240824


タイトルの日付に、祖母を亡くしました。

これまで他の方のお通夜やお葬式に参列したことはあったし、今回の祖母ぐらいの関係値の親戚を亡くしたこともあったけど、ここまで思い出に厚みがある人を亡くすのは今回が初めてで、自分でも驚くほど涙が溢れたし、実感が追いつかないほど寂しいし、理解したくてもしきれないし...今自分がどんな感情なのか正直よくわかってない...と思う。

そもそも亡くなってからお葬式までの一連の流れが本当にスピーディすぎて余計に実感が湧かない、という面もあると思う。(葬儀屋さんってすごい。)

なのでお通夜もお葬式も火葬も全て終わった今、気持ちを切り替えるためにもここで全部文字に起こして整理しようって思った。
本当に私のnoteくんは鬱記事しかなくて重たいね...

と言っても何から文字にしたらいいんだろう...

葬儀中、何を言っているのか全然わからないお経をBGMに頭の中を過ぎるのは 金髪混じりのカツラを被って、どこに売っとる?ってぐらい奇抜なお洋服の上に赤いエプロンを腰に巻いて、とにかくデカくて重たそうなジュエリーを光らせながらカフェの常連さんたちと談笑している明るい祖母だった。
ザ・O型!みたいなテキトーさに呆れることもあったけど、それすらもご愛嬌にできるぐらい人と関わるのが上手で、いつも冗談を言って誰かを笑わせては自分も楽しそに笑ってたなぁ。

祖母が働いていたのは私の母が店長を務めるカフェだったから、基本私は学校から帰ったらすぐにカフェに行って母の退勤時間まで宿題をしたり、お留守番ができる歳になってからは家で母の退勤を待ってた。
カフェにいる間は私の宿題を見てくれたりもして。いちばん覚えてるのが、漢字ノートにひたすら習いたての漢字を書き写す宿題をしてる時、何回も漢字を書き間違えては消して...書き間違えては消して...ってしてたら「ちゃんと集中してないから間違えるんだわ」って怒られたこと(笑)なんでこれ覚えてるのか自分でも分かんないけど、今でもなにか文字を書いてる時に間違えると「やばい今集中してなかったな」ってドキっとする癖がついてる。
でもほんとに1文字1文字焦らず集中して書くと誤字らないんですよね。何事も流さず丁寧にこなせってことだね。

習い事がある日には、基本厨房にいる母はあまりお店を離れられないので祖母に送迎を頼むことが多かった。
私は元々めちゃくちゃママっ子だったし、それに加えて小学校高学年ぐらいは反抗期の傾向もあって、送迎が祖母だと露骨に嫌そう〜な顔をしてたと思う...(今日父にもそれを覚えてるって言われて刺さった^_^;)(ごめん)
そもそも祖母とは性格が真逆というか、今流行ってるMBTIで言うとアルファベット全部真逆なのでは?ってぐらい私とは「違う」人だったので理解できないことも多くて、反抗する条件があまりにもピッタリすぎていつも祖母に内心プンプンしてた気がする。(口に出さないくせに態度に出るタイプ)(祖母はその態度に気づいては文句言ってくる)(ので喧嘩が始まる)
それでも、当時習ってた習い事は今のところ私の人生の中でいちばん長く続いたものだったし、好きなものを深めるための忍耐力とか、ガッツみたいなものを小学生の頃に身につけられた大事な習慣だったな〜と今でこそ思うので、どんな時間・場所にでも送り届けてくれた祖母の存在は大きすぎたと思う。

そんな習い事の発表会があると毎回欠かさず観に来てくれて、公演が終わってから会いに行くと誰よりも大きくて豪華な花束を用意して待っててくれたよね。
「天使がいちばん上手だった」「上手くなったねぇ」
"かわいい孫フィルター"がかかった言葉だったとしても、当たり前のように褒めてくれたのが本当に嬉しかったよ。辛い練習も頑張ってよかったなって、次も褒めてもらるように頑張ろうって思えた。

