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2024年6月の日記~「お金も時間も、余裕ができると、人は案外ダメになる」号~

6月*日
義理の母と旅にでかけた。
一時期は寝たきりに近く、「臥せっている」という表現がぴったりだった義母だが、食べる量が増えるに従い、まずは持ち前の毒舌が戻ってきた。
やがて散歩ができるようになり、ついに旅へ。この間約4年。元気の源は「食事」だと、改めて思わされた。
4年振りの旅のプランニングを任された私がまず目標にしたのが「また行きたい」というフィナーレを迎えること。
旅の帰路に立ち寄ったロイヤルホストでは、メニューを見るなり、「こんな量は食べられない」と絶句しながらも、フライドポテトを注文。思ったより山盛りで到着したポテトを食べながら、最新のスマホにたっぷり追加された旅写真を見返していた。


6月*日
「団さんって、何やってもうまくいくよね」と言われた。
ときどき近しいことを言われることがある。そう思ってもらえて大変ありがたいのだけれど、実はそんなに難しいことではない。
秘訣は、上手く行かないことは固執せず止めること。ただそれだけである。なんだ、そんなことか、と思われるかもしれないけれど、私から見ると、世の中は上手く行かないことを熱心に続ける人で溢れている。
ここで言う「止める」は大胆な方針変更などではない。ありたい姿になるための、日々のチューンナップ程度のことだ。
例えばスケジュール管理が上手く行かないと自認があるのに、同じ管理法を続けてしまうような、些細なこと。「次から気を付けよう」とやり方ではなく、意気込みに期待を込めてしまいがちな人は、要注意だ。
ミスは必ず起きる。何一つミスを起こさない人は、何の挑戦もしていないということだから、伸び幅が期待できないと私は判断する。ミスが起きるとお詫びに来る。「ミスは次に進むためのエサだから全然いいよ」と私は答える。相手は「次から気を付けます」と笑顔になる。そこで大事なのが、気を付け方。
意気込みタイプの人は、伸びしろが薄い。まれに、量をこなすこと(勝敗比率は変わらないが試合数を増やす)で実績をあげる人もいるが、このタイプがマネージャーとして昇格した場合の部下は最悪だ。

6月*日
「よい会社」を増やすためにはじめた、「自社に変化を起こしたいと考えている人を具体的に応援する」がコンセプトの内側ゼミナール
オープンセミナーを経て、参加者も見えてきたところで、最後の打合せを行った。
論点は、自社の現況の捉え方を可視化する手段。それぞれが持ち込む自社の課題は個別的だが、それらの課題はすべて会社という舞台の上で起きている。そこに関しては同じ。ではその舞台の今をどう見立てているのか、というところも共有できないと、本当の意味で具体的な応援することは難しい。
それを国際IRフレームが提唱する「6つの資本」を活用してできないか、と考えたのが、そもそもの発端であったりもした。
今日はレゴを使ってやってみた。
国際IRフレームでは、会社は6つの資本をつかって活動し、6つの資本に再投資していく、と考える。6つとは、製造資本、知的資本、金融資本、人的資本、社会・関係資本、自然資本だが、金融資本の強化ばかりに気を取られている結果が、決していいとは思えない今の世の中。そのことを構造的に分かりやすく整理することができる。


アソブロックでいえば、人的資本頼みで、社会・関係資本への再投資はよく行えているが、自然資本への再投資が甘い(と思う)。
すべての資本を均等に強化する必要はないのだけれど、現状の世界は社会・関係資本と自然資本への再投資があまりに意識外に置かれ過ぎている。
かつて、アウトドアブランドのパタゴニアが、「地球だけが唯一の株主だ」と言ったのは、そういった現状へのカウンターパンチだ。

6月*日
友人たちとの「音楽を聴く会」に参加した。
長く男性合唱団で指揮棒を振る友人が主宰者。テーマは「ヌエバ・カンシオンからの系譜」。恥ずかしながら、ヌエバ・カンシオンという言葉を人生ではじめて聞いた。決して胸を張れることではない。
時間にして90分と少しだったが、音楽とともに進む友人の語りも素晴らしく、上手に時間を使える人がたどり着ける境地というのがある、と思った。
最近思うのだけれど、余裕を上手く使うのは、実に難しい。お金も、時間も、空間も、人脈も。そのくせ余裕ができると「その余裕を守りたい」という気持ちは等しく生まれてしまいがちなので、余裕は取扱い方が余計にやっかいだ。そこに付け込まれて世の中に蔓延するのが振り込み詐欺やデジタル中毒だと思う。
お金がない人はひっかかれないし、時間がない人は中毒になれない。
そんなおっちょこちょいたちを守るための社会コストは高額で、このマッチポンプは一体何なのかと考えてしまう。
と、偉そうに言ってみた私も、余裕を上手く使えない自負がある。だから今日主宰した友人のように、豊かな井戸を掘っている人に出会うと、つい羨ましくなってしまう。まあでも、できないものはできないので、私はずっとほどほどに貧乏でいようと決めている。
実はそれが、アソブロックの社長を2年間引退していた時の最大の学びだったりする。


6月*日
秋に仕事をご一緒する関係で、大空小学校の元校長先生・木村泰子さんと打ち合わせた。
ゆうに70は超えられているはずだが、とてもそうは見えず、大変魅力的なお人柄かつ、関西弁がキュート。
話の中で印象的だったのは、「全員を助けてあげようと頑張るよりも、全員が助けて!と声を挙げ易い社会を作った方が、子どもたちが死ぬ確率は減る」という言葉。会社もまったく一緒だなあと思いながら聞いた。
仕事って、楽しいばかりじゃないし、どちらかと言えば辛い・キツイの方が多い。それらを減らしてあげようと頑張る会社よりも、「もう無理、助けて!」と明るく言える会社を目指した方が、実は健全なのではないかと思う。
アソブロックは今、通称:アソブラックと名乗っている。ホームページにその意図を書いたのだが、「やってあげるよりも、自分でなんとかできる力をつけてあげた方がセフティーで永続性がある」という点で一致していると思う。

6月*日
高校時代の仲間のひとりが、50歳にして上海転勤を命じられ、お別れ会を開催した。
「子どもたちの学費の目処が立っていたら断ってた。わっはっは」と照れ隠ししていたが、50歳での初海外転勤は、ちょっと羨ましい。
私の人生には、転勤がない。転属もない。そもそも自分で自分を配置・転換するのだから、当たり前なのだが、青天の霹靂的人事というものに、ちょっと憧れたりもする。
「団くん、来月からキミはフランス支社の社長として海を渡り、EU全体を見てくれ」と言われたら、たぶん興奮する。
「団くん、来月からキミは南極の昭和基地にシェフとして渡り、調査員たちの食事をつってくれ」と言われたら、早速大量のレシピ本を買いに行くと思う。
お金を出せば、フランスに行くことも南極に行くこともできるが、決定的な違いは「どうなっても知~らんピ」「俺のせいじゃないもんね」「命じたのはそっちだもんね」と思えるかどうか。
責任感がないわけではなく、ゆるいリードを付けてもらった状態で「好きにやってこい!」と言われる感じが、ちょっと羨ましい。

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