1995 タイ -1-
「その男の子はあなたに「お前はエイズか?」って言ったんですよ。」
今でも忘れない、この時のショックは。
時は1995年、就職氷河期と言われ、私は大学を卒業後すぐに職に就くことを選択しなかった。つまり就職活動をしなかった。
「就職したら負け」という、後にニートという言葉と共に取り沙汰された流行り言葉は当時は無かったが、就職活動を必死にしていた大学の同級生を横目に、私はどうして皆そんな定職に就きたがるのかと不思議に思っていた。
と言うのも、まだ当時はバブルの余韻が残っていたせいで、アルバイトでも、いや、アルバイトの方が断然稼ぐことができたからだろう。
当時、私は宅配便のアルバイトをしていて、荷物を1個配達する度に100円の収入を得ていた。所属していた営業所のご厚意も有り、神奈川県にある富裕層が多く住む某エリアを担当させていただいたことで、お中元シーズンの1ヶ月でおよそ手取り50万円を手に入れることが出来た。
ひと月に50万円ということは、配達した荷物の個数は月に約5000個。一日平均で約167個を配達したことになる。当然、24時間配達する事は不可能なので、最大でも1日12時間が稼働時間の上限だったと思う。
朝の9時から夜の9時ではなかったかと。それを毎日。配達した個数がそのまま収入になるので、配達伝票が札束に見えた。例えば、1軒で10個のお中元ギフトがあれば、1箇所の配達で1000円になる、と。
実際、1軒1個ということはほぼ無かった。それほど、当時はお中元が普通に流通していた。
その軍資金をもってさえすれば、永遠に半年ごと、つまり、お中元とお歳暮で稼がせていただいたお金で6ヶ月間、海外で暮らし続けることが出来ると、本気で、そう思っていた。年に2回のお中元とお歳暮が原資となると。