音楽家として生きるとは
音楽家として生きるとは
音楽一家に生まれながら
音楽を生業にできなかった私
その事実は
常に重たい鎖となって
私に絡みついていました
若い頃
どんなにもがいても
道が開けず
早々に諦めてしまった私
音楽を生業とできるのは
神から選ばれし者だけ
そんな勝手な言い訳を掲げて
自分が
音楽家として生きられなかったことを
どうにか誤魔化して
生きてきました
歌舞伎音楽に従事し
芸一筋に生きてきた
祖父
そして父
毎月25日間
2,000人もの観客を
陶酔させ
夢を見させる
その
眩しすぎる
表舞台の光と
25日間
同じクオリティーを保つための
重く暗すぎた影
私はその両方を見て育ちました
音楽家として生きる
それは
私にとって
愛憎の世界そのものであり
自分自身にとっても
どう扱って良いのか持て余す
アンタッチャブルな聖域です
どんなに手を伸ばしても
音楽家として生きられなかった
という事実が
私に暗い影を落としていたのは
言うまでもありません
今年2月から
その暗い影に終止符を打つべく
挑戦を始めました
恥ずかしさや
罪悪感
申し訳なさをかなぐり捨てて
図々しく
昔の音楽仲間たちに
連絡を取らせてもらいました
音楽家たちは
みんな一様に
長いブランクがある私に
差別も区別もすることもなく
接してくれました
イタリアで出会った
マエストロたちも
東京で出会えた
世界的オペラ歌手の方々も
『挫折して長いこと歌っていない』
と言うと
皆んな一様に
何も言わずに
ただ頷くだけでした
まるで
分かるよ
誰にでもあるよ
と言ってくれているかのように
どのマエストロたちも
手を抜くことなく
私と真剣に向き合ってくれ
その技を伝えてくれました
再び音楽の世界に戻りたい
と願う者を
温かく迎えてくださる
音楽家の方々に
支えられて
今日まで挑戦を続けることが
できています
私は早々に
音楽の世界から尻尾を巻いて
逃げた人間
今までの人生をずっと
音楽と向き合い
音楽に捧げてきた方々と
自分が同じ世界にいるとは
思っていません
ただ
アラフィフで
この世界に戻ってきた以上
音楽家と呼ばれる世界の
せめてその端っこでも良いから
いさせてもらいたい
そう思うと
いつでも目の奥が熱くなります
さて
11月15日に
バルセロナのサグラダファミリアにて
歌わせていただけることになりました
幼い頃から
歌舞伎座の楽屋の神棚に
手を合わせる一方で
カトリックの教会にも通い
洗礼も受けている
という
日本人独特と言えるかもしれない
宗教観を持つ私です
毎週日曜日のミサに通い
ミサの先唱も務め
結婚式からお葬儀まで
そして
自分が企画したチャリティーコンサート
教会で歌わせてもらった数は
とても数えきれません
思い通りにならない自分の人生に対して
あなたの暇つぶしに
付き合うのはもう嫌だ!!!
と
神さまに散々文句を言ってきた私ですが
私の歌人生は
いつも教会とともにありました
教会で歌わせていただく
それは
私にとって
とんでもなく特別です
歌う
ことと
教会
という
私の心を占める二大巨頭が
掛け合わさる
そして
世界中に数多ある教会の中で
これまた
とんでもなく特別な教会
サグラダファミリア
そこで
大好きな友人であり
尊敬する歌手
Sahoko Sato Timponeさんと
一緒に歌わせていただけることに
また
ご一緒させていただく
オルガニストの鈴木羊子さんとの
新しい出会いにも
心から感謝です
新たな挑戦を通して
自分に新しい景色を
見せてあげたいと思います