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ソ連国歌で学ぶロシア語文法・後編

前編はこちら


2番

1, 2行目:完了相・不完了相

Сквозь гро́зы сия́ло нам со́лнце свобо́ды,
Skvoz′ grózy sijálo nam sólnce svobódy,
~を貫いて 雷雨 輝いていた 我々に 太陽が 自由の
⇒雷雨を貫き自由の太陽が我々に輝きを放っていた
И Ле́нин вели́кий нам пу́ть озари́л:
I Lénin velíkij nam pút′ ozaríl:
そして レーニンは 偉大なる 我々に 道を 照らした
⇒そして偉大なるレーニンは我々に道を照らし出した

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{cccccc}
\underset{\text{前置詞(+対)}}{\underline{\text{Skvoz'}}} &
\underset{\text{雷雨(女)-複.対}}{\underline{\text{groz-y}}} &
\underset{\text{輝く-過去-中.単}}{\underline{\text{sija-l-o}}} &
\underset{\text{1複与}}{\underline{\text{nam}}} &
\underset{\text{太陽(中)-単.主}}{\underline{\text{solnc-e}}} &
\underset{\text{自由(女)-単.属}}{\underline{\text{svobod-y}}}.\\
\underset{\text{そして}}{\underline{\text{I}}} &
\underset{\text{レーニン(男)-単.主}}{\underline{\text{Lenin‑ϕ}}} &
\underset{\text{偉大な-男.単.主}}{\underline{\text{Velik‑ij}}} &
\underset{\text{1複与}}{\underline{\text{nam}}} &
\underset{\text{道(男)-単.対}}{\underline{\text{put'‑ϕ}}} &
\underset{\text{照らす-過去-男.単}}{\underline{\text{ozari‑l‑ϕ}}} &
\end{array}
$$

これまで動詞の現在形・過去形・命令形を見てきましたが、ひとつロシア語の動詞の重要な特徴を言いそびれていました。そう・アスペクトです(ロシア語学では伝統的にたいという)。この箇所はそのちょうど良い実例になるので、見てみましょう。

ロシア語の動詞は、完了体動詞あるいは不完了体動詞のいずれかに分類され、大抵の場合はペアを成しています。語彙的な意味は同じで、ただ動作の時間的局面をどう表現するかという点で完了体・不完了体の対が存在するのです。例えば「死ぬ」という動詞には umerét′ (完) — umirát′ (不完) (умере́ть — умира́ть) というペアが存在します。それぞれの意味の違いを具体例とともに見てみましょう。

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{c|l|l}
\text{} & \text{完了体} & \text{不完了体}\\
\hline
\text{非過去形} & \text{ja umrú} & \text{ja umiráju}\\
\text{(現在形)} & \text{私は死ぬ} & \text{私は死にそうだ}\\
\hline
\text{合成} & \text{↑ umrú は意味的に} & \text{ja búdu umirát'}\\
\text{未来形} & \text{未来を表す} & \text{私は死につつあるだろう}\\
\hline
\text{過去形} & \text{ja úmer} & \text{ja umirál}\\
\text{} & \text{私は死んだ} & \text{私は死にかけていた}\\
\hline
\text{不定形} & \text{nel'zjá umerét'} & \text{nel'zjá umirát'}\\
\text{} & \text{死ぬことはできない} & \text{死んではいけない}
\end{array}
$$

基本的に完了体は、動作が終局に達することを明示し、いっぽう不完了体は動作が完結したかどうかに注意を払いません。こういった基本的な意味の違いが、個別の意味に発展していっているのだと考えられています。

さて実際に歌詞に出てくる動詞 sijálo「輝いていた」と ozaríl「照らした」について考えてみましょう。和訳でなんとなく察しが付くかもしれませんが、sijálo は不完了体過去、ozaríl は完了体過去です。これの意味するところは、過去のある時点において自由の太陽が輝いているという状態があり、そこにレーニンが道を照らし浮かび上がらせるという結果を伴った動作が生じた、という一連の出来事の描写です。

もし ozaríl が不完了体 ozarjál になっていたとしたら、「自由の太陽が輝く中で、レーニンは道を照らしていた(今はもう照らしていないかもしれない)」という意味になるでしょう。これは国歌としては少々頼りない感じがします。

