高校中退の大卒が、高専から大学へ編入学して4日で留年した話を読んで思うこと
先日、たまたま
を読み、明らかに履修システム(シラバス)の欠陥で、それによって奨学金が止まったりと、noteで記事を書いた方は色々と理不尽な目に遭われたようだ。
そこで、「大学で学ぶこと」について書いてみようと思った。
私が大学に進学した理由
私の場合、中学2年生の頃に父が寝込んでしまい、早く言えば高校2年生の夏に亡くなった。バブル景気の頃で、私が高校に進学する頃には自宅を売り払ったが、特に資産も無ければ、母も手に職があるわけでもなかった。愚弟の高校進学といった問題もあるし、長男である私が高校を中退して働かなければならない。
高校を中退することに対して、母は特に反対はしなかった。高校を中退してすぐにアルバイト情報誌でソフトハウスの求人を見付けて電話してみると、「一度遊びに来ないか」という話だ。当時は常識もスーツも持っていなかったので、普段着のまま、一応履歴書を書いてその会社に行くと、トントン拍子に「いつから来られる?」という話になった。私は「すぐにでも」と返事をした。2日後ぐらいに「正社員として採用します。20日から来て下さい」と電話があった。まだ、高校を中退してから1週間ほどだった。結果的に、その月の12日に17歳になったばかりの私は、夢だったプログラマにアッサリとなってしまった。
母にソフトハウスで正社員として勤めることになったと話すと、どんな会社か分からないのに決めたのか?と、意外なことを言う。しまいには「お前が正社員として働くなら、お母さん、居酒屋をやろうと思うんだけど」と、これまた突飛なことを言い出すので驚いた。それより、親父のスーツと革靴ってあるんかい?と聞いたことを覚えてる。
それから約10年、実に様々なことがあった。結局、母は居酒屋を経営したが、住人の火の不始末で建物が全焼し、張り合いをなくしたのか、ほどなく寝たきりになってしまった。私はと言えば、入社した会社の親会社的な会社の営業マンと組んで有限会社を起こしたが、バブルが弾けて途端に資金繰りが苦しくなり、会社を離脱してフリーランスになったばかりだった。
実家に戻って母の介護をしつつ、昼夜を分かたずとにかく働いた。3年ほどで母は寝たきりから脱してくれたので、フリーランスとして(外注会社の社員のフリをして)パッケージシステム開発の現場でバリバリ働いた。しかし、そもそも会社の経営どころか、簿記の知識もない珠算6級の私には、パケージシステムの売上管理部分の設計が出来ない。そこで、日商簿記3級の勉強を開始してアッサリ合格したものの、仕訳と小口現金の取り扱いと決算書類の作り方ぐらいしか分からない。色々と調べてみると、中小企業診断士の資格を知り、「これだ!」と思った。
ところが、コンサルタント系唯一の国家資格であるため、合間をみて独学で取得するのは到底無理だと分かった。私は怠け者なので、通信教育は絶対に向かない。かと言って専門学校で勉強するぐらいなら、いっそ大学の経営学部や商学部で体系的に学んだ方が良いだろう、と結論した。そうと決まれば、まずは大検を取得しなければならない。その上で、通勤圏内で通学可能な二部(夜間部)がある大学を決め、その大学の入試を突破する必要がある。
今なら想像するだけでウンザリするが、当時の私は若く、そしてなにより理由もなく希望があった(当時を思い返しても、不思議でならない)。高校は2年次中退なので1年次の単位が認められるから11科目中8科目の受験で、まるまる夏休みを大検の受験に充て、何とか一発で全科目に合格した。大学も私学で最初に商学部を設置した、しかも学費が安い大学に決め、その入試も突破した。SEとしてクソ忙しい仕事をしながら、全部独学でやり切ったのである。
大学の二部には色々な学生がいる
二部の学生の圧倒的大多数は18~19歳の現役生だが、少数ながら私のような社会人学生もいる。ごく少数だが定年退職を機に入学した人もいたし、大卒だが大学で学び直すために入学して来た社会人もいた。普通は3年時編入だが、1年次から入学している人もいたので、驚いたのを覚えている。
