佐藤くんになれない俺たちへ
いいか、俺たちの生きるこの現実は、「NHKにようこそ!」より遥かに平凡だ。作中で山崎が「僕たちにはドラマチックな死に方は似合いませんよ」と言っていたが、現実世界に住む俺たちに言わせれば「お前らじゅうぶんドラマチックに生きてるよ!」。
そう、俺たちは佐藤くんではない。山崎もいないし柏先輩もいない、そして、岬ちゃんもいない。
……いや、正確には違う。俺たちは「佐藤くんではない」のではなく、「佐藤くんになれない」のだ。
俺たちはなろうと思えば誰だって佐藤くんになれるはずなのだ。そりゃあ、佐藤くんのように隣人が偶然後輩だったとか、街でばったり先輩と出会ったりとか、宗教勧誘がきっかけで近所の美少女と知り合ったりとか、そういう「ラッキー」はないだろう。だけど、そんなものはスタートラインの違いに過ぎないのであって、取り返すことはできる。つまり、行動すればいいのだ。行動すれば俺たちも佐藤くんになれる。
だいたい、佐藤くんを見てみろ。山崎に再会したのだってアニソンが爆音で流れる隣室に業を煮やしてドアを蹴り飛ばしたのがきっかけだし、柏先輩と再会したのも山崎と一緒に行動し出したからだし、岬ちゃんと知り合ったのも、宗教勧誘されたときに自らをひきこもりであると図らずも大胆告白したからである。
物語の始まらない凡人にこれを置き換えてみよう。隣人の音楽がうるさければアパートの管理人に連絡して間接的にクレームを入れるだけだろうし(面と向かって文句が言えない!)、山崎と劇的な再会をしなければ柏先輩と再会することもなかった。宗教勧誘されてもただ「結構です」と言って断る。だから岬ちゃんとの物語も始まらない。
要するに、行動しないので物語の始まりようがないのだ。そこが俺たち凡人と佐藤くんとを隔てる決定的な違いだ。佐藤くんはなんだかんだで行動的だし、自己開示も積極的にできる。だから彼は物語の主人公になったのである。
ネットでは、「岬ちゃんが来ない」という言葉がある種のミームと化しているが、「岬ちゃんが来ない=物語が始まらない」のは、俺たちが行動しないからだ! 自己開示しないからだ! 佐藤くんに限らず、アニメの主人公が大きな出来事に巻き込まれたり、女の子にもてたりするのは、彼らが凡人ならざる行動力と自己開示力を備えているからだ。モブAは主人公にはなり得ないのである。
要するに、アニメキャラにあって俺たちにないのは、そういう能力だ。さぁ、そうと分かれば明日からレッツ行動&自己開示! 教室で、会社で、バイト先で、勇気を出してどデカい一言をかまそう! そうすればきっと、いい方向に転がるから……。
NHKにようこそ!(1)(角川コミックス・エース)