閉塞感 その1
19、20歳の頃に感じていた閉塞感について、最近たまに思い出す。
あの頃は、年を取るのが怖かった。
若くして才能を発揮して、それが認められる、そんなことに憧れていた。
そして、当然そんなことは起きなくて、地元からも出ていけなくて、私はくすぶっていると自覚したまま日々をダラダラと過ごしていた。
いま振り返ってみると恥ずかしいことこの上ないが、しかしそれでも当時は真剣だったし切実だった。
いま感じている切実さは、あの頃とはまったく違う。
家族のこと、仕事のこと、お金のこと。
育児に積極的に関わりたいと取り組みつつ、家事に対しての苦手意識から、家事から逃げがちになっていること。妻が専業主婦なのをいいことに。
36歳にして2度目の転職をし、新しい仕事にやり甲斐を感じつつ、徒労に終わる場面も多く、どうにかして少しでも多くのこと・人を善い方向に導きたいと考えていること。
家も車も買ったし、大幅な無駄遣いをしなければ、身体を壊して働けなくならなければ、なんとか家族を養いつつ、娘のやりたいことも可能な限り支援しつつ、生きていけると思われること。そうしたいと思い、そうしようと思っていること。
人生には場面場面でのそれぞれの現実さがあって、それぞれの切実さがある。
いまの自分のことを、私は嫌いじゃないし、愛着もあるし、割と尊敬もしている。
もしあの頃の私に何か語りかけられるとしたら、自分で自分を敬うということを強く推奨したい。
あと、あの頃たくさん本を読んだりしていたのはとても良かった。
他の誰かの考えや創作物から受ける感銘などをたくさん享受したことによって得たものは、いまの私の大事な糧であり、大切な手持ち札になっている。