そんな祖母は元々身体のあちこちが悪くて手術を何度もしてたり、私が大学生になってからコロナの影響もあったりして、大学演劇だけは観せてあげることが出来なかったのがすごく心残り かもしれない。
演劇は今まで習ってきた習い事よりも、より自分の殻を破った姿をさらけ出してたから、普段と違う誰かを生きる私を観たらきっとびっくりしたと思う。
「行けなくてごめんね」って言われる度、いいよいいよって素っ気なく言ってたと思うけど、本当はちょっとだけ寂しかったよ。

母が忙しい時に私が体調を崩すと、必ず祖母の家に匿われて、大きすぎるベッドで毛布ぐるぐる巻にされてこれでもかと言うほど寝かされた。なんか、オルゴール調のハナミズキとか聴かされながら...(病院?)
祖母が持ってきてくれるキンッキンに冷えたタオルは本当に気持ちよくて、あーちゃん家に行けば風邪なんてぜったい治る!って信じ込んでた。
冷たくて赤くなった手で力いっぱいタオルを絞っては、頭蓋骨割れるんじゃないかってぐらい強い力で私のおでこにそのタオルを押し付けてくれるんだよね。
体調崩した時特有の謎の寂しさで起きちゃった時は「お腹すいた?」ってみかんがいっぱい入ったゼリーを出してくれて。
そうこうして祖母の家で1日過ごしてると風邪なんて完治しちゃってた。

道の構造が特殊で、スピードを出すとジェットコースターみたいなGがかかる桜並木の道でキャッキャしたのも
唐揚げって言いながら出された手羽先みたいな唐揚げ(?)も
10を何回も数えさせられたアッツアツの湯船も
デカすぎる化粧台の引き出しに沢山並んだアクセサリーたちも
車の中で永遠ループで聴かされた美空ひばりさんの歌も
ぜんぶぜんぶ、ぜんぶ、忘れてないんだよ 私は
風化すらさせられないんだよ 私は

それでもお店を辞めて車椅子生活になってからなかなか外に出れなくなって、人と会えなくなって
どうしてもボケが進んじゃったね。
そこからの老い方がまぁ速かった。
間が空いちゃってたのもあったと思うけど、会いに行く度になんだか身体がひと回り小さく感じてしまって。
なんやかんや思い出してくれたけど、何回か私の事も誰か分からなくなっちゃってて
正直ショックだったけど、仕方ないと割り切ってたつもりではいた。何より本人がいちばん辛かっただろうし。
実際、たまに何でも忘れちゃう自分が嫌で泣いちゃってた時もあったよね。
何泣いてんのって周りは茶化してたけど、みんな少しずつ嫌な変化を感じてたと思う。

最後に会った日は亡くなる前の2週間とちょっと前だった。
15分しか面会の時間が許されてなかったんだけど
その15分すらものすごく長く感じるぐらい、それはもう酷い状態になってた。
乾燥で舌に亀裂が入るぐらい口で呼吸してて、寝返りも自分で打てないから15分間ずっと同じ方向を向いてて、薬の関係で手足が痛々しいぐらい浮腫んでて、顔も腕も以前より痩せてて...
その前から母に話は聞いていたものの、目の前にいるのが自分の記憶に色濃く染み付いてる祖母と一致しなくて、覚悟しなきゃと誰かに言われずとも自ずと思った。
もうその時点でもっと会いに行けばよかった、もっと話しておけばよかった、もっと私にできること考えればよかったって後悔がぐるぐる頭の中を駆け巡って、泣きそうになった。
「天使だよ、分かる?」って言ったら私の顔をじーっと見て「あー」って大きな声出してくれたけど、本当に分かってくれてたのかなぁ。忘れてたら許さないけどね。ぜんぜん、ゆるさないよ。

息を引き取る瞬間は祖父しか見れてなくて、すぅっと眠るように、苦しまずに息を引き取ったって聞いた。
そりゃそうだよ、これまでずっと痛くて思うように動かせない身体と、人に会えない寂しさと、どこにも行けない退屈さと、忘れたくないのに忘れちゃう怖さと戦ってきたんだよ、最後くらい苦しまずに逝ってくんなきゃ神も仏も信じらんないよ。

