経験豊かなオッサンSEの助言が欲しかった、若い頃の話
あまり自分のことを語るのは好きではないが、私自身が高校中退の大卒であることは書いてしまったので、それはそれで、もう、どうでもいい。
かつてバブル景気の末期頃、有限会社を共同で設立し、分厚い電話帳を片手に「SEの俺がなんでこんなことを?」と思っても仕事がない以上は仕方がなく、飛び込み営業をしていたあの日々のことを思い出す。
今では信じられないような思いで若い頃を思い出すが、しかし、当時は切実に「経験豊かなオッサンSEの助言」が欲しかった。
独立したからには、当初の仲間は社長をやっていた年上の営業マンしかおらず、技術的なことは全部自分で責任を持つしかなかったのだから、今思えば19歳でかなりムチャなことをしていたと思う。
今でも覚えているが、社長のツテだとか言う地場の建築会社の、「積算見積書のパッケージシステムと同等のシステム開発をお願いしたい」という要望は、私を奈落の底に突き落とした。
正確に言えば、その建築会社が使っている積算見積書のパッケージシステムはコピーガードがかかっていて、フロッピー運用だからシステム(フロッピー)のバックアップが取れないし、可能ならば使いやすいシステムを作って欲しい。20万円で。
は?
じゃ、某コピーツールを使って、バックアップフロッピーなら20万円でいくらでも作りますよ!な話でしかない。
いや、それしか対応のしようがないのだが、プログラムなんて1文字も知らないバカな社長が、居酒屋である某すずめのお宿ばりに「はい!喜んで!」と請けて来やがった。
理由は、「設立間もない会社だから、取引実績がないと銀行から融資が受けられない」だった。
私がいくら強行に反対しても、立ち上げたばかりの会社で仕事がない以上、私には開発するしか道がなかった。
・・・ここで、長々と当時の辛く苦しい思い出を書くつもりはない。
が、ひとつだけ書くとすれば、連日事務所に泊まって開発した挙げ句、結局は全部を破棄せねばならず、おまけに私は成人式にも出席することが出来ないほどだった(成人式に関しては、実はどーでもいいのだが)。
屈辱的だったのは、大赤字の上に外部の会社の人の手を借りてまでやったのに、客先にゴメンナサイを私一人で行った時のことだ。
応対に出た客先の事務所のオバチャン(確か会社の役員か何か)に、
・・・分かりました。ところであなた、お歳はいくつなの?
・・・えっ!そんなに若いの?!アラアラ、それじゃあ仕方ないわね。
と、まるで遣いに来た坊やに接するが如くにあしらわれたことだ(その他、屈辱的な言辞で色々と言われたが省略)。
確かに、当時の私は世間知らずの「幼い坊や」であっただろう。
悔しくて悔しくて、情けなかった。
それから結局は1年半ほどは無理くりに会社は続けた。
相変わらず飛び込み営業をしながら、自分が取って来た仕事を自分ひとりでこなしたり、高校を卒業して無職だった小学校からの友人(まったくの素人)を教育しながら、前職の同僚を社員として迎えて手伝って貰っていたりした。
社長はと言えば、自分で本業である受託システム開発の仕事なんて取ってこない。代わりに事業資金の金策をしていたようだが、今となって当時を振り返ると、それも実に怪しい。
社員の頭数の割に仕事がないのに、それらの社員を食わすだけの営業方針も、資金繰りの計画も、もっと言えばコイツ(社長)は会計どころか簿記すら知らなかった。
思えばハコモノ(商品)の営業ではトップクラスの営業マンではあったようだが、モノがない受託開発システムを売り込むのは無理だった。余りに知識がないどころか、あり得ないほどパソコンすら知らなかったのだから。
ゆえに、社長がする商談には必ず私が随行しなければならない。自分でやらなければならない開発もあるし、小学校からの友人を教育せねばならないのに。
それでも「オレが社長だ」という人物だったので、これまた営業どころかバイトにすら役立たない人間を営業として採用したり、自分の彼女(この人は前職で事務員をしていたそうだが)を会計担当として採用し、とにかく「会社組織」としての頭数だけは揃え、その会社の社長たる自分に酔っているように見えた。
そもそも、この人と2人で始めた会社なのに、私の役職は主任でしかなかった。
確かに若い私は資本は出せなかったが、有限会社の資本金は私と連名でとある会社の社長にお借りしたものだ。
ところが、いつの間にか私は社長にとっての下僕に近かったし、当時の私は肉体的にも精神的にも限界だった。
ああ、経験豊かなオッサンSEがいればなぁ、と思った。
心底、自分の未熟さや経験の無さを痛感した。これほど経験者のアドバイスが欲しいと思ったことはなかった。
それは社長のバカさ加減もそうだが、小学校からの友人だった社員の存在もあった。
社会人としてもSE兼プログラマとしても、当然会社の役職としても私の方が上なのだが、コイツはそれを丸っきり無視し、私の指示すらもロクロク聞きはしないのだ。私とは小学校からの友人だから、ともかく私の指導や指示を甘く考えて軽く受け流していた。
だから致命的なミスをしでかす。
コイツのせいで、大阪の客先に納品したシステムのバーコードが読めない致命的なバグが客先で発覚し、現場では大騒ぎとなって前職の同僚だった社員に急きょ大阪に飛んで貰ったりもした。
私は色々と限界で、社長に辞職を申し渡した。
端折るとそれから私は20歳でフリーランスとなるのだが、会社は瓦解し、前職の同僚だった彼は優秀だったので私も知っている会社にスカウトされ、今はその会社の北京支社で頑張っているようだ。
彼とはその後、フリーランスとして何度か仕事をしたが、当時の彼はその会社では当時立ち上げた会社の私と同様の立場だったので、「ああ、経験豊かなオッサンSEがいてくれればなぁ」とこぼしていたし、当然ながら私も大いに賛同したものだ。
そんなある時、仕事で一緒にある客先(パン工場)のシステム開発の打ち合わせに同席したが、一次請け(代理店)がどうしても「RS-422でやりたい」と意見を曲げない。
いや、どう考えてもコレはLAN(当時は10BASE-Tが出たばかり)でやるしかない案件なのだが、「LANでは実績がない」の一点張りでこちらの意見は聞きやしない。
ああ、経験豊かなオッサンSEがいればなぁ、と思った(2回目)
若さゆえ、どうしても壁にぶつかる。
その時に同業者で年上の頼れる人が、どうしたって欲しくなるものだ。
・・・あれから幾星霜。
私もとうとうオッサンになり、未だにIT業界の隅でチョコチョコ仕事をして糊口をしのいでいるが、どうも、私のようなオッサンには需要がないようだなぁ。
IT業界(には限らないが)の若者諸君!
( 」゚Д゚)」 経験豊かなオッサンはここにいるぞー!
ぜひ、いいように使ってくれたまい(笑)