人間、性懲りも無く恋愛をすることについて

 本当にタイトル通りです。
 恋愛ってまあとりあえず色々体力を使うと思うんですよね。告白もデートも失恋も、別に現状維持だってタダではできない。
 そして終わりを迎えた時、「しばらくは恋愛は良いな〜〜!」って。
 誰も彼もがそうではないことは承知の上ですが、私の場合は「しばらくは〜〜」の、「は」くらいの時には次の恋愛が始まったりすることもしばしばです。

 ふと最近は、アルコ&ピース平子さんが書いた『今日も嫁を口説こうか』を読んでいて、でもこの性懲りも無く恋愛することは、自然の摂理だよなあ、なんて思ったりしました。
 恋愛すること、結婚して家族を作ることにおいて、平子さんの考え方は本当に素晴らしいと思いました。そして下積みや芸人を辞めようとした歴史、そんなことが赤裸々と綴られていて、平子りを極めていくと、こんなにもかっこよくなるのか、なんて。
 恋愛している人もしてない人も、平子という人間を知っているのなら、読んで損は無い本でした。

 そして今日、巷で話題の『花束みたいな恋をした』を観ました。
 菅田将暉さんと有村架純さんが主演で、坂元裕二さんが脚本を描く、「趣味や嗜好が同じ二人が出会ってから別れるまで」を描いた映画です。
 2015年から始まる物語は2020年まで続きます。
 間に出てくるワードは「きのこ帝国」「宝石の国」「ゴールデンカムイ」「ゼルダの伝説」「穂村弘」「押井守」「今村夏子のピクニック」そして「awesome city club」。他にも様々な固有名詞が出てきますが、そのどれもがきっと20歳そこそこの若者にはグサリと刺さります。
 今、大学生で、同棲しているような身分じゃなくてよかった……。

 恋愛には趣味嗜好が合うことも大切な要素ですが、生活の価値観や未来の描き方、その他色々の上にバランスがギリギリ保たれて存在していると思います(わざわざ書くようなことでもないですが)。
 運命のような偶然で出会い、恋をして、でもそこから永遠を手にするには、そのバランスを整えて、お互いを尊重して、できるだけ同じ方向を向いて、ゆっくりと進むことが大切なんだと。

 映画の中でそんな二人の方向が少しずつズレていく時、私の頭の中では平子が「何故ここで抱きしめて愛を伝えないんだ!」とずっと叫んでいました。ずっとです。平子がずっと平子り続けているのです。
 ラストシーンに向けて、少しずつ場面が動き出すたびに、平子は「まだ間に合う。ここでキスをしろ!」と言い続けます。平子さん、これは物語の中のお話ですよ。
 そしてラストシーンからエピローグ、やっと平子が黙りました。そして私は「羊文学」「長谷川白紙」「崎山蒼志」のワードをモロに受け止めてしまうのです。

「始まりは終わりの始まり」
 終わりが分かっているのに、何故こんなに性懲りも無く恋愛ってするんですかね。自然の摂理で男女の番いになるため?
 まあでもそんな難しいことは分かりませんが、有村架純さんと俺も付き合いてえな。なんて下衆な感想だけを置いておきます。


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