牌王賽2014: 初めての麻雀海外遠征
海外 (中国) の大会へ初めて参加したときに書いた文章が出てきたので、ほぼ推敲せずに公開する。もともと所属団体である日本麻将体育協会の会報むけに書いたものだったが、けっきょく収録発行されたんだっけ? Facebook (友人のみ公開) には投稿した覚えがある。
参加を決めるまで
2013/12/30の千葉月例にて、釘宮公人さんより牌王賽の日程をうかがった。ちょうど3月は春休みであり、4月の研究集会に向けた事前準備を十分にしておけば学業に支障なく参加できるかもしれない。といっても、この時点ではそこまで真剣に考えていたわけではなかった。
年が明け井戸田耕二さんへ他の件でメールを送ると、素早い返信には牌王賽についても書いてあった。小野寺克之さんも参加を決めており、私が参加すれば井戸田さんと4人の日本チームが組める。そこで気持ちは参加に大きく傾き、具体的な検討を始めた。参加を決めたのは、研究面が一段落した1月末である。
準備
春休みに入った2月には4年ぶりに教科書を開いて中国語の復習を始める。麻雀関係ではWMO の『麻将竞赛规则』を読んでみることにする。日本の運用と異なる部分があるし、団体間での差も大きいかもしれない。参加経験のある釘宮さんにいろいろ質問して教えていただいた。春節競技会の少し前から日本式はストップ。
春節競技会から役の申告は中国語で行うことにした。内容の方も良い結果を残して気持ちよく飛び立ちたいところだが、結果は自己ワーストになってしまった。修正するべきところは少し見えたと思ったので、本番はそれを活かし、かつ幸運に恵まれることを祈る。出発前日に慌てて荷造りを始めた。忘れ物がないといいけど。
03/06
成田空港に到着後、すぐに釘宮さんと合流。慣れている方の隣で心強い。上海へ飛び、浦東空港では井戸田さんや、同じ便を使う中国選手の方々とも合流した。中国選手と双六で遊んだりしてから搭乗。到着するとタクシーに分乗して会場へ向かう。日本人3人は4人乗りの車に運転手+4人で乗っていた気がするが、細かいことは気にしない。
参加費を支払い、手続きをする。大会参加費180元、ホテル代・食費が700元、シングル部屋の追加料金が400元。合計1280元は23296円。自動卓メーカーがスポンサーになっており、四星級のいい部屋にシングル3泊9食でこれは安い。
井戸田さんと私は中国選手の方々に連れられて食事へ。「ホテルの食事は良くないから外で食べる」という。食事は最も心配していたことで、私はかなりの偏食なのだ (「食べられないもの」と「選べるなら食べないもの」との間の隔たりもあるが)。特に、湖南料理は非常に辛いことで知られていて、私はあまり辛い物が得意ではない。
前菜は2品とも辛い。舌が熱い (辣)。でもおいしい。最初は先に食べた人に「辛いですか」と聞いてから食べるのだが「あんまり辛くない」と聞いたら後から来るタイプの辛さだったり、結局ほとんどの料理が辛かったりしたので、特にそういうことは聞かずに心の準備をして食べるようになった。明らかに「安全」なのはピーナッツと米くらいだ。
小野寺さんが到着し、釘宮さんも会議から戻る。食事を終えると釘宮さんの部屋へ集まって、いつも世話してくださっているという中国選手の杨磊さんから自分たちの選手証と大会パンフレットを受け取る。参加賞の折り畳み傘もついていた。
選手証には8回戦までにつくべき卓がすでに記入されている。これはとても便利で、卓番の確認のために人だかりを (ひどい運営の場合は1ゲームごとに) 作らなくてよくなるから、日本の競技会も見習うべきだ。私も同じ方法を考えついたことがあるし、どこかでは導入されているかもしれないが。
03/07
05:30に設定したアラームが鳴って起こされる。しかしあまりにも暗いと思ったのでフロントに電話して時間を聞くと4時台だという。ああ05:30は日本時間での話だった。ということは朝食まで2時間もある。
入浴など一通り済ませても朝食までだいぶ余裕があった。そしてWifiが飛んでいてメールチェックなどはできるが、TwitterやFacebookにはつながらない。
朝食の場所へ行くと何かを要求されるが、食事券は昼食と夕食のしかないぞ。ああ「ファンカー (房卡)」って部屋のカードキーのことだな。どちらの文字も知っていて組み合わせた単語としては知らなかったが、単語だけからでも意味を推測できるのは中国語の学習しやすい点だ。
