![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169930904/rectangle_large_type_2_863bcc0e752501e3ec56afe061418319.png?width=1200)
今までの70年これからの70年 .<お便所>から<トイレ>で
2025
トイレの話になった。
60歳も違う小学6年生と私との話。
小学6年生は、今使われているウッシュレットの方式トイレしか使ったことがない。快適な毎日を過ごしている。
そこへという私は、トイレの歴史を生きてきていることを自覚させられた。私が5歳くらいの時のことだと思う。トイレというよりもお便所といったほうが適切だと思う。そのお便所に落ちたのである。
自分でも<まさか>だ。お便所の縁につかまって、助けて―「落ちゃたよう…」って叫んだと思う。助けに来てくれるまで、私には長く感じたのを覚えている。助けてくれた兄は、笑っていた。お便所は、<ぼっとん便所>なのだから。
<キンカクシ>が板の間に埋めてあって、うんこが見えるし、拭いた紙だって見える。それが<ぼっとん便所>だ。お尻を拭くのは、新聞紙だった。お尻を拭く新聞紙を、今でいう <テッシュペーパー(昔はちり紙と言っていた)>の大きさに切るのは、子どもの仕事だった。それを切るのは、物差し(だった。竹でできていた)。切り口は、ギザギザで新聞紙がけば立っていた。それを置く。そのまま拭けないので、拭くときは新聞紙を良く揉んで柔らかくして、拭いたもんだった。それが、黒い漂白されてないちり紙に変わった。それから白い漂白されているちり紙に変わった。洋式の便器を初めて使ったのは、大学のトイレだった。それまでロール式のトイレットペーパーがなかった。便器が洋式になってトイレットペーパーが出たのか、和式のうちからロール式が使えるようになったのかは、記憶がない。
こんな話を聞いたことがある。田舎のトイレは、糞尿を肥料に使うのでお便所は、家から離れて作ってあり、外に行く。そのお便所には、縄がぶさ下がっている。稲の穂で編んだ縄である。どうするのかというと、それをまたに挟んでうんこを拭くという。うんこが乾いたらパンパンって柱ではたいて、うんこの乾いたのをそぎ落として、また、使う…って話、嘘だと思う。あり得ない。でもそんな話を面白おかしく先輩から聞いた。
ウッシュレット方式のトイレで育った小年生と<ぼっとん便所>から育った私との間には、何があるのだろう。トイレだけのことではない。テレビもしかり、黒白からカラーへブラウン管TVからデジタルへ。洗濯機も、冷蔵庫も、扇風機も、レンジも、スマホも…。そうだ、火だってそうだ。薪をくべて竈で炊いてきた、七輪で炭、石油ガスコンロ、そしてガスコンロ、ガス窯。
この70年間だけでも想像もつかないものがこの世に実現している。
話は、これからの70年の及んだ、ドローンのタクシー、リニアモーターカー。EV自動車、スマホの未来、もう70年は生きられない。
しかし、小6年生は生きられる、82歳だ、主役を担う。
任せるよ。