その中で、特に印象的だったのは70歳(当時)のお婆ちゃんだ。若い頃は戦争で勉強どころではなく、戦後も一生懸命に働いてきた日本人の一人である。子育ても終わり、仕事もリタイアしたので、「やっと学校で勉強が出来る」と思ったそうだ。しかし、文部省(当時)に問い合わせると「高卒ではないから大学に入学出来ない」と言われ、都内の定時制高校に入学し、4年で卒業して、やっと好きな勉強をしに大学に入学したのだった。
現役生の中にも、色々な人が集まるのが大学だろう。
「短大は意味がないけど四大では経済的に難しい」という理由で二部に来た女子もいたし、北海道から上京し、新聞奨学生で奴隷労働をしていた人もいた。中でも面白いな、と思ったのが、某G習院の幼稚園からエスカレーターで進学し、「このままじゃ自分はダメになる」と思って某G習院大には進まず、3浪して二部に来た変わり種もいた。
その他、挙げればキリがないが、死んだ目のような付属上がりもいれば、3浪して諦めたのか(?)二部に入学した学生も割といた。
ザックリ言えば、二部の学費は一部(昼間部)の半額だ。伝統的に夜間教育に力を入れて来た大学なので、一部で教えている教授が二部も教える。一部と二部で教育格差がほとんどないのに、学費が半額ってのが素晴らしく良い。それに、国公立よりは多少高い学費だが、私立では抜群に安いのだ。
例えば、当時の東京都立大(現・首都大学東京)の夜間部は5年で卒業だった。それに一部を除くと、たいていの国公立大は通学アクセスの悪い立地が多い。それに比べれば、私が卒業した母校は都内だし通学のアクセスが至便で、4年で卒業出来る上に学費が安く、自分が勉強したい学部・学科があるので、文句の付けようがなかった(注:今の母校は昼夜開講制となり、二部は消滅して夜間主コースでも学費は昼間主コースと同額だ。「実質の学費値上げではないか!」と盛大に反対したのが、文学部の教授達だったと聞いている)。
高専は一般入試と比べて、大学への編入学が有利?
「高専から大学へ編入学して4日で留年した話」の記事では、当事者じゃない人間が「高専に入学すれば大学に簡単に編入出来る」と安易に煽るのは無責任だ、としている。私もそう思うが、そもそも高専で5年勉強して来た人なら、有名大学に編入学するのは、そんなに難しいことだとは思わない。稀に早稲田大のように、編入の入試が普通の入試より厳しい(難しい)大学もあるようだが、普通は編入の方が入試は簡単だろう。
これは当該記事のコメントでも書いたが、「高専から大学編入」より、かつては「短大から大学編入」の方が遥かに簡単で、知る人ぞ知る「抜け道」だった。分かりやすく言えば、入りたい大学があって、自分の偏差値が合格圏内にない場合、その大学の短大に入学して内部編入してしまう手だ(別の大学に編入しても良いのだが)。
大学によって違うかも知れないが、私の母校では短大生も同じキャンパスだし、教えるのは大学の教授だし、大学のサークルにも入れるし、そのまま単位を活かして3年次編入することも可能だし、それでいて短大の方が偏差値や競争率は低い、という事実があった。
※私には短大をdisる意図はない
とは言え、短大は圧倒的に女性のみの場合が多いし、そもそも20年ほど前から全国的に短大のニーズと存在意義が薄れ、徐々に地方から短大の定員割れが続出して存続不能になり、都内でも短大は存亡の危機ではある。
私の母校でも10年以上前に短大は閉鎖してしまったし、青山学院大も昨年の2018年度の入学者を最後に、短大の入学募集を停止してしまった。
言ってしまえば、現在の文科省は18歳年齢人口が右肩下がりの超少子高齢化社会なのに大学を作り過ぎた、と言えるだろう。経営する大学法人は国公立や私立の別なく大変だが、文科省は補助金を投入するものの、大学法人の経営なんぞ知ったこっちゃない。もっと言えば、その大学で学ぶ学生に関してだって、(゚⊿゚)シラネー なのが本音だと思われる。
四大であっても、地方は国立の駅弁か私立のFラン大ばかりだろう。結果として、定員割れして補充するのはChinaや韓国といった留学生であるし、文科省はこれらの留学生に対して十分過ぎるほど金銭的な援助をしている。日本人の大学生には奨学金という重い借金を背負わせるが、特亜三国の留学生には手厚いのが実情だ。
ともあれ、短大から大学への編入に関しては、「抜け道」ではなくなっているのが現状だろうと思う。
留年は罪悪か?