さて、いよいよ対局会場へ足を踏み入れる。おお広い。日本のものより大きい卓が63卓ゆったりと配置され、かつ前方にはステージとプロジェクターがある。
座位が事前に「選手番号順」と指定してあった。我々は常に北家スタートだが、毎圏換位なので気にならなかった。選手番号と氏名を成績記録票に記入し、開会式。日本からもプレイヤーが来ている、ということを言っていた気がする。
特に練習などできぬまま1回戦スタート。卓から牌が上がってきた。でかい。1組ゲタ牌は持っているが、それよりでかい。そして自動卓用の牌なので重い。こりゃ、たしかに体育だ。
麻雀の方は東1局から普通に仕掛けて混一色、9は17をアガることができた。初めてでよくわからないながら点数表に記入し、見せるとOKっぽい反応をされる。よしよし。東2局にアガったのは私ではないのだが、そこで気付いた。記録係を買って出たと認識されている。初めてなんですけど。まあいいか。
初めてといえば花牌を使うのも初めてだ。配牌時には花牌がなければ「过」あれば「补花」と、途中で花牌をツモってきたら「花」と言う人が多いようだったのでそれに合わせた。
花牌関係の発声、花牌や副露の置き場所、河の2行目を1行目より縁側に置くか中央側に置くかなどが人によって異なっているが、そんなことは誰も気にしていない感じだった。「多様な環境でプレイしてきた人がいるのだから、人によって違って当たり前」という思想が共有されているのだろう。私は日本の競技麻雀で培われた伝統「細かいところまで原則を決めておいて厳密に守る」も愛しているが「細けぇことはいいんだよ」という方が本場っぽいと思った。
役の点数を正しく覚えていない方とも同卓になった。3回戦、上家の手である:
456m9p フー9p チー456p ポン111s ポン999s
1sと9sの刻子を4点、さらに和絶張 (確かに、その方から見れば4枚目) で4点と数えられたのには少し驚いたが、チョンボとして続行すると、次巡に1sを加カン。それに対して、いったんフーを宣言した方が開いた手牌を伏せ「見せた牌から順に切らないとダメだ、カンはできない」と言う。それだとこのフーはどうなるんだろう、という疑問の浮上したところで思い出した。ルールの補則に「相公与停和者不得吃、碰、明杠, 即无权影响与利用别人的牌。补杠、暗杠与花牌除外。」とあったのでこれを取り出して見せ「加カンはOKで、あなたの搶杠アガリでは?」と言ったら主張が認められた。やれやれ。
初日は 1, 0, 2, 4 の7点で折り返すことになるのだが、4回戦目は手積み卓だった。卓の個数の都合か調子が悪かった卓を置き換えたのか、2卓か3卓は手積みの卓があったのだ。制限時間が5分だけ延長されるというが、もともと2時間も与えられているので何も心配はなかった。これくらいゆったりしていると、ゲーム間の休憩にも外へ出て飲み物を買いに行ったりできる。複数日かけて争う大会ではこの方がいいかもしれない。その4回戦目の卓に着くと、いきなり日本語で「大堀さんですか」と呼びかけられて驚いた。声の主は张堃さん。日本のアニメなどが好きで、日式麻雀も打つらしい。
点数の数え落としがあっても、教える人はいなかった。できれば「教える権利はあるが義務はない」とルールに明示してほしいかな (後半は共通了解のようだが前半は不明)。
03/08
旅疲れや緊張は抜けてきて、合間には世話になった方々と写真を撮ったりも (図1)。
5回戦の終盤だっただろうか。幸運に恵まれ、早い巡目にアガった手。
35m西西 摸和4m チー345m チー123s チー435m
これを自摸・坎張・缺一門・一色三同順と数えて「十九加八、二十七」と申告してしまった (この頃には「19は27」はこう言えばよいとわかっていた)。一色三同順が24点だなんてわかりきっていて、普段なら絶対やらないミスだ。すると、同卓の方が「一色三同順って何点だっけ?」とか言っている。その会話を聴きとることができたために誤りに気付き、訂正することができた。「他听懂了」(彼は聴いて理解した) も聞き逃さなかった。これが効いて5回戦は4点を得る。
ここまではまずまずの出来だったが、急に失速。残り3回戦で合計3点くらいは取れそうなオーラス、すべてうまくいけば10点までありえたが展開に恵まれず0点になってしまった。私の団体戦は11点。井戸田さん12点・釘宮さん13点・小野寺さん15点で、合計51点は 20位/29チーム。
