「明けない夜はない」みたいな話

 今は多くの人にとって苦しい時期だろうと思います。だからこそ、陳腐だけど「明けない夜はない」という言葉を信じてともに今を生きぬこう、そうやって共に支え合っていくことが今の私たちには一番必要なことだと思います。私たち一人一人は離れていても、みんなの心が一つになって明るい未来を目指していけるなら、それが希望になるから。 

「明けない夜はない」なんて言葉が好きな人は世界に一人もいないだろうと思う。「明けない夜はない」なんて言葉には、何の意味もないからだ。
 夜があるなら、夜でない状態がある。その状態変化を「明ける」と言ってしまうのであればこんな言葉には何の意味もない。辛く、苦しく、見通しの立たない日々を夜に喩えた時点でそれは明けるものになるのだ。
 こんなものは屁理屈だ。そう思うだろう。そう考えるなら、こう言ってもいい。この言葉を口にするとき、この言葉以外を口にできるだろうか。どうやら苦しんでいる、辛そうな相手がいる。それを理解できないし特に共感もしないから、その時のきまりの挨拶として、他にかける言葉がないから、「明けない夜はない」なんて言葉が出てくるのだ。そこに意味なんてない。 

 くだらない議論だ。これを書いていた人間はよっぽど暇を持て余していたのだろう。
 何年か前、世界中に感染症が広がり、全ての人間が不自由を強いられた。結局その感染症は数年の時間をかけて後に収束し、この人間がひどく嫌っている「明けない夜はない」という言葉は正しかったのかもしれない。ただ、夜が明けたからといってそこには晴れ渡った青空が広がっているとは限らない。この価値のない比喩に乗るならただそれだけの話だっただろう。

 世界がより良いとか、悪いとか、それらはどういうことなのだろうか。世界が持続可能であることを是とするのであるならば、それは完全に静止した状態こそが最もよいということになるのだろうか。今日も世界はとても静かだ。これが最良であるなら、きっとそうなのだろう。


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