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いじめはなくなるのか?② ~データに騙されず正しく現状把握をする~

こんばんは!ダンです。

さて今回も引き続きいじめ問題について私見を述べてまいりますが…

前回はかなり辛辣な発言をしています💣
まだ①をお読みでない方はそちらを先にお読みください!

おさらいすると、大津いじめ問題をきっかけに文部科学省が道徳を教科化することを決めて、いじめや不登校をはじめとした学校問題の解決を図りました。ですが…

「心の教育への“曖昧さ”と”過信”」によって、
いじめ問題はかえって深刻化してしまった

という逆説的な私見を述べました。

この“曖昧さ””過信”への対応策をこれから書いていくのですが、、
その前に!
皆さんにもう一度考えてみてほしいことがあります。それは…

Q.いじめ問題は本当に深刻化しているのか?

ということです。
ほとんどの人は 「そりゃそうでしょ」と答えると思いますが、
私が着目したいのは「どうして深刻と言えるのか?」その理由なんです。
(こうして知らずのうちに“曖昧さ”が出てきがちですから要注意ですね)

さて、あるデータを見てみましょう。

文部科学省2022年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」

こちらは、いじめの認知件数のグラフです。
これを見てどんなことに気付きますか?
「いじめの数がどんどん増えている」
「いじめ問題はより深刻化している」
と思われる方が多いのではないでしょうか?
おっしゃる通り!間違いではありません。ただ…

いじめの件数が
過去最多68万件を超えてしまった

という数字だけをみて、今の教育業界が悪化していると判断していいわけではありません。
実は、認知件数自体が増えることは必ずしも悪いとは言えないんです。
なぜなら、認知件数が急増したからといって、発生件数も同様とは言えないからです。
もう少しわかりやすく言うと、

認知件数が増える分だけ
”いじめられてきたことに気づいてもらえずに1人で苦しんできた子どもの数は減少する”

と考えています。

この認知件数の増加の要因は大きく2つだと考えます。
1つは、いじめ問題に対する意識の向上です。
いじめ問題に対する社会の意識が高まることによって、潜在的ないじめを少しでも顕在化させてアプローチをかけようとする動きが増えています。

もう1つは、いじめの定義の変遷です。
実はいじめの定義は過去に3回も変わっているんです。
抜粋したものを下記に示すと
【平成6年度からの定義】
「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの。」

【平成25年度からの定義】
「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」

この定義の変遷をまとめると
①いじめは一方向的に行われるではなく双方向でも行われる
②継続的でなく、一度だけの事象でもいじめになる
③苦痛の深刻さは関係なく、相手が苦痛を感じた場合はすべていじめになる
となります。

このようにいじめの警戒網を広げて実態把握に努めたわけですが、
範囲が広がることでいじめの定義が抽象的になりすぎると、具体的な対応が余計に難しくなる危険性があります。
極論を言えば、ある子が「○○にいじめられた、傷ついた」と言ってしまえば、もうそれはいじめになるわけです。
しかし、こうしたことは学校現場で実際によく起こっていて頭を抱えていると、先生方から話を聞きます。

皆さんもきっと、いま所属する職場が何か制度をガラッと変えたときには、「え、どうしよう!なにが変わるんだろう?」
と思うでしょうし、具体的な部分まで説明してほしいですよね。
まさにこうした改訂を行う場合には、現場の人々が混乱しないように
“手厚い説明”と”フォロー体制”をもってイメージさせてあげること
が必須になりますね。

ついつい話が逸れました(笑)
このように、いじめ認知件数の増加には様々な背景がありますから
ただデータの結果だけを見て
「いじめがどんどん急増している」
とは一概に言えないわけです。
ですが、大きな問題であることに変わりはありませんから、私たち大人が意識を高めて子どもたちに関わっていかなければなりませんね。

そして本題はここから。
私が「いじめ問題の深刻化」を見定めるときに、最も着目しているのは以下のデータです。

文部科学省2022年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」

これは”重大事態”といって、簡潔に言うと
”生命や身体、財産、精神に関わる重大な被害につながるいじめ”
のことです。
すなわち、死や自殺未遂、傷害、金銭トラブル、精神性疾患といった問題につながるいじめということです。

皆さんお気づきの通り、いじめ重大事態の発生件数が大きく増加してしまいました。
そして重大事態までになると、大人が対応せざるを得なくなるため、認知件数と発生件数はほとんど同値であることが考えられます。

つまりいじめ全体の認知件数ではなくて、
重大事態のデータが増えていることこそが
「いじめ問題が深刻化している」ことの裏付けだと思います。
よって最初の問いに対する私の答えは
間違いなく「YES」です。

いじめられた側は、一生、忘れません。
ずっと、心のどこかに傷を負うんです。
約1000人の子どもたちが大きな傷を負って、その先の人生を歩まなければならないのが今の日本です。
苦難を乗り越えた人ほど強い
という考え方はもちろんですが、
本人やそのご家族に対してその言葉が言えるのでしょうか?
僕は口が裂けても言えません。
そんなことをいうなら、そのときに支えます。

そして、この負の連鎖を断ち切れるのは
いったい誰なんでしょうか?

そう、本人しかいないんです。

でも、だからといって本人だけに責任を負わせるのはあまりにも残酷ですし、まだ自分すら見えてない年齢の子どもたちが1人で乗り越えれるわけがないんです。
だからこそ、学校には先生がいるんです。
周りの大人がいるんです。
支えて、励まして、人生の小さな階段を一緒に上ってあげないといけないんです。

人はひとりじゃ強くなれない。
誰かのためなら強くなれるし、誰かのおかげで強くなれる。
だから、つながって支えたい。

子どもだけじゃなく大人に対してもそう思います。
「成人なら自分で何とかしなきゃ」といっても
そうできない方もたくさんいらっしゃるんです。
だからこそ、僕は味方でありたい。
自分が出向くご家庭の親御様に対しても、そう思っています。

これが、
人間 西山弾の基本理念の一つ
そして、あんたがおらなの社訓の一つでもある

誰かの味方でありづつける”共苦”の心

です。

またまた話が逸れましたね(笑)
いつかこの基本理念についても詳しくお話しますね(^^)

次回の③では、いじめへの具体的なアプロ―チを少しだけ書きたいと思います。
それではまた。


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