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1995 タイ -11-
それはもはや営業妨害だったのかも知れない。
私は可能な限りバンガローのスタッフをつかまえては、タイ語で会話することを日課にしていた。もちろん、欧米人観光客がバンガローに宿泊しに来るので、そういった人とも英語で話すこともあったが、日本語がない環境にわざわざ滞在を決めたのに英語を使うこと、それすら時間が勿体ないと思っていた。
なので、あるアメリカ人が暇を持て余して私にやたらと話しかけてくるのがイヤで、彼が来ると必要以上にタバコを吸って、まさに煙に巻いた。まぁ、少しやり過ぎたかなと反省はしたが。
そのバンガローから海辺までは歩いて5分ほどの距離だった。散歩がてら海には毎日足を運んだが、雨季だったこともあり海はあまり穏やかではなく、幾分濁っていた。
砂浜にはたくさんのアサリに似た貝が簡単に掘出せた。食べられるのか当時は懐疑的だったが、タイ料理では非常にポピュラーな炒め料理として食堂やスーパーでも目にするホーイラーイだと最近分かった。
そんな事も当時確認できなかったのであれば、やはり、私はタイ語がそこまで話せなかったのではと、振り返ってそう思う。
バンガローで働くスタッフは宿泊客とは英語を使って仕事をする必要がある。彼らも習えるなら英語を使いたかったはずだから、知らず知らずにタイ語と英語のチャンポンで会話をするようになっていたに違いない。
ある日、女性スタッフ同士が私を巡って喧嘩を始めた。どうも、誰が私にタイ語を教えるのか、主導権争いをしていた模様だ。私は仲裁に入ったのだが、初めはまだマシに使える英語でなだめていたが、収まりのつかない二人を見かねてこちらも次第にヒートアップしてきた。気がつくと私もタイ語を使い、何とかその場をやり過ごした時、はっと我に返った。アレ?タイ語を話してたの俺?と。
この日を境に、バンガローでタイ語の先生役をスタッフにお願いすることをやめたのは、もちろん言うまでもない。
晴れて営業妨害を私はしなくなり、バンガローにとっては良かったが、さて、私は一体どうやってタイ語を学ぶとしようかと、うなだれていたのだ。