結果に満足はできないが、わざわざ時間と金をかけ乗り継いで来た甲斐はあったという感想を抱き始めた。もちろん明日も真剣勝負だが「足を引っ張らないように」とかいうプレッシャーはない。あと2回、後悔のないように楽しもう。
と、その前に。4回戦で同卓した张堃さんに誘われ、日式麻雀を打つことになっていたので日本人4人で部屋を訪ねる (図2)。张さん・小野寺さん・井戸田さん・大堀の4人で打ち、釘宮さん・张さんと同じ部屋の杨莉さんは観戦に回られた。ところで普段は中麻でしか会わないが、小野寺さんはμカップ優勝経験者、井戸田さんは八翔位を3連覇されている。だいぶすごい面子だ。
東1局、親で配牌を取り「过」と発声。いや花牌は入っていないんだった。チーして井戸田さんから三色三同順の1500をアガる。その後もトップ目の张さんから门前清坎张断幺平和连六三色三同顺5200の直撃や、また井戸田さんから三色三同順1500 をアガった。しかしこんなに三色がアガれるとは、今日の午後ならよかったなあ。釘宮さんは「日本麻雀なんだからリーチを見せてよ」と言っているし。
1回目は张さんの三暗刻に刺さり傷を負った井戸田さんをを飛ばし、小野寺さんがトップだった。
麻雀そのものは真面目にやっていたつもりだが、常に日本語・英語・中国語が入り乱れて飛び交う (张堃さんは日本語を、杨莉さんは英語を、少し話せる)。杨莉さんに「中国語がうまいですね」と褒められて「大学で1年やった」「数学系の研究生です」と言うと「なぜ数学系なのに中国語も勉強しているの?」と聞かれ「東大では1年生で必ず第2外国語を勉強しなければならない。私は麻雀のために中国語を選んだ」と答えて喜ばれたりした。なお、麻雀をしない中国人に同じことを言うと “That’s not a good reason....” と微妙な顔をされる。
03/09
この日は順位卓による個人戦だ。第9戦は宋盼婧さんと同卓。まだ東場だったと思うが、中巡に私が切った 6p に、上家のフーがかかる。断幺・平和・三色三歩高で10は18ということで、アガリが認められたと思ったときのやりとり。「あっ、連六も」というので「いや、これ (河の 6p) でアガったので連六は取れませんよ」と指し示すと、それを見た下家の宋さんが「アガリ牌を持ってきていないからアガリは認められない」という。えっ? たしかに「点数を数え終わる前にアガリ牌を持って来い」と書いてあるけど、あなた手牌も伏せて山を崩しかけてますよね・・・。
結局、アガリを認めずに続行ということになった。アガリを宣言した方も素直に従っていたし、この点に関してはかなり厳しいのかもしれない。小野寺さんもアガリ牌の取り忘れによってアガリが認められなかったケースを見たとおっしゃっていた。その局は私が宋盼婧さんから五门齐をアガり、その後も順調に点数を積み重ねることができた。4点。
後から思うと、もしかしたら「アガったのはこの牌だから、連六は認められない」と言ったつもりが「まだアガリ牌が河にあるぞ、おかしいじゃないか」と伝わってしまっていたのかもしれない。それで宋さんが私に全力で加勢したということもありうる。もしそうだとしたら少し申し訳ない。
最終10回戦は手積みで1点。できれば平均の17.5点には届きたかったが、合計16点となった。
欢送午餐・闭幕式の会場 ('二楼餐厅' が2号館か2階かで少し困った) へ行くと、トロフィー・カップ・賞状などの賞品がズラリと並んでいた。日本の競技会とは似ても似つかない賑やかな雰囲気の中、団体や個人の上位・最高収入(1局)・最高収支(1ゲーム)・最高齢参加者 などが発表され、表彰されていく。日本チーム・日本人は平凡な成績だし呼ばれていないなあ、と思っていたら「优秀运动员奖」の表彰で
「日本麻将体育协会队, 井户田耕二!」
心の準備ができていなかったためか、井戸田さんは自分が呼ばれたことにすぐには気付いていないようで、周りに促されてから賞を受け取られた。井戸田さんおめでとうございます。
一通り終わって食事。この日に初めて食べ、特においしかったのはたぶん清蒸魚という料理だ。これは中国語の授業で (単語を) 見た覚えがあった。そこで後日Google画像検索で「清蒸魚」とやってみたのだが、上に載っている物が違う。試しに「清蒸魚 湖南」とやってみると、まあ赤いこと。こっちこっち。