これも人それぞれだろう。高校は定時制でなければ最大4年しか在学出来ないので、ダブリは相当恥ずかしいし、後がない。それに比べれば、大学の場合は通常8年(通教の場合は12年)在学が可能だ。
私の母校は全共闘運動華やかなりし頃に「カルチェラタン」として中心的な役割を果たしたし、事実2000年に学生会(一部学生自治会)・学苑会(二部学生自治会)が解散させられるまでは、タテカンがそびえ立つような、サヨク学生とサヨク活動家の巣窟でもあった。
あまり知られていないと思うので書くが、サヨク活動に邁進するサヨク学生は、サヨク活動が忙しくてほぼ講義なんかには出席しない。タマに(母校の体育の単位では)乗馬やスキーなんかがあるので、それを気まぐれに取得するぐらいで、8年生まで学生でいるのが普通だ。そして除籍になってプロ市民として活動する。
私の母校の文系学部は一様に4年生までは留年ナシで進級出来る。だが、必修科目や卒業要件単位数の関係で、単位がないと卒業要件にひっかかるから普通に卒業は出来ない。
サヨク活動に目覚めてしまう学生や、当時問題になっていたオ◯ム真理教系や統◯教会系のサークルにドハマリするような学生も、一様に学業を放擲してしまう人が多いようで、出家するなり合同結婚式に参加してしまったりしていたようだ。
いずれも、たった一度の人生なんだから、自分の信じた道で頑張れ!としか言いようがないが、前述した通り、二部の学生はバラエティに富んでいる。
私個人は、何浪しようが、大学で留年しようが、一向に構わないと思っている。そもそも私はクソ忙しいSEであり、しかもフリーランスでSEをやりながら、それでいて語学等の必修授業が17:30の1コマ目にあるのだから、4年で卒業出来るなんてあんまり思ってなかった。結果的に、キッチリ4年で卒業はしたけれども。
私の場合は置くにしても、
大学で勉強することをどう考えるか?
ではあるだろう。
大学を就職予備校だと思うのか、4年間のモラトリアムとするのか、でもかなり違う。
私の母校は(教授が言うには当時の文部省が文句を言うほど)夏休みが長い大学らしい。その長期の休みの内に国内を旅行しまくる学生も多いようだし、世界に出てバックパッカーをやり、音信不通になる学生もいるようだ。
それで、いいではないか。学ぶというのは、別に大学に通うのみで得られるものではない。国内の旅行にハマり、日本を再発見するのでもいいし、海外でバックパックしながら貧乏旅行をするのでもいい。「求めよ、さらば得られん」である。
無論、途方もない旅に出る以外でも、母校は世界中の優秀な大学と提携しているので、経済的に許せば、好きな国の大学に留学に出ることだって可能だ。重要なのは語学ではない。カネは必要だが、それ以上に必要なのは「学ぶ情熱」である。
ともあれ、3浪した果てに入学して来たり、サヨク思想にカブレたり、旅に出てしまったり、他国の大学に留学するような大学で、留年なんて取るに足りない話でしかない。
もっと言おうか?私は当時、実に不思議に思ったのだが、原級する学生が一定数いるということだ。
( ゚Д゚)ハァ? と思っていたので、当時同じ学部の5年生や6年生(いずれも年下)の人に聞いてみたのだが、異口同音に「社会に出るのがイヤだ」「社会に出るのが怖い」だった。
積極的に勉強がしたいのなら、学部を卒業して大学院の博士課程(前期・後期)に進むべきだろう。しかし、こういったモラトリアムな人は、そんなに積極的に勉強もしたくないので、(卒業単位はあるのに)漫然と興味のありそうな講義を履修し、無駄に単位を取得しているに過ぎない。いつかは必ず卒業せねばならないのに、学生の身分でいたいだけだ。
