マスコットが生きているこの世界で、これからも生きていく
2015年7月27日にライブドアブログで「Jリーグマスコットのことばかり考えるブログ」を開設してから、ちょうど9年が経った。
Jリーグマスコットのことばかり考えるブログ(旧館) (livedoor.jp)
あっという間の9年。
ブログを始める前もカウントすると、なんだかんだで20年くらいはマスコットに関心を寄せ続けていることになる、そんな人生である。
自分の人生はマスコットによって救われたのだろうか、と聞かれると、間違いなく「救われた」と答えるだろう。
だが、具体的にどのマスコットに、どんなシチュエーションで救われた、という話は思い浮かばない。
いつも、色んなマスコットに救われてきたとしか言いようがない。
もっと言うと「マスコットがいるこの世界」そのものに救われてきたのかもしれない。
マスコットが生きている、動いている、人々を笑顔にしている、
そんな存在が日本中にいる、いることを許されている、求められいてる。
その素敵すぎる事実そのものが、自分もまたこの世界に生きていくうえでの大いなる希望である、そんなふうに思う。
「マスコットに会って元気をもらう」
とはよく言うものの、どのように元気をもらうのかはきっと人によって違う。
その優しい笑顔を見ただけで心が癒されたり、
おしゃべりすることで活気を取り戻したり、
人によっていろいろ。
僕の場合は、マスコットが頑張っているのを見て、
「マスコットがこんなに頑張っているのだから、自分も頑張らないと」
と、共にこの世界を生きる同志として、負けられないという気持ちが湧くタイプだ。
彼ら彼女らが全力で動き回る、その姿で叱咤激励を受けている気分になるのである。
ある種、マスコットを尊敬すべきプロフェッショナルと見なしているからこその感情かもしれない。
一生懸命なマスコットから溢れるパッションは、間違いなく僕の内部に伝播し、今もこうして全身を突き動かしている。
そしてなにより、
マスコットの手を握ったとき、ハグをしたとき、
そこに感じる確かな感触、確かな息遣い、確かな体温を感じ、
生きていることを実感するのだ。
マスコットのあなたも、そして僕も。
この世界で生きているのだと。
生きていくんだと。
マスコットとの交流で得られるこの「生の実感」が、
何度、抱えていた虚無感を吹き飛ばしてくれただろう。
僕がこうやって、人の形を保って、崩れ落ちずにここに立っているのは、
間違いなくマスコットの皆さんがいてくれたから。
その生き様で、その心意気で、励ましてくれたから。
マスコットと一緒に、これからも生きていきたい。
それが許されるのならば。
「Jリーグマスコットのことばかり考えるブログ」、
10年目もどうぞよろしくお願いします。