいは急に曲がれないよろしく、あそぶは急に動けないわけですから、
もどかしい気持ちでことの成り行きを見守っていると、
おじさんはサッとその手でブリーフケースを元の位置に戻し、
まるで何事もなかったかのように
最手前の小便器との最終決戦に備え始めました。
でもぼくは知っているんです。
おじさんの両手にはめられた、あの厚手のゴム手袋は
つい先ほどまで、小便器の最奥部・アンモニア菌パラダイスにいたことを。
できれば知りたくなかった。
でも知ってしまった。
こういうことの連続が、人生ですよね。
ぼくはたちまち、軽快な深呼吸おじさんから考えるロダンに転落です。
・ブリーフケースは明らかに雑菌にまみれている
・でもおじさんはなかったことにできたと思っている節がある
・不可抗力である、おじさんに文句があるわけではない
・でも、そのままなかったことに、ぼくはできない
これぞ人生ですよね。
行くも地獄、引くも地獄。
おまけに、ぼくはとうに小便は終わっていますから、
いつまでもここに居座ると、別の心配をされかねません。
早く動かなきゃ、ということはすなはち、
早く方針を決めなきゃ、ということ。
これも人生ですよね。
大事な決断が、いつも深くじっくり考えられるとは限りません。
次の瞬間、ぼくは「何も見なかった」ふりをして、
おじさんの後ろを通り過ぎ、両手を洗うと同時に、
たまたま持ち合わせた手ぬぐいを水に濡らし硬く絞り、
おじさんには絶対に見えない角度でそっと、
手ぬぐい越しにブリーフケースの持ち手を握り、
トイレを出たのでした。
トイレから出てすぐ、
「何の気遣いやねん!」と己に突っ込みながら
手ぬぐいでブリーフケースを綺麗に拭き上げ、
さらにキャリーバックとの接点まで美化したのは、
言うまでもありません。
しかし、考えるロダンに休みはありません。
次に向き合うは、
「この手ぬぐいをどうするか?」
です。
これもまた人生。
人生の醍醐味とは、
悩みとともに過ごすことなのでありましょう。
(2022/5/19)