それでも、いいではないか。それも大学での「学び」なのかも知れない。そういった多様性が大学にはあるし、それを否定も肯定もしないのも、やはり大学なのだ。なぜなら、自ら学ぶのが大学であるのだから。
私個人が思うこと
実は、仕事をしながら大学を目指して入学した社会人学生ほど、脱落していたと思う。
簡単に「二足の草鞋」と言うかも知れないが、そのワラジを履き続けるほど、難しいことはない。
そもそも本職を持っている社会人が大学で勉強して卒業したからと言って、今より上位の会社にすぐさま転職するワケじゃないし、私が知る上では、どうやら「権威付け」が多いような気がする。確かに高卒で社会に出た人が勉強して卒業するには、大学の二部ほど良い環境はないだろう。私のような高校中退の中卒には、特に有り難い。
しかし、高卒や大卒の企業人であっても、大学ブランドの「◯◯大卒」が欲しい人が多かった印象だ。無論、私を含め、そうではない人だっているのが現実ではある。
要するに「◯◯大卒」の資格(?)が欲しい社会人学生ほど、脱落する。入試や入学オリエンテーションで親しくなった社会人学生の何人かは、それ以降、一切お目にかかることがなかった。残念ながら、これは事実だ。バイトやパートのように、毎日決まった時間に退社が出来ないのが会社員だし、日本における大学教育は、驚くほど社会では軽視されている。
それでも、私は大学公認の社会人学生サークルで初代電算化委員長をやり、サークルの公式サイトと各種MLを構築して運営していた。だから、他大学の社会人学生にも友人が多かったし、色々な人と知り合い、大いに勉強すると共に、楽しんだ。
私個人は、仕事の事情と金銭的な事情が許せば、ぜひ大学院に進学し、マスター(修士)を取るぐらいの研究がしたかった。大学で勉強することはとてもエキサイティングで、教授が口角に泡を飛ばしながら熱弁するような講義は、インスピレーションの泉が湧くようで、とてもノートに書ききれないほどだった。そういった意味では、社会を知らない現役生なんかより、社会人の方が大学の講義を聞いて「あ!なるほど!」と思うだろう。
大学で学ぶ4年間は、十分に私を育ててくれた。だからこそ、母校には恩返しがしたくなる。
では、3年次編入の人ではどうか?と言うと、一様に知り合いの3年次編入の人たちは、誰しも母校愛に目覚めている。そして、やはり「勉強が足りない」と言う人は多かった。そもそも、3年次編入が可能なのは、高専・短大・四大卒の準学士以上の資格がある人に限られるのだが。
中には都内の大学を渡り歩く、とある会社役員のオッサンがいた。その人は私が所属するサークルに入ったこともないので、ロクに話もしたことはなかったが、都内の有名私立大学を制覇する勢いで渡り歩いていた。何がしたいのかは不明だったが、早稲田大を卒業して私の母校に入学したようだ。大学院に進学して学位を取るでもなく、都内の大学の学部を渡り歩いて何になるのかサッパリ分からないが、こういった珍しい人もいる、ということだ。この人も、3年次編入だったな。
1年次から4年間勉強するんでも、3年次編入で2年間勉強するんでも、人によっては「足りない」と思うだろう。私も「足りない」と思ったクチだが、学部卒業でも贅沢な身の上で、それ以上学生を続けることが出来なかっただけである。東大生の半数以上が大学院に進学するのは、そうだろうなぁ、と素直に思う。3流私大の二部生だった私でさえも、大学院で学部の研究を続けたい衝動に駆られたのだから。
有益な勉強をすればするほど、自分の無知を思い知り、もっと知りたくなる。当然、もっと勉強したい。だから、大学における学習態度によって、その考えやスタンスが違ってくるのは当然だ。