3, 4行目:人称代名詞

На пра́вое де́ло он по́днял наро́ды,
Na právoje délo on pódnjal naródy,
~へ 正義の 事 彼は 立ち上がらせた 諸民族を
⇒正義のために彼は人民を立ち上がらせた
На тру́д и на по́двиги на́с вдохнови́л!
Na trúd i na pódvigi nás vdoxnovíl!
~へ 労働 と ~へ 偉業 我々を 奮い立たせた
⇒労働そして偉業に向かって我々を奮い立たせた

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{ccccc}
\underset{\text{前置詞(+対)}}{\underline{\text{Na}}}\space
\underset{\text{正義の-中.単.対}}{\underline{\text{prav-oje}}} &
\underset{\text{事(中)-単.対}}{\underline{\text{del-o}}}\space
\underset{\text{3男単主}}{\underline{\text{on}}} &
\underset{\text{立ち上がらせる-過去-男.単}}{\underline{\text{podnja-l-ϕ}}} &
\underset{\text{人民(男)-複.対}}{\underline{\text{narod-y}}},\\
\underset{\text{前置詞(+対)}}{\underline{\text{Na}}}\space
\underset{\text{労働(男)-単.対}}{\underline{\text{trud}}} &
\underset{\text{と}}{\underline{\text{i}}}\space
\underset{\text{前置詞(+対)}}{\underline{\text{na}}}\space
\underset{\text{偉業(男)-複.対}}{\underline{\text{podvigi}}} &
\underset{\text{1複対}}{\underline{\text{nas}}} &
\underset{\text{奮い立たせる-過去-男.単}}{\underline{\text{vdoxnovi-l-ϕ}}}!
\end{array}
$$

だんだん書くことがなくなってきました。
ここでは人称代名詞について簡単に見てみましょう。

ロシア語の人称代名詞は基本的に英語やその他の印欧語と同じ仕組みになっています。英語と異なるのは、格変化がより複雑になるところでしょうか。

いま見ている歌詞には、3人称男性・単数・主格 on「彼が」と1人称複数・対格 nas「我々を」が出てきています。当然のことながら、on「彼」は前の行に出てきたレーニンのことを指しています。

命令形のところで2人称単数と2人称複数の違いを説明しましたが、具体的な代名詞で説明するならば、2人称単数 ty (ты)「君」と複数 vy (вы)「あなた, あなた方, 君たち」の違いになります。ロシア語には「互いに ty で呼び合う」という意味の týkat′sja (ты́каться) という動詞があります。

3番

1, 2行目:能動分詞

В побе́де бессме́ртных иде́й коммуни́зма
V pobéde bessmértnyx idéj kommunízma
~の中に 勝利 不滅の 思想 共産主義の
⇒不滅の共産主義思想の勝利の中に
Мы ви́дим гряду́щее на́шей страны́,
My vídim grjadúščeje nášej straný,
我々は 見る 前途を 我々の 国の
⇒我々は我らの国の前途を見出す

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{ccccc}
\underset{\text{前置詞(+前置格)}}{\underline{\text{V}}} &
\underset{\text{勝利(女)-単.前置格}}{\underline{\text{pobed-e}}} &
\underset{\text{不滅の-女.複.属}}{\underline{\text{bessmertn-yx}}} &
\underset{\text{思想(女)-複.属}}{\underline{\text{idej-ϕ}}} &
\underset{\text{共産主義(男)-単.属}}{\underline{\text{kommunizm-a}}}.\\
\underset{\text{1複主}}{\underline{\text{My}}} &
\underset{\text{見る-現在.1複主}}{\underline{\text{vid-im}}} &
\underset{\text{到来する-能動現在分詞-中.単.対}}{\underline{\text{grjad-ušč-eje}}} &
\underset{\text{我々の-女.単.属}}{\underline{\text{naš-ej}}} &
\underset{\text{国(女)-単.属}}{\underline{\text{stran-y}}}.
\end{array}
$$

さて次は能動現在分詞です。
grjadúščeje は不完了体動詞 grjastí (грясти́)「到来する」から作られていて、「到来している」という意味に成増。この動詞は雅語であり日常的には用いられません。

