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Project LOVE&ROCKとの出逢い

こんにちは。

『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。

前回は、3年間の車上生活について書かせていただきました。

今回は、その時期の音楽活動や、現在の『Project LOVE&ROCK』メンバーとの出逢いについても、触れて行きたいと思います。

・・・

1.改名

『Daizo with INFINITE INVADER』としては、2007年の12月のワンマンでアルバムを出し、その後は名義を『the T.D.S』と改名して活動を続けておりました。

改名の理由は、心境やアウトプットする音が変わり行く中、『侵略』というライブスタンスに違和感が生じて来たこと。

気持ち的にリセットしたい時期且つ、改めてソロプロジェクトを牽引して行く立場として、自分を鍛え直したいこと。

様々な理由から、

the Trive of Daizo's Sound Player's』

略して『the T.D.S』と改名し活動をして行きました。

2.ギタリスト『隼』との出逢い

新たにサポートメンバーとして依頼をしたのは、『INFINITE INVADER』でドラムを叩いてくれていたメンバー(the T.D.Sのドラムとしてもしばらく携わっていただきました)を通じて、お願いしたメンバーで固めました。

この時、僕は28歳。

他メンバーは全員17歳。
(みんな音楽専門学校の生徒さんでした)

1人おっさんおるやん!!

...ってならない様に、若いエネルギーいただきつつ励んでおりました(笑)

また、この『the T.D.S』の一発目のライブは、20曲位のワンマンライブからのスタートとしていた為、当時はライブ経験値の浅かったサポートメンバーからしたら、かなり無理難題を押し付けられていた様に思います。

そして、この時に出逢ったギタリストが、現『Project LOVE&ROCK』のギターでもある『隼』(シュン)との出逢いでした。

※写真一番右

この頃から、一曲一曲に対する音楽に対しての姿勢と歌心あるギター。

そして、ライブの度に成長して行く『吸収スピード』は、凄まじいものがありました。

また、当時は『SAVANNA』というバンドの、ギタリスト&リーダーとして活動していました。

初ライブはあれこれ注文いた記憶もありますが、初ライブを経て、早い段階から期待以上のものが返って来るので、フレーズの構築やギタープレイは全て任せる様になり、以降ギターは完全に丸投げです(笑)

センスと努力の塊プレイヤーで、様々な現場でギター弾いているので、ご興味ある方は隼のTwitterをご覧下さい!

話が少し戻りますが、『INFINITE INVADER』を終幕させる時、サポートベーシストとして参加してくれていたメンバーから、バンドを一緒にやらないか?というお誘いをいただきました。
しかし、じっくり検討してイメージしたものの、やはり自分はバンドではなく、ソロ意識の方が強かった為、この道を選択して『the T.D.S』が始まりました。
当時、本気で誘ってくれた彼に描いた曲が『またね』という曲でした。
ご興味ある方は、下記よりご試聴ください。

『またね』歌詞 / 音源

3.ベーシスト『友樹』との出逢い

彼とは上京後にライブイベントで知り合い、元々交流のあったバンドのギタリスト&リーダーでした。
(GROUND ZERO、BLACK JACK、Gravity ZEROというバンドで活動していました)

共同で行うイベントなども増え、次第に交流が増えて行きました。

個人的には、お母さんの様な存在です(笑)

さて、『なぜギタリストなのにベーシスト?』の件ですが、このプロジェクトでベースをお願いした理由は、『the T.D.S』のベーシストの脱退により(確かライブが迫っていた時期)、急遽ベーシストを探す必要がありました。

ベーシストの知り合いをイメージしている中、

『あ、友樹いるじゃん』

となぜか思ったんですね。
(当時ベースプレイを見たことは無い)

とりあえず電話をかけたら、快くOKしてくれました!
(強制感は否めない)

ただ、当時はヘルニアで腰を痛め、ステージに立つことが困難かも...とのことだったので『座ったままのプレイでも良ければ』という条件で、引き受けていただきました。
(本番では無理矢理立たせた記憶がw)

以降、ステージ上で彼に無茶振りをするのが僕の趣味となりました←

元々ベーシストとして活動していた過去もあり(当時は知りませんでした)、その後、他のバンドでもベースを弾く機会は増えて行った様です。

現在は、作曲家の仕事を中心に、ギタリストとしてステージに立つこともたくさんありますが、『Project LOVE&ROCK』では、これからもベースで携わっていただきます←

真面目な話、彼は音楽的にも人間的にも安心感が高い為、バンドの立ち位置としても『ベース』で存在してくれると心強く、隼と同じく任せっきりの丸投げプレイヤーです。

ただ、当時なぜ『友樹がベース!』と思ったのかは、根拠もなくて謎(笑)

ご興味ある方は、友樹のTwitterをご覧ください。

『the T.D.S』の後期は、新たに『Lily of the valley』というバンドでリーダーをしていたベーシストに加入していただき、友樹はギターのポジションで携わってもらっていた時期もありました。

4.ドラマー『Ryoju』との出逢い

Ryoju君とは『the T.D.S』の活動中に出逢いました。

彼が元々組んでいた『North Garden』というユニットの主催イベントへの参加がきっかけでした。

その後、僕の主催イベントにも出演していただき~という流れで、当時はその程度のお付き合いでした。

当時、そのユニットではドラマー&リーダーとして活動しており、ステージ上は『ドラム&ベースボーカル』という斬新な構成で(当時は珍しかった)、初見で目を奪われたのを覚えています。

また『高学歴バンドマン』という、周りにはあまりいないタイプで、活動の展開の仕方もちょっと他と違う匂いを感じていたこともあり、輩育ちの僕としては(笑)、出逢った当時はまさかこんなに長い付き合いになるとは思ってもみませんでした。

活動を重ねて行く中で、再び『Daizo』としての活動に戻った時、サポートドラムとしてお願いしたのですが(お試しリハーサルは2人でスタジオに入り、ドラム&アコギヴォーカルで行いました)、妙にしっくり来た記憶があります。

あとは『ドラム楽しそうに叩く人』という印象が強かったです(笑)

彼とのヒストリーは、改めて書いて行きたいと思いますが『Project LOVE&ROCK』の裏のボスとでも言いましょうか(笑)

常に僕がやりたいことを理解、整理、具現化、最大化してくれるディレクターの様な存在でもあり、彼にもまた絶大な信頼を置いいます。

※Ryoju君のTwitterは、鍵アカウントとなっておりますので、リンクは控えさせていただきます。

5.最後に

今回は、ほとんど『Project LOVE&ROCK』の話になってしまいましたが、車上生活が本格化していた時期、『the T.D.S』での活動も色々ありました。

バンドで本格的にストリートライブをやり始めたのもこの頃で、横の繋がりも一気に増えて行った時期です。

『the T.D.S』として発表した音源は、当時作った『桜色に染まれ』という曲をシングルでリリースしました。
(友樹お気に入り曲)

カップリングには、友樹が作曲、僕が作詞という曲もあり、新たな試みをしていた時期でもありました。

メンバーと合宿して曲創ったり鍋したり~と、振り返ると楽しい思い出たくさんです(笑)

『桜色に染まれ』は、のちに発表したピアノ弾き語りver.の音源が試聴できます。
ご興味ある方は、下記よりご試聴ください。

『桜色に染まれ』歌詞 / 音源

さて、今回は『the T.D.S』の時代のお話と、『Project LOVE&ROCK』のメンバーとの出逢いをテーマに書いてみました。

次回は、更にアコギサウンドに特化して行った時期のお話や、所持金10,000円で大阪&名古屋ツアー!などの話を書いてみたいと思います!


















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