私と母が駆けつけた時には亡くなってて、2週間ぶりの対面がご遺体だったの、病室に入って顔を見るその瞬間まで本当に実感ができなかった。
いや、顔を見てもなお実感できなかった。
今にも体をゆすったら目をぱっちり開けて起きてきそうなぐらいいつもと変わらない寝顔で、本当に安らかに眠ってた。ただただ眠ってた、みたいだった。
こんなんで「死」なの?これが「死んでる」なの?それしか思えなかった。
それでもやっぱりどれだけ呼びかけても涙を流しても目は開かないし、どこを触っても血が巡っている温度は感じられなくて、受け入れるしかなかった。

そこからすぐ葬儀屋さんがお迎えにきてくれて、お通夜・お葬式の予定が秒で決まって、遠い親戚たちも駆けつけてくれて、、
一度家に帰ったりした時、変にしんみりし過ぎずいつもの生活に戻れて、意外と大丈夫だなとか思ったけど
やっぱり次の朝ご遺体を目にすると全然受け入れられなくて、涙が溢れてばかりだった。
特に祖母たちと一緒に過ごした思い出が多いいとこたちと、こんなかしこまった喪服を着て、嗅ぎ慣れないお線香の臭いが漂った会場で再会した理由が「これ」だと思うと...本当に理解し難かったし、悔しいし、悲しいし、寂しいし、もう全部のマイナスな感情が溢れて止まらなかった。

式中や準備中もしっかりしたそぶりを見せた祖父もずっと寂しそうな表情はしてて、でも涙は見せなくて。そんな祖父の背中はいつもの2倍ぐらい小さく感じて苦しかった。
それまで涙を見せなかった祖父でも、最後の最後のお別れでお花を添えた後には「起きろ」って泣きながら祖母の頬を触ってて、
もう、今これを文字に起こしただけで思い出して視界がぼやけてくるぐらい、それはもう、初めて聴く祖父の悲しそうな弱々しい声だった。
たまらなくなって背中をさすりに行ったら「天使、起こしてよ」って私に言ってきて、首を横に振ることしかできなかった。
なんかもう、私が本物の天使だったら神様に直談判して起こすのに とか そんな馬鹿みたいなことも考えちゃった。

火葬場まで向かう時間 本当に嫌な時間だった。
燃やされるって、二度と会えなくなるって、祖母のかたちがなくなるって、それ全部分かった上で勝手に許してもない時間が進んでいく。
こんな暑い夏に、もっと熱い火の中で溶かされていくなんて、可哀想だと思ってしまった。
それでもお骨を拾うとき、「ちゃんとみんなで全部拾うからね」って伝えてから大事に箱の中にしまった。
痛々しい人工鉄骨は焼き切れなかったのに、祖母の柔らかすぎた一部の骨は跡形もなく灰と化してた。
そんなものを残してほしかったんじゃないんだけどなぁ なんて思ったり。

とにかく今思うことぜんぶ書き散らしたけど
祖母は私が孫として生まれてきて幸せに思ってくれてたかな。そうだといいな。
どう思われていようと私は、あーちゃんが私のおばあちゃんで幸せだったよ。
大事にしてくれてありがとう。
生きてるうちに恩返しきれなくて本当にごめんね。
こんなインターネットに書き込むだけじゃ伝わらないかもしれないけど、ここに書くだけじゃなくて本当に想っているから、汲み取ってよね。

天国でべべ・キキ・モモとか旧友のみなさんと再会して、前みたいに元気にノンストップで楽しくおしゃべりしててくれたら嬉しいな。
でもたまには私たち家族のことも見守っててね。
こっちもずーっと、忘れたりなんてしないからね。
ボケたって忘れてやんないからね!
約束するし、してね。

もう目痛いからこれ以上は泣いてあげないもんねーだ!!!!!
明日からもがんばって生きるよ、わたしは。

おやすみ、あーちゃん

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