釘宮さんと別れ飛行機までの時間をどうしようかと思っていたら、张さんが誘ってくれた。ホテルのプレイルームへ行き、昨晩と同じ面子で今度は国標を打った。それから行った早めの夕食は今回の遠征で最も口に合ったように思う。蓮根のはさみ揚げは日本人好みの味だったし、草餅は揚げてあって油がやや多かったが甘さ控えめで主食にもなる。
张さんは本当に親切で、空港までのタクシー、チェックイン、うっかり持ち込みそうになっていたワインをどうするかなどもずっと井戸田さんと私の世話を焼いてくれた。やはり彼も疲れていたようで、しばらく機内で話していたと思ったら、横で眠っていた。
03/10
深夜便なので機内で日付が変わる。機内食の箱を開けると、ここまでのフライトで想像するものとは違って数種類の菓子が転がっていた。日本ではあまり見ない感じで面白い。味は普通。
夜中に到着した上海浦东机场。日付は変わっていて、タクシー乗り場には誰もいないしタクシーもいない。どうやらもう一方の乗り場しか稼働していないようだで、张さんが場所を探してホテルまで一緒に乗ってくれた。助けなしには辿りつけたかどうか、本当にありがたい。1泊し、空港まで戻ってリニアに乗り市街地へ向かう。リニアモーターカーがグングン加速し、400km/h を超えて最高速度に達すると、後方からチビっ子が走ってくる。なるほど、リニアモーターカーより速いってわけか。
最初の目的地は上海最大の書店「书城」で、遅めの朝食はどこにしようか。龙阳路から地铁に乗り、車内でガイドブックを眺めると、陈师傅馒头专卖店陳師傅饅頭というのが南京东路付近で安くておいしいとあったのでそこへ行くことに。
メニューは完全に理解できたというわけではないが、肉っぽい名前のものを2つ選ぶと大正解。それでいて値段は1個1.5元 (<30円) と、文句のつけようがない。その後も上海観光を楽しみ、移動や搭乗待ちの時間は井戸田さんと有益な意見交換もすることができた。
帰りの便ではイギリス人のために中国語の税関申告書を英語で解説したりしてもいたのだが、"Yeah." がパッと出てこなくて「对。」って言っていた。中国語にたくさん触れられた証だ。
後記
パッケージツアーなどはしたことがあっても、麻雀のための海外遠征や乗り継ぎは初めての経験だったので色々と不安なこともあった。しかし、蓋を開けてみれば、親切な方々のおかげで、拍子抜けするくらい快適な5日間であった。大学で1年やっただけの中国語を4年くらい復習していなくても麻雀する上では何ら支障なかったし、偏食で知られる私でも食事には困らなかった。宿泊施設も豪華だし大会運営も非常にしっかりしていて、聞くと、今までの牌王賽と比べてもかなり改善されているらしい。
この記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひ早いうちに機会を見つけて行ってみてほしいと思う。必ず得るものがあるはずだ。私は大学院生だったが、ちょうど春休みに開催されるということで「この機会を逃したら、次はいつ行けるかわからない」と考えて決断できたのは本当に幸運だった。
行こうと思う人に1つアドバイスをするなら「入乡随俗」だろう。マナーの考え方が違うといったところにはかなり衝撃を受けた。でも向こうでそうしているのだからそれが正しいのである。また、中国語はやはり重要だ。以前に上海万博へ訪れた時にも感じたことだが「中国語が喋れれば中国の一員として認める」という感覚があるように思う。また、ヨーロッパなどと比べて、英語ができる人は思った以上に限られている。
最後に、この大会を支えた運営チームの方々、大会のエントリーなどを行ってくださった杨磊さん・上海のホテルまで付き添ってくださった张堃さんをはじめとする中国の新たな雀友たち、参加を決める前から情報を提供し誘ってくださったチームメイトの井戸田さん・釘宮さん・小野寺さんに感謝して遠征記を終える。みなさんのおかげで、また行きたいと思える遠征になりました。本当にありがとうございます。
参考: 費用
往復航空券: 77450円
自宅..成田: 約3000円 (往復)
両替: 2500元 = 45500円
うち宿泊および参加費: 1280元 = 23296円
上海のホテル代: 3500円
雑費: 1400円
(ほか、土産代など)
(以下有料: 文中で触れた図1–2)
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