魚釣りで一番気持ち良いのは釣れた瞬間ではないことについて
魚釣りってしたことありますか?
私はその魅力に取り憑かれて、そろそろ20年近くが経過しようとしています。今24歳なので、本当に人生の大半の間、続けています。
私が初めて釣りをしたのは小学一年生の頃、当時住んでいた広島の某木材港でした。
確か最初に釣った魚は、クサフグで持って帰って飼ったけど1日で死んでしまったような記憶があります。
それからはずっと、父親に連れられ、時には自分でねだり、海で釣りをし続けていました。当時瀬戸内海で釣れるような魚は大方釣ったような気がします。
転機が訪れたのは中学生になる時でした。私は父親の転勤で東京へ引っ越すことになります。
東京では最初普通にいじめられたりとか、受験戦争をなんかすり抜けたりとか、そこそこ変な話がありますが、釣りに関して言うと、本当に辛い時期でした。
まず、釣りができる海まで遠い。住んでいたのが埼玉寄りの内陸側だったので、一番近い新木場まででも1時間弱かかりました。
そして、そもそも人が多すぎて釣りにならないし、釣れない。著名な港は人でごった返し、人気がない場所はそもそもとして釣りが禁止されている、みたいな。夜明け前に沼津まで行って、満員だった時は本当に絶望しました。
そんなこんなで釣りからは一旦離れることになるのですが、再度釣りをし始めたのは、埼玉にある朝霞ガーデンというマス釣り堀に出会ってからでした。
釣り堀といっても簡単には釣れません。基本が分かっていないと、釣り堀でもボウズ(1匹も釣れない様)があり得るのです。
確か初めて行った時は、1匹も釣れませんでした。しかし見兼ねた施設のおっちゃんが、道具の選定から釣り方まで教えてくれ、見事にトラウトフィッシングの沼にハマっていきます。
ただ、この時の私は、釣り上げることの楽しみしか知りませんでした。
それ以上の、もう戻れない快楽に気づいてしまったのは、大学生の時です。あれは大学のゼミで、山梨県小菅村の存在を知り、一人で釣りに行った時でした。
小菅フィッシングヴィレッジ(村営釣り場)は、天然の川を整備して、維持管理をしている釣り場です。そのため、普通の溜池のような釣り堀と違い、魚が野生に近い環境で過ごしています。中には、放流魚ではない天然モノの魚も潜んでいます。
そこで私は苦戦を強いられていました。海に行かなくなり、ビニールハウスのような温かい環境で釣りをしてきた私には、大自然で自分の力が通用しないのでした。
完全に心が折れていた私は、どうせなら釣れたことないルアーの練習をしようと考え、当時1匹も釣ったことがなかったミノー(小魚の形をしたルアー)を川に流してみたのです。
すると次の瞬間、岩陰からビュッと魚が飛び出してきました。そしてルアーを引ったくっていきました。気がつくと魚は、私の構えた網の中に入っていました。私が、大自然相手に結果を出した初めての日でした。
帰り道、いつも以上にウキウキしながら軽快に峠を駆けていましたが、ふと気がつくのです。
「釣りあげた瞬間じゃなくて、魚がルアーに襲いかかるのを見た瞬間が一番気持ち良くないか?」
そしてこの考え方は、その後釣りを行った時に確信に変わりました。
まあでもそりゃ、0コンマ数秒後にやってくる勝利を確信した瞬間って、気持ち良いに決まっているんですよね。
例えば、クソ高い焼肉で一品目のタン塩を口に運ぶ瞬間。
例えば、鈴木誠也が真ん中高めの抜け球を振り抜いた瞬間。
例えば、自分磨きの最後の瞬間。
例えば、ラピュタを自分のモノにする直前、パズー達に三分間待ってやると宣言したあの瞬間(ムスカ目線で)。
きっと誰にでもそんな瞬間ってあるんですよね。
そしてきっとみんな、その瞬間を味わうために、残りの23時間59分59秒を生きているんだと思います。
くっそ馬鹿馬鹿しいけど、その1秒のためにみんな頑張って生きていきましょーや。
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