少年時代の出来事は人見知りを加速させる
いつから人見知りになったのかは覚えていない。実家のタンスの上に飾ってあるフィルム写真を見る限り、4歳の頃は知らないお姉さんに笑顔で駆け寄っているので、当時は人を見知っていなかったようだ。ただ、その頃の記憶は写真以上にセピア色にあせているし、写真立て以上に埃をかぶっている。
ただ、「自分が人見知りだ」と感じたのを明確に覚えているのは小5の時のことなので、その前には人見知りになっていたんだと思う。
船で知らない連中と北海道に向かった小5の夏
経緯ははっきり覚えていないけれど、5年生の時に小学校の職員室前に貼ってあったポスターを見て、北海道への船旅企画に応募した。募集していた団体は覚えていないけれど、結構まともな企画だった気がする。県内の小学生~中学生が格安で豪華客船に乗り込み、道中含めて5泊程度の北海道旅行に連れていってもらえるという企画だった。
当時仲の良かった友達と二人で応募し、二人とも抽選を通った。たしか、かなりの倍率だったので運が良かったと言える。知らない人の前では借りてきた猫になってしまう僕が、普段絶対手を出さないそんな企画に応募したのは、海すらない県で生まれ育った子供にとってそれだけ北海道が魅力的な地であったということなんだろう。
母親からたいそう珍しがられた。アンタ、知らない人ばっかりなのに大丈夫なの?と。友達と一緒だから大丈夫だよ!と元気に答えていたが、後々この忠告をしっかり聞いておけば良かったとひどく後悔した。
先に結論を言うと、本当に楽しくない時間だった。約1週間、具体的に何をやったかほとんど覚えいていないが、この印象は今でも強く残っている。知らない小中学生と一緒に豪華客船(飛鳥だった気がする)に詰め込まれ、大まかに班分けされ、グループ単位で何の面白みもないレクリエーションに興じる。地獄みたいな時間だった。一緒に行った友達と班が分かれるなんて想像もしていなかった。
たしか、班の同性メンバーと4人で1部屋を与えられていた。こういった点もキツかった。普段、気の置けない家族としか一緒に寝ていなかった僕にとって、知らんガキどもと同部屋で寝るなんて考えられず、毎日眠りが浅かった。とにかく、全体を通じて居心地が悪い時間。母親の忠告を聞いておけばと夜な夜な思った。大体、生まれた町は小さい町で、いつもの生活は物心つく前から見知った顔の連中と営むのだ。そんな井の中の蛙が、知らん連中と北海道に行って楽しめる訳などないこと分かりきっている。大海を知るとは正にこのことだ。北海道行きの船が太平洋を航海している中、蛙は世界の広さを知った。
全体的に面白くなかったが、特に2つの出来事はハッキリ覚えている。
知らないやつにシャドーボクシングをしながら近づいた黒歴史
人見知りとはいえ、仲良くなる努力を怠ったわけじゃない。同部屋のメンバーや、食事で同じ席になった人には話しかけた。ただ、知らない連中と一瞬の会話で打ち解けられるほど、僕の心の融点は低くない。気が付くと、みんなそれぞれにグループを作っており、輪に溶け込めないやつらがパラパラと生まれていた。大体が端っこでモジモジしていて、もちろん僕もモジモジしていた。モジモジくん達は、あぶれた同士でグループを作ったりもしたのだが、僕にはできなかった。何か言葉にできない人見知り特有のプライドが邪魔していたと思う。人見知りは総じて無駄にプライドが高い。
さて、そうして順調に孤立したわけだが、そんな中で毅然とした態度をとりながら一人で行動するやつがいた。そいつは小柄ながら、整った顔立ちをしていて、孤立した人間なら誰もが持つオドオド感をまとっていない。集団にありながら集団に属さず、一人で生きていける強さを持つ唯一の存在。要するに一匹狼というやつだ。格好いい。
そんな彼にはある特徴があり、度々シャドーボクシングをしていた。僕はボクシングに詳しくないので適当だが、それっぽいフォームだった。彼はボクシングを習っていると思った。一匹狼。ボクサー。めちゃ格好良い。
僕は彼に憧れ、仲良くなりたいと思った。常に彼が何をやっているか気になって、ことあるごとにチラチラ見た。理由なく近づいた。特に話しかけないけど。そして、彼の真似をしてシャドーボクシングをした。彼の視界にギリギリ入る距離で。こっちからは話しかけないけど。
シュッ!シュッ!
パンチを打つときは声を出した。あれ?君もボクシングやってるの?と、彼から声をかけてもらえることを期待して。最終的には彼とすれ違いながらシャドーボクシングをした。ただ、結局彼と言葉を交わすことはなかった。
まぁ、相手の立場になれば気持ち悪いことこの上ないのだが、当時はこれで仲良くなれるはず!と本気で思っていた。普通の人には空にパンチを打つことより、軽く声をかけることがよっぽど簡単だろうが、僕には知らない相手に自分から声をかけるより、拙いシャドーボクシングを披露する方がよっぽど容易だったのだ。
この話、今考えても身の毛がよだつ。黒歴史の程度は人によって異なると思うけれど、僕にとってこの記憶は上位にランクインする黒さだ。思い出すたび苦しくなる。
風呂上がりに体を拭かないことでトラウマができた
僕は箱入り息子だったと思う。大事に育てられたし、それゆえか集団社会で生きていくための一般常識は少なかったと思う。船旅での風呂上りにそれが露呈した。
風呂は豪華客船の名にたがわぬ大浴場だった。大きな風呂はいい。たとえ一人でいても解放感に浸れるし、心にかかった靄も洗い流してくれる。心も体もきれいサッパリして、いつもの通り風呂から出た。脱衣所に置いてあるバスタオルで体を拭いていると、怒声が聞こえた。
「誰だよ、ビショビショのまま出てきたやつは!」
怒鳴っていたのが誰だか覚えていないが中学生だったと思う。そいつの怒りの矛先は、タオルで体を拭かずに浴室から出てきた非常識なやつに向いていた。あまりの怒りに完全に気が動転した。ばっくれようとも思ったが、濡れた足跡は浴室から確実に自分がいるところに続いていたし、隣で着替えている連中の目も自分に向いていたので、どう考えても名乗り出るしかなかった。
脱衣所にいた10数名の目の前で、ガタガタ震えながら「ごめんなさい」とつぶやいた。かなり勇気がある行為だったと思う。そのあとの記憶は曖昧だが、一通り罵倒されてベソをかきながら部屋に戻った気がする。
今でも「そんなに怒鳴る?」と疑問に思うが、あの時の出来事は軽いトラウマだ。銭湯に行って体を拭かずに出てくるやつを見ると、湯上りのせいじゃない汗がじんわりにじむ。
少年期の新しい出会いに良い思い出がないから、人見知りが加速したのかもしれない
この体験は心に刻まれた。少年時代、新しい人たちと出会うという貴重な機会で楽しい思い出どころか、黒歴史とトラウマが生まれたのだ。僕にとって、知らない人と共にいると良いことがない、とインプットされるのも不思議じゃない。元々人見知りだったが、この時の経験が人見知りを加速させている気がしてならない。
だが、もし「知らない人との交流で楽しい体験がない」ことが人見知りの原因なら。裏を返すと、知らない人との出会いに良い体験があれば、人見知りの度合いは緩和するのかもしれない。
そういった視点で新しい出会いに挑戦してみたい。