チャットモンチーについて
私はチャットモンチーが好きだ。理由は、チャットモンチーの歌の歌詞が自分の思いを代弁してくれていて、それが音楽にのることでさらに自分の心に響いてくるからである。
例えば、「愛捨てた」の歌詞の一部の「こんなに悲しい夜でさえ、やっぱりおなかがすくのだから、私はまだ人を好きになるのでしょうか」というのは、どんな状況に立たされても欲望は襲ってくる。そして、それは私が生きていることを教えてくれるのである。
「レディーナビゲーション」の「景色を変えたいのなら、歩いて走ってスキップしてとにかく前へ、とりあえず前へ目指すは誰かの背中でもいい。」というのは深く考えるのも大事だが行動してみてわかることもあるのではないかということである。
「女子たちに明日はない」の「絡まるエクステーション引きちぎってさっぱりだわ、まとわりつくものはない。いまやっと気づいたの。」というのはなにかに迎合していた鬱屈な日々に気づかされ、それに終止符を打ったときの爽快感である。
私の解釈はもちろん独善的ではあるが、チャットモンチーの歌詞はこのような解釈の余地を与えてくれる。それは自分が考えていることにフィットさせ、そして様々な命題を解くことを許すのだ。これがチャットモンチーの私にとっての代弁者たる所以なのである。
チャットモンチーの完結は衝撃であったが、悲しくはなかった。なぜならば、彼女たちはそれをもすさまじい創造性をもって私たちの思いを代弁するものの創作への道しるべにするのではないかという期待があるからだ。
チャットモンチーを聴きながら、駄文を綴るのも良いものだ・・・それでは。
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