誰に頼まれてもないのに大学生活を振り返る

 そういえば今日卒業式だったんですよね。なんか大学生らしい大学生みたいな人間に全然なれなくてかなり凹んでいました。

 ということで大学生活を振り返るnoteを書きます。大学には卒業文集とか無いし卒業アルバムも写真撮影をサボったので盗撮されてない限りはそこに私はいません、眠ってなんかいません。

一年生

 こういうのって時系列で振り返るべきなのかジャンルごとに振り返るべきなのか迷いますね。なんとなく時系列でやります。

 最初に失敗したのが大学入学前の新歓合宿の行きのバス。早すぎる。自己紹介+前の人が出した質問に答えて次の人に何か質問という形式のリレーが回っていた時に、前の人からの「最近何で泣いた?」という質問に「好きな漫画の最終巻で泣いた」と答え、「何て漫画?」「少女終末旅行」というマジの答え(受験期終盤の私は精神の小さくない部分を少女終末旅行に寄りかからせていた)をして空気が終わりました。ちなみに「何て作品?」のあとに答えた作品に誰も反応できず空気が終わるのはこの年度で別の人相手にもう一回あるのでこれは法律で禁じたほうがいいです。

 新歓合宿でもう一つ学んだ(失敗した)のは人を見かけで判断してはいけないということです。パーカージーパンにイヤホン挿してアトラクション待ちの行列(知らん人間同士で富士急行かせたのもよく考えたらおかしい)からちょっと距離取ってるやつを見かけてこりゃ同類のニオイがプンプンするぜ~と近寄って「何聞いてるの?」なんて声かけて、こっちにも何聞くのか聞き返されて、その時ちょうどNeruさんのアルバム出たころなんで「ボカロとか」って言ったら「そういうの早く脱却した方がいい」とかいう強い一撃を貰いました。マジであいつなんだったんだ。
 見かけで敵だと判断する分には予言の自己成就が効きやすくてあんまり困らないけど、見かけで同類だと思って油断してた相手から殴られて泣いちゃったあ。

 まあそんなこんなで大学の人間関係作りに完全にビビって(オタクとは出会えたけど結局イマイチ仲良くなれんかったな、彼はサークルのコミュニティに行ったんだろうな)その後数年の友達無し生活がスタートしましたとさ。あ~あ。今思うと頑張りようはいくらでもあったんだろうけど当時はいっぱいいっぱいだったんだよな。オタサーに入りたくはなかったし。

 バイトは登録してた個別指導の依頼が全然来なくてボーっとしてたら入学祝を使い果たしたから仕方なく試験官とかやってた。

 サークルは投資サークルに入りました。当初はやる気あったんだけどなあ。途中でやる気をなくしたということです。資産形成とか考えたほうがいいよねって四月病もあった。

二年生

 一応大学生活で一番充実してた期間にはなるのかなぁ。

 個別指導のバイトの依頼がちょくちょく入るようになった。自分も英語苦手なクセして英語ばっか教えさせられてた。現代文を私に習ってた彼はどうなったんだろうなあ。まあ私のとこにいい知らせがないということは多分そういうことなんだろうけど。まあだからいくらかお金があった時期になります。
 「モダンタイムスみたいなことをしたい」という不純すぎる動機で工場バイトして3日で辞めました。モダンタイムスみたいな労働は人間疎外であるとか言う前に腰をやられる。

 サークルは二年前半まではまあやる気あったってか人の投資話を聞くのが面白かった程度なんだろうな。自分で銘柄探すのとか全然やんなかったし。ぼかぁ投資サークルには向いてねえやぁと思ってコロナを言い訳に年度末あたりから幽霊になった。インサイドちゃんの会社に経営の話聞きに行ったりしたのよね。資料がパッと見で全然意味わかんなかったのを覚えてる。あと部長副部長が気に入らなかった。本名を雑にいじるのが地雷ですもので、雑にいじられやすい本名をしているのでね。

 あとは高校同期に声かけてちょくちょく遊んでた。今でも付き合ってくれてる彼らには感謝。実際これなかったらマジの孤独で”終わっ”ていた可能性がある。TRPGのシナリオ書くのって紙とペンあればできるから試験官の内職に向いてるのよね。

