治療開始までの話①

はじめに
 まず、なぜ私が抗がん剤治療を受けることにしたのかという話をしたい。がんになったから。それはもちろんそうなのだが、興味深いことに、がんは何でもかんでも抗がん剤で治せるわけではないのだそうだ。がん種(がんの種類)によって、化学療法(抗がん剤治療)がいいのか、放射線治療がいいのか、はたまた手術で取るしかないのか。どこにがんができるか、どれくらい転移しているかなど、ひとくちに「がん」と言っても、一人ひとりの状況に応じて、治療方針は千差万別なのだ。それに、医学分野、ことがん治療に関しては、日本人の2人に1人ががんに罹患するといわれるこの時代において、間違いなく進歩が急がれている。化学療法の仲間で、悪いやつ(がん細胞)にだけ聞いてくれるとされる分子標的薬というのもあるし、光を当てて治すとか、一般にまだ流通していない新たなワクチンも、都市部のある病院では試すことができるようである。いろいろあるのだなあ。
 私の罹患した絨毛癌は、希少がんの仲間に入る、症例の少ないがん種だ。そのわりに、治療方針が確立されていて、化学療法が奏功しやすいがんである。5年生存率は9割とされる。
 これを知ったとき、どんなに救われたか。
今こうして、前向きに治療に向かえている理由の一つでもある。乗り越えれば治せるだろうと、データが示してくれている。こんな心強いことはない。それならば、やるっきゃないでしょうと、抗がん剤治療を受けることに決めたのだった。

ケモ(化学療法)を受けると決めるまで
 ここからは、ざっくりとここまでの私の治療変遷を記録する。実は、がん発症までに前日譚的にいろいろあったのだが、それは別の機会にしておく。告知のタイミングにも関わるので、ここでも書くけれど、改めてそこに繋げたい。何せ、長い。
 さて、疑い時点のCTで転移なしを確認、ライフプランからしても挙児希望(子を産みたいと思うこと)がもうないということで、病理診断をするために即刻子宮を全摘出した。ちなみに、卵巣は温存している。今後の転移リスクと若年での女性ホルモン消失リスクを天秤にかけて、先生が判断してくださった。
 女性ホルモンのひとつ、エストロゲンは、骨粗鬆症のリスクを下げたり、更年期障害を予防したりする。医学が介入することで女性ホルモンがなくなることを「医学的閉経」というそうで、若年で起きてしまうと、これらの危険や苦痛と長く付き合うことになる。…と、これは主治医が教えてくれた。ありがたい判断だと思った。
 そして、私の場合、術前から腫瘍マーカーが異常オブ異常の高値を叩いていたので、病理を待たずとも…だったのだが、実際病理検査の結果により確定、正式にがん告知を受けた。
 原発巣(癌の大元)を取り除いたことで、腫瘍マーカーの値がガクンと下がっていた。下がったとはいえ高値に変わりはなかったが。
 絨毛がん(絨毛性疾患全般)の腫瘍マーカーは、hCGという値を見る。ヒト絨毛性ゴナドトロピンという。これは、妊娠が成立した段階で子宮に胎盤を作ってくれる、絨毛という細胞を働かせる役割をするホルモンだ。この値が上がると、妊娠が成立していると判断するわけだ。この仕組みを活かしたのが、お馴染み妊娠検査薬である。
 hCG値は、非妊娠時なら限りなく0に近い値でなければならない。そらそうだ、妊娠してないんだもの。妊娠してなきゃ必要ないんだからネ。それが、妊娠していないのに爆上がりしているのなら、絨毛に何らかのバグが生じていることになる。この時点で疑われるのが、絨毛性疾患。妊娠初期に起こる受精卵異常の胞状奇胎がメジャーで、他にそれが一つ進行した侵入胞状奇胎など、いくつかある。これは、がんに近しいものもあるが、がんではない。絨毛性疾患の中で、最も悪性度が強いと言われる疾患こそ、絨毛がんなのだ。悪性度が高い所以は、その転移速度にあるという。確かに、私のがんも1ヶ月程度で発生から6センチ弱まで大きくなっていた。迅速な対応が必要だった。
 ちなみに、私のhCG値推移はこんな感じ。
(基準:上限値1.5下限値ほぼ0)
がん疑い時点:20万台
全摘直前時点:10万台
全摘直後時点:2万台
 いや、万って。基準値に対して、いかに異常値かが一目瞭然である。

 そんなわけで、時系列は多少前後したものの、がん疑いから子宮全摘、ケモ開始まで何と1ヶ月弱という超スピード対応をしてくれた主治医や産婦人科内の先生方、スタッフの皆様には、心から感謝している。

おわりに 所感
 化学療法は副作用が激しく、往々にして苦痛を伴う。個人差が大きく、そうでもないよという人もいれば、これならいっそがんに殺されたほうがましだと思うほど強く出る人もいる。だから、受けないという選択肢や、他の治療法を探す人もいる。治療を受けることはあくまでも権利だから、主治医の言葉を鵜呑みにする必要はない。
 私が化学療法を受けようと決めることができたのは、きっと、運とタイミングだと思う。
 罹患したがんが、化学療法により高確率で寛解するとされていたこと。治療法が確立され、データで示されていたこと。そして、何より主治医やスタッフとの信頼関係が既にできていたこと。がん疑いからの病院側の動きが尋常じゃなく速かったこと。
 すべてが私に「大丈夫、今なら治る。治せる。だから、がんばれ!」…そんな後押しをしてくれているような気がした。家族も、身内も、みんな「治る!がんばれ!」一択だった。迷う余地を与えられなかったのは、このときの私にとっては良いことだったと思う。

 これから、どんな試練が待ち受けているのだろうかと、漠然と大きな不安に駆られることが全くないといえば嘘になる。
 でも、その不安以上に、背負うものの大きさが私に前を向かせてくれる。今の私には、しんどいこともたくさんあるけれど、それでもやっぱり世界一可愛い2人の子どもがいる。不器用でおぼっちゃま気質だけど、大事な人や物のためには頑張れる、私を大切に思ってくれる心の優しい夫がいる。私が元気でいることを喜んでくれる身内や友人、仲間がいる。
 人と人の間で生きていく者を「人間」と呼ぶのなら、わたしはちゃんと人間なのだと思う。他者に生かされているなと、実感するこの頃である。

「神は私たちに、乗り越えられる試練しか与えない」。よく言われる言葉で、いろんな解釈があるようだ。ただ私は、この言葉に関してなら、文面通り受け取るのが好きだ。ならば、乗り越えてみせようという気になれるから。

 この言葉を信じ、これからの治療に臨みたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?