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子どものやりたいことにブレーキをかけるのではなく、子どもがやりたいことを出来るように寄り添うこと。
子どものやりたいことにどう付き合うか
「滑り台を下から登ってみたい」
「塀の上を歩いてみたい」
「スーパーで変なお菓子買いたい」
「おもちゃをたくさん買いたい」
こういう子どもの欲求に、ブレーキをかけている親
をわりとよく目にする。僕自身も前にブレーキをかけてしまった経験がある。
例えば、以前公園で見たのは、滑り台を下から登ろうとする幼稚園生。親はその行為を止めて、「だめでしょ!」と叱りつけていた。おそらく、周りの迷惑になるから、途中で転落したら危ないから、使い方が違うからという理由じゃないでしょうか。
確かにそうかもしれないけど、そういう子どもの小さな欲求は実はすごく大事だと思っていて、そういう小さな欲求を毎回毎回ことごとく潰されるとやる気を無くしてしまう。欲求を潰すということは、その子の好奇心や興味、意欲を無くしてしまう方向性になる。
だから滑り台を下から登るという小さなことだけど、こういう欲求を親がどう対応するかで、意欲ある子どもかそうでないかの教育となるんじゃないかと思うのです。
これは一つの例なので、すべてに適用されるわけじゃないし、もちろん親側にも都合があるので、すべてにおいて子どものやりたいようにさせてあげることはできません。
さらには時と場合によって、親の対応の仕方も変わってくると思います。
また滑り台の話に戻りますが、もしも公園で遊んでいる人が他にいなくて、一人で滑り台を下から登ろうとしていたら、近くで親が見守りながら子どもに勝手にやらせればいいと思う。
もしも他にいるのが話が通じる小学生だったら、1回だけ滑り台を下から登りたいんだけどやらせてもらえないかな?と言ったら、「いいよ」と言ってくれるかもしれない。「そんなのだめだよ!」と言われたら、その時は一旦引いて、人がいなくなってからやってみたらいい。
どう判断してくか
こういう子どもの欲求が出たときの判断する基準は、基本的には、出来ることなら全て子どもの欲求が満たせるようにすること。その欲求に寄り添うことで、子どもの意欲を失わずに済むから。
そしてもう一つの判断する基準は、子どもだけの欲求だけじゃなく親の欲求も大事にすること。
子育て系の本を読んでても、親同士の話を聞いてても、結構この観点が抜けているなと僕は感じています。
親の欲求が犠牲になり子どもだけの欲求が満たされるというのはだめです。親が我慢ばかりして、子どもにばかり甘くしていては、いつかは親も爆発します。
親も子どももどちらも同じ人間なんです。どちらも犠牲にならずに、我慢することなく、互いに欲求が満たせるようにする。そうなるようにはどうしたらいいかをいつも考えながら行動する。
親も子どもも満足するやり方なら、それこそが家庭の平和につながります。
まとめ
◯ 子どものやりたいことにブレーキをかけるということは、子どもの意欲を失うこと。
◯ 意欲ある子であるには、ブレーキをかけずに、やりたいことができるように寄り添うこと。
◯ 寄り添うためは、親が自分を犠牲にしないこと。
◯ 親も子どももどちらも満足する結果を選ぶこと。
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