起立、気を付け、礼!
うちの学校にもありました。起立、気を付け、礼、お願いします!
これを毎時間(つまり一日6回以上)
終わりも「起立、気を付け、礼、ありがとうございました」
思えば、入試の時に、三重中学校ではこれが当たり前やから、君たちにもやってもらうね、っていってやらされた。
当時は、そんなもんかな、って思ったのと、これの弊害にあまり気付いていなかったから。
まず、第一に言いたいのは、私たちはすでに高い学費を払っている、ということ。
だから、そのサービスを受けるのは当然であって、「お願い」をもう一度するのは手間であるということ。
あとは、教師に対して常に頭を下げる。これは、対等ではないよね。
教師が偉くなったら、教授?になるのかもしれないけど、
教えを与える、と言っている時点で、立場関係が大変なの。
あなたたちが老人になったとき、支えるのは私たちなので、
むしろ、こちらが「勉強してください」ってお願いされるはず。
教師は、先に生きる、と書いて、先生(老師)と書くけど、
先に生きているやつが常に偉いというのは、東アジアの儒教思想だからで、
特定の思想に基づいた慣習(だから、いつでも見直せるはず)
学校が軍隊化しているためのものっていう歴史はあって、その名残は特に体育教師の文化の中に残されているけれど、
そもそも教師は、知識と言う社会の財産を、みんなと共有することで、給料を得ている。
わざわざ、さらに、「お願い」する必要は無いし、感謝は、本当に思っていたら、言わせなくても態度に出る。
生徒からの直の評価が怖いから、絶対にいうものという感じにしている(ただし、これは校則に書いてすらおらず、みんなが抵抗したら変えられるはずだったのだ。)
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