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冬支度

北海道の8月。お盆を過ぎるとすでにホームセンターや家電量販店で灯油ストーブがメインの売り場を陣取っている。最近は薪ストーブやペレットストーブなんかも一緒に並んでいる。原油高に加え、コロナ禍を経て、在宅勤務者も増える中、「自宅で火を見る生活」に心癒されよう、というムーヴメントだろうか。

かくいう我が家も薪ストーブ生活である。薪のある生活はいい。初秋、外の空気が爽やかな時、薪割りの「カコーン」という音が辺りに響く。今年割った薪は翌年以降の財産だ。薪小屋がいっぱいになると「あと二冬は大丈夫!」という充足感と達成感が訪れるのだ。

外の気温が下がってくると、火付けの調子がいい。たまに雨が続いて洗濯物が乾かない時など、夏でも薪ストーブをつけて湿気払いをするが、そんな時は壁である程度遮熱されている家の中の方が気温が低くて低圧状態になるので、煙が逆流してしまうのだ。

そんな手間とちょっとした不便も薪ストーブくらしを楽しむ醍醐味だ。

…なんて悠長なことを言っていられるのはおしゃれなファッション雑誌とか、本気じゃないキャンプ特集なんかのレジャー誌でやってくれればいいのだ。

うちには灯油ストーブも電気ストーブもない。薪が切れたら死活問題なのだ。「北海道の冬を生きる」ために春から秋まで、全てを準備に充てる、冬支度とは、それくらい気合と覚悟が必要だ。

この夏、朝4時から窓の外では「カコーン」「カコーン」「カコーン」と薪を割る音が聞こえる。久しぶりに仕事で海外滞在していた夫が、不在時の遅れを取り戻すべく総力を挙げて薪を割り続けているのだ。薪用の丸太は一昨年、昨年の内に方々から集めておいたものだ。友人宅の庭木を伐採したり、裏山の立ち枯れの木を整備したり、整地のために木が切り倒されている現場を通りがかると頼んで一本二本分けてもらったり、普段から収集を心がけている。

生活とはサイクルである。今日の一挙手一投足が来年、再来年の自分の生活を担保してくれるのである。



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