能動現在分詞も、前に出てきた受動過去分詞と同様に形容詞的に用いられます。ではこの場合に分詞が修飾している名詞は何なのでしょうか?

$$
\underset{\text{我々は見る}}{\underline{\text{My vidim}}}\enspace
\boxed{\underset{\text{到来している-中.単.対}}{\underline{\text{grjadušč-eje}}}}\enspace
\underset{\text{我々の-女.単.属}}{\underline{\text{naš-ej}}}\enspace
\underset{\text{国(女)-単.属}}{\underline{\text{stran-y}}}
$$

grjadúščeje は中性・単数・対格の形ですが、見たところ前後に単数対格の中性名詞はありません……

はい、ということでこの分詞は名詞的に使われています。中性形なので「到来しているもの」「到来しつつあるもの」すなわち「未来」という意味になります。もちろんこれも雅語です。「未来」の普通の言い方は búduščeje (бу́дущее) ですが、こちらも能動現在分詞に由来しています。

このようにロシア語では、分詞や形容詞をそのまま名詞のように扱うことがしばしばあります。中性形だと物、男性形だと人を表すことが多いです。
なかには、語尾は明らかに形容詞なのに形容詞としては用いられない単語もあります。

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{l}
\text{nasekómoje (насеко́мое)「昆虫」}\\
\text{☝形容詞 nasekómyj (насеко́мый)の中性形に見えるが}\\
\text{ 実際にはそのような形容詞はない。}
\end{array}
$$

3, 4行目:形容詞の短語尾形

И Кра́сному зна́мени сла́вной Отчи́зны
I Krásnomu známeni slávnoj Otčízny
そして 赤い 旗に 栄光ある 祖国の
⇒そして栄光ある祖国の赤旗に
Мы бу́дем всегда́ беззаве́тно верны́!
My búdem vsegdá bezzavétno verný!
我々は ~だろう 常に ひたむきに 忠義だ
⇒我々は絶えずひたむきに忠義であり続ける

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{ccccc}
\underset{\text{そして}}{\underline{\text{I}}} &
\underset{\text{赤い-中.単.与}}{\underline{\text{Krasn-omu}}} &
\underset{\text{旗(中)-単.与}}{\underline{\text{znamen-i}}} &
\underset{\text{栄光ある-女.単.属}}{\underline{\text{slavn-oj}}} &
\underset{\text{祖国(女)-単.属}}{\underline{\text{Otčizn-y}}}.\\
\underset{\text{1複主}}{\underline{\text{Мы}}} &
\underset{\text{だろう-1複主}}{\underline{\text{bud-em}}} &
\underset{\text{常に}}{\underline{\text{vsegda}}} &
\underset{\text{献身的に}}{\underline{\text{bezzavetno}}} &
\underset{\text{忠義な-複}}{\underline{\text{vern-y}}}.
\end{array}
$$

さて、いよいよ最後です。
ここでは形容詞の短語尾形について見ていきましょう。

ここまでの歌詞に出てきた「確固たる同盟」sojúz nerušímyj, 「偉大なるルーシ」Velíkaja Rús′, 「栄光ある祖国」slávnoj Otčízny などにおける形容詞は、いずれも修飾語の役割を果たしています。これは長語尾形と呼ばれており、修飾語としての用法(限定用法)のほかに述語としての用法(叙述用法)もあります。

形容詞が述語として用いられる際、長語尾形の他にもうひとつ、短語尾形というのがあります。歌詞の最後の verný がそれです。短語尾形はもっぱら述語としてのみ使われ、修飾語にはなりえません。

$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{c|l|l}
\text{} & \text{長語尾形} & \text{短語尾形}\\
\hline
\text{限定用法} & \text{vérnyje sobáki} & \text{(なし)}\\
\text{} & \text{忠実な犬たち} & \text{}\\
\hline
\text{叙述用法} & \text{mý vérnyje} & \text{mý verný}\\
\text{} & \text{我々は忠実だ} & \text{我々は忠実だ}
\end{array}
$$