最後に、大学進学の問題について
私が社会に出て一番驚いたのは、「大人は文学を読んでない」ということだった。いや、文学作品だけではない。本を読まない人が圧倒的に多いという事実を、私自身がなかなか受け入れられなかった。
本を読まない人は、たいていは問題を深く考えない人だ。そして自分の意見がない人が普通に多い。これは驚異的なことだったが、感情的で非論理的な人が多いのが、何よりその証左でもある。
本を読まず、マンガぐらいしか読まない人が多い印象だが、それでも今や高卒の半数以上が大学その他に進学する。それも奨学金という大きな借金を背負って。
私と同年輩かそれ以上の親世代は、自身の子供に「大学ぐらいは出ておけ」と言うのかも知れないが、だからと言って今の時代、自身の子供の学費を出してやれるほど経済力のある親が、どれだけいるのだろうか。昨今では国公立大でも学費が高すぎるのに。
大学の学部に4年通う学生の奨学金の平均は、およそ360万円だ。これを大学卒業後、給料の少ない新入社員になった途端に返済して行く。平均返済期間はおよそ16年で、奨学金と言う名の借金を完済する頃は、もう立派な中年である。それで結婚して出産して等、無理ゲーも良いところだろう。
そもそも、大学に進学した若い男女が、恋愛に発展するだろうか。あ、コイツ400万近い借金(奨学金)を持っているんだな、と思えば、男女ともに考えてしまうだろう。お互いに「背負いきれるのだろうか」と思うのは、ごく自然な発想ではある。
文系学部より理系学部の方が学費は確実に高い。特に医学部なんて貧乏人の小倅や小娘が行けるような学部ではないし、薬学部が6年制になって10年以上が経つ。よほど成績優秀な人でもなければ給費奨学金は得られず、それでも希望する大学へ進学したい普通の人は、貸費奨学金に頼らざるを得ない。そして学生時代に風俗その他でバイトをするのだ。
問題は大学側にもある。大学は玉石混交で、真面目で優秀な教授がいる一方、教授職にしがみ付いているだけの無能もいる。そして文科省の天下りや、マスコミからの転職教授は、圧倒的に後者である。
私の母校には天下り教授はいなかったが、いわゆるFラン大は天下り教授の宝庫だ。高卒は今や当たり前で、高卒でもない人はあたかも「人間ではない」ぐらいの勢いだが、それが大卒になって来ている。だから(?)ロクに本も読まず、勉強も大して出来ないのに、Fラン大に進学して奨学金破算をする人が跡を絶たない。
松下幸之助が著書で書いていたと思うが、早くから自分の適性を見極め、進路を決定すべきである。松下幸之助翁が言っていたのは、「トラックドライバーになりたい人が、大卒である必要はない」のである(トラックドライバーをdisる意図はない)。
数百万からの借金を背負って大学を卒業するのだから、大企業のサラリーマンを希望するのは、心情的に分かる。しかし、Fラン大卒ほど大企業志望なのは、オメデタイとしか言えないし、当然ながら玉砕しかないだろう。しかし曲がりなりにも「大卒」なので、無駄に投資しているしプライドだけはあるから、一次産業や二次産業に従事しようなんて1ミリも思わない。
結果として、農業・漁業・工場労働を希望する日本人の絶対数が足らず、外国人労働者に頼るほかはない。そして奨学金として多大な借金を抱えた大卒者は、結婚はおろか恋愛にも奥手になり、ますます少子化が加速するといった社会になってしまった。
日本はそのうち滅亡すんじゃね?
長々と書いたが「高専から大学編入」なんて、まだまだ気軽な話題でしかない。このまま政治に無関心で放置していたなら、日本は亡国の一途だろう。