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「生活レベルを変えられない」問題

屯田兵入植の頃から「除雪当番心得」(1876年)が定められたり、「踏雪取締りと搬出法規制」(1888年)で除雪が義務化されたりなど、決まりとしての整備はありましたが、基本的に除雪は厳しい北国の冬を「みんなで乗り越えるための助け合い」及び「自主的」な努力でした。

それが、進駐軍の除雪機をきっかけに、オリンピックで町が整備されていく大きな力と共に今まで思いもしなかった「機械除雪」というコペルニクス的転回を経験したのです。ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、これは産業革命後、進んだ機械化によって人類が世界各地で受けた、目からうろこの洗礼と同じ認識の転換だったと思います。

少なくとも、それまでの札幌市民にとって、”自分たちの出来る範囲”の力を超えて大きく町を変革するパワーに出会う原体験になったことでしょう。

札幌市内の生活道路の除雪開始が1978年のことです。現在働き盛りの40代~50代の方々の幼少期には、すでに夜の間に除雪機が走り、車で通勤、買い物が冬の間も可能な町になっていました。

おそらく、「雪を漕いで通学する」「上級生が雪踏みをしてくれた上を下級生が歩く」というような経験を札幌市都心部で経験しているのは現在60台以上の年齢層の方々かもしれません。

つい10年前でも、携帯を持たない人は一定数いましたが、現在の生活で「携帯」は必需品になっています。電気、ガス、水道、家電、自動車、コンビニ、ドアトゥードアの宅配サービス、そして除雪。私たちは自分一人で賄えないことも「社会で共有する」ことを身につけました。

そしていつの間にか、”自分たちの出来る範囲”はどんどん縮小していたことに、なかなか気づけないでいるのです。

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