 旅行も行った。私は数年に一度も自分では旅行しないから年二回行ったこの年はかなり特異的だった。黒部と糸魚川、謎に中部北陸に偏ったな。この後あんなこと(コロナ禍)になるなんてね……

 あとは現場不行(げんばいかず)のオタクをやめてヒメヒナのライブに申し込んでみたりしていた。1stは4回抽選落ちして行けずで、田中音楽堂の方は現地行けた、ラッキーでした。この週は糸魚川行ってライブ行って親知らず抜いたかなり激しい週でした。

 臍の持病(尿膜管遺残)が明らかになったのもこの年。私と羽生結弦の唯一の共通点なので大事にしていこうかと。大したことないんだけど再発したら手術の方針。

 私の通っていた大学ではゼミナール選考が三年になる直前に行われることになっていて、この時にゼミが決まらないとどんなに単位があっても留年するシステムだったのでこれで留年しかけた。こんな理不尽なことはないと思うが大半の人は問題なくこれでゼミが決まるからいいらしい。
 「何をしたいか」を語るのが本当に苦手なのが苦戦した原因だったんだろうなあ。成績いい方だったし。
 どうにか今のゼミの教授に拾っていただいて留年回避にはなった。

三年生

 ここまでで大学生活の半分、長いnoteだなあと思うでしょ、大丈夫、ここからはすぐだから。

 コロナ

 これで終わり。個別指導のバイトはなくなったし大学には入れないし旅行も行けないヒメヒナ全国ツアーは中止、サークルは相変わらず幽霊。この世の終わりみたいな雰囲気ある年だった。まあ今年も終わりみたいな空気漂ってるけど。

 就活はちょっとしてた。詳しくは(そんなに詳しくもないけど)この記事で。


四年生

 コロナ禍の大勢は変わらず。まあ私がよく自粛に耐えられる方ではあったんだろう。居酒屋とか生活の中に入ってなかったしね。まあそうだとして自粛破り的なのにイラっとしないかと問われたらそんなこともなし。表立って文句は言わないけど。

 三年生の時の生活に卒論が入ってきただけ。なんか手元にあるものでどうにか卒論にならんかなと思って転がしてたら1月になってたし、60ページあるうちの40ページぐらいは1/1の深夜に書いた。まあ当然大したものにはならず、卒論の慣行としてA+は貰えてるけど実際50~65点ぐらいのものでしかないだろうな、というのが出来上がった。これは本当に後悔してるけどまあ事情が仕方なかった部分もあらあわな。教授も留年回避するために嫌々入ってきた奴のケツ叩くのは気分がよくなかろうし。

 あとは高校同期とDiscordに集まってアニメ見たりゲームしたりしてた。週4~7ぐらいのペースで集まってるのマジ?これないと本当に家族以外と接点がないぐらいの感じ。

 そんで大学でできた友達関係では一人と二回飯食っただけでした。当然卒業式で話しかける相手もいないってもんで、浮足立ってザワついてる周囲に感情を乱されるなどしたわけ。今日狂い気味だったのはそれね。

まとめ

 後半に関しては愚痴ばっかりだったけど、全体の感想として大学生活は悪くなかったです。学問は面白いよ、社会学は正解を導く類の学問じゃないけど、社会を見る視点をいろいろ学べたのは楽しかった。また、学問に飽きたら休んでも遊んでもいいのが大学のいいところ。めちゃくちゃ寝たしめちゃくちゃゲームした。WoTとAPEXはかなりの時間やったし、ドラクエビルダーズとポケモンアルセウスは瞬間風速がすごかった。就活で最後に助けてくれたのも学歴だったし。大学いいところでした。同じ大学や学部、サークルの友達がいるとまた別の楽しみ方もあったんだろうなとは思うけど。終わった話をしてもしょうがないね。

 働くの怖すぎ~~~~~~!!!!!!
 直近の合宿イベントを二連続で大失敗(東進の英語合宿、大学の新歓合宿)して負傷してるんだけど会社入って合宿あるってマジぃ!?!?!?

 ありがたいことに生きてるし、しばらく死にそうな予定もないので、頑張りま~す。では。

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