叙述用法における長語尾形と短語尾形の使い分けについて、「こういう場合はこうだ」という明確なルールはありません。ただ上の例に関しては恐らく、長語尾形は「我々は忠実(な人間)だ」$${\text{“mý vérnyje (ljúdi)”}}$$ という恒常的な性質を表し、短語尾形は「我々は(とにかく今)忠実だ」という個別の状況における性質を表しているのだと考えられます(母語話者ではないので本当のところは分からない)。

歌詞において短語尾形 verný が使われている理由は、上手く説明できません。現在から未来にかけての時間の連続性が意識されて「そのすべての時点において我々は忠実である」ということが表現されているのかもしれません。たぶん詩の韻律も関係しているのだと思います(アクセントの位置が長語尾形 vérnyj と短語尾形 verný で異なる)。


文法の解説は以上です。
最後に、歌詞のなかに取り入れられている詩の技法を簡単に見てみたいと思います。

作詩法(韻律, リズム)

1~3番の歌詞を注意深く眺めると、実はどれも同じ型に沿って組み立てられていることが分かります。試しに1番と2番を比較してみましょう。強勢のある母音を ◌́、強勢のない母音を ◌̆ で示しています。

1番
júz nĕrŭšímy̆j rĕsblĭk svŏdny̆x
Splŏlă năkĭ Vĕkăjă Rús′.
Dă zdvstvŭjĕt zdănny̆j lĕj nădŏv
ny̆j mŏčĭj Sŏtskĭj Sŏjúz!
2番
Skvŏz′ grózy̆ sĭlŏ năm lncĕ svŏdy̆,
Ĭ nĭn vĕkĭj năm pút ŏzăríl:
právŏjĕ lŏ ŏn dnjăl nădy̆,
trúd ĭ nă dvĭgĭ nás vdŏxnŏvíl!

何か見えたでしょうか?
音節を強勢の有無によって整理していくと、以下のようになります。
〔凡例〕/ : 強勢あり, : 強勢なし,: 区切り

1, 2, 3番
∪ / ∪|∪ / ∪|∪ / ∪|∪ / ∪
∪ / ∪|∪ / ∪|∪ / ∪|∪ /
∪ / ∪|∪ / ∪|∪ / ∪|∪ / ∪
∪ / ∪|∪ / ∪|∪ / ∪|∪ /
コーラス
/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/ ∪ ∪
/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/
/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/ ∪ ∪
/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/ ∪ ∪|/

簡単に言うと、コーラス前の部分は「タタータ」という3つの音節のまとまりを基本単位としていて、コーラス部分は「タータタ」という音節のまとまりを基本単位としています。そして1行につき音節のまとまりが4つ含まれています。

  • コーラス前
    「タタータ・タタータ・タタータ・タタータ」
    「タタータ・タタータ・タタータ・タター」

  • コーラス
    「タータタ・タータタ・タータタ・タータタ」
    「タータタ・タータタ・タータタ・ター」

「タタータ」や「タータタ」のような音節のまとまりは、韻脚フット foot などと呼ばれています。西洋では伝統的に、古代ギリシアの韻文を模倣して様々な種類の韻脚を組み合わせたリズミカルな詩が作られてきました。

例えば「タタータ」と「タータタ」にはそれぞれアンピブラキュス(弱強弱格)、ダクテュロス(強弱弱格)という名前が付けられています。ソ連国歌はこれらを用いて1行4脚の弱強弱四歩格あるいは強弱弱四歩格で構成されています。楽譜を見てみると、特にコーラス前のリズムは詩の韻律に沿った形になっていることがわかります(参考)。

ちなみに偶数番目の行の最後の1脚が「タター」や「ター」になっていますが、行の最後の韻脚では強勢のあとの弱い音節を韻律の観点で勘定に入れずに、しばしば切り捨てることがあるため、本質的には「タタータ」や「タータタ」と同じと見ることができます。

この記事では1977年版の歌詞を扱いましたが、実は初代の歌詞も現在のロシア連邦国歌の歌詞も、韻律の観点では全く同じ構造になっています。気になる方はぜひ確認してみてください。


これで以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

外部リンク

参考文献

  • Unbegaun, B. O. (1956). Russian Versification. Oxford : Clarendon Press.