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尾崎豊

昨晩妻と議論になりました。自由の相互承認は学校教育の本幹なのかと。もちろんいつも会話が足りていないのでとても良いことなのですが。昨日勉強したことを妻にちょっと得意げに言ったところしばらく考え込んでいます。洗濯物を干して帰って来たら、「本当にそう思う?」とゴングが鳴りました。

私達塞夫妻の共有認識は日本で子育てしたくない、日々の閉塞感とちゃんとしなくちゃいけないと周りからの目線、期待やプレッシャーが嫌い、子供が少なくて活気がなくてどうしようもなくお行儀が良いジジイの国。

その前提で、この閉塞感の元凶は最大公約数の型にハマった人生をはみ出せない社会、つまり自由の相互承認という名の元に各自がはみ出せない枠の中で、お互いに気を使う事を強いて、気を使い過ぎて疲れ切ったつまらない社会を作っているのではないかというのです。相手の自由を邪魔せずに自分の自由を得るためにお互いが調整する術を学ぶ中で、皆んなに気を遣って小さく最大公約数の中だけで生きることしか許されない、はみ出しものを攻撃・排除する社会を作ってないかという問いです。

やられた。これは一本取られた。尾崎豊さんが中学校から卒業する時に一つだけ分かってた事はこの支配からの卒業、戦いからの卒業だと言っていました。小中学校は支配者の大人が子供を閉じ込める所で子供にとって戦いの場であったことが伺えます。行儀良く真面目が相互承認される自由の最大公約数なのでしょうか?それともアメリカの様にみんなが他人を気にせず自分の権利を主張して戦って賢いものが勝つ社会が良いのでしょうか?

面白いですねー!小学校の先生は面白そうだけど、子供に自分の意見を押し付ける先生にはなりたくないし、今の社会の悪い所を次の世代に教育する自民党のプロパガンダマシーンにもなりたくない。さあどうなるのでしょうか。

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