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ストリートで生きた日々
こんにちは。
『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。
今回は、前回記事の頃の音楽活動の話と、その後について書きたいと思います。
・・・
1.店長時期の音楽活動
RED-Zone店長をしていたこの時期も、毎月の様に主催イベントを行い、ライブハウス、ストリート、メディア活動は精力的に行っていました。
企業さんからのオファーで、商品広告のモデルのお仕事もやらせていただきました。
ネットテレビやラジオの出演の他、劇場で行われた芸人さんのイベントなどにも出演させていただきました。
活動に繋がることは、何でもやっていた気がします。
(写真はFacebookにアップしていた物を使用しているのですが、どうやらFacebookの仕様で画質落ちしている様です。画質悪くてすみません)
音源や映像作品も何作かリリース。
また、Facebookアプリ開発なども行っていました。
最近、Facebookページは更新していませんが、ライブ写真や活動を通じて出逢った方々との写真をアップしています。
さて、次は音楽活動のみで生計を立てていた頃の話を書きたいと思います。
2.メインはライブ収入
基本的に、ライブハウスでのライブの日以外は、ストリートライブか創作活動をしていました。
また、レコーディングのお仕事、ライブサポートのお仕事なども不定期にいただいてましたが、メインはチケットやCDの売り上げで生計を立てていました。
時間軸がさかのぼりますが、ストリートライブでは『真冬の10日間連続ストリート』なんていう、ただのドM企画もやってました。
(ちゃんと目的はありましたが 笑)
ストリートライブは、ありがたいことに『売り上げが全く無い日』はありませんでしたが、切羽詰まり過ぎた状態で奏でる音楽は、本来の目的を見失いがちです。
人前では『音楽』を『音が苦』にしちゃいかん!!
当時は、自分の中でせめぎあっていました(笑)
また、ストリートだと露骨に分かるのですが、通行人の方にCDが売れる瞬間は、やはり曲を純粋に表現しきれた時。
感覚の話ですが、空気も音も凛とする瞬間があり、空間を支配した時(言葉が適切でないかもしれませんが)、自分のストリートライブを外から観ている様な感覚になることがあります。
少しでも邪念があると、ここに辿り着けないことが分かり、常に『心のバランス』みたいなものを取る様に心がけていました。
あと、単純に冬のストリートは寒いけど音の響きが好きです(笑)
当時、Ryoju君と作った合作。
歌詞が闘ってます。
3.敗北を受け入れる
音楽活動のみで生きられた時間は、情けないことに約7ヶ月という短期間でした。
自己紹介でも書きましたが、終盤はストリートライブに出る為の交通費すらなく、交番で交通費を借りて、ストリートライブの売り上げで返金!なんてこともありました。
(ギリギリ過ぎるだろ...)
交番でお金を借りる
↓
ストリートライブで警察のお世話になる
↓
それでも何とかライブで収入を得て交番に返しに行く
↓
もはや訳が分からない(笑)
ストリートは毎回止められること前提で行っていましたが、僕があまりにやるもんだから、一度連行されまして
「次やったら逮捕もあるからね」
とまで言わせてしまったこともありました。
当時は、新宿駅前と池袋駅前をメインに行っていたのですが、以前は賑わっていた代々木公園などは規制が厳しくなり、ストリートライブをできる場所はどんどん減っていました。
(元々やっちゃダメなんですけどね)
目標にも中々近付けない。
音を楽しむ余裕も日に日に無くなっている。
『あ、これ以上は崩壊する。このやり方に固執するのは辞めよう』
頭の糸が切れる前に、自分の実力の無さ、弱さ、全て受け入れて出直そう。
そう思いました。
こうして、音楽活動のみでの生活から退き、一度負けを認めて出直すことを決断しました。
チャレンジしたからこそ分かったこと。
そして、やりきった上での敗北感。
後悔はありません。
これまでいただいたファンレターや、頂き物は全て保管しています。
僕にとっては、元気をもらえる『言葉の宝』とでも言いましょうか。
これまで制作したCDやDVDなど。
ここに無い物や、他のサポート活動なども合わせると、どれだけ作ったか分かりません。
さて、今回は音楽活動のみで生計を立てていた頃の話でした。
次回は、新たに加わる『音楽講師活動』について書いてみたいと思います。
皆さんの毎日が、心豊かなものになります様に。
余談ですが、大塚RED-Zoneの跡地に新しいライブハウスができた時(まだ改装工事中でしたが)、 RED-Zoneのスタッフも数名働いていたので、挨拶がてら訪れました。
その前日は、柏ThumbUPというライブハウスでのライブがあり、ライブ終了後にそこの店長でもある、GEORGEさんと呑んでました。
(見た目はイカツイですが(笑)、色々と気にかけてくれる気さくなお兄ちゃん的存在&大先輩です)
RED-Zoneの閉店が決まった時も、わざわざ会いに来てくれたり、音楽活動のみで生計を立てていた時も、色々と誘っていただきました。
(ライブハウスの他、柏のイオンモールライブなども、GEORGEさんの紹介でやらせていただきました)
その様な経緯もあり、呑みの席でかけてくれた言葉もあって、安心感と疲労感でかなり酔っていました。
更に、後輩の方々と一緒に2軒目のキャバクラに連れて行ってくれまして、
「今日は、だいちゃんが主役だから!」
と、一番良い席を用意していただいたにも関わらず、即寝るという失礼なやつ←
翌朝、目覚めたら大塚RED-Zoneの跡地にいました。(GEORGEさんが運転手の方を手配してくれて、僕がここに行きたいと行ったらしく、乗せて来ていただいた様です←重ね重ね失礼なやつ)
半分酔っていたのもあるんでしょうね...。
RED-Zone跡地のライブハウスに入り、一通り挨拶を済ませた後、エントランスで1人酔いを覚ましていたのですが、壁紙の色などは変わっていたものの、RED-Zoneで奮闘していた日々が走馬灯の様に過り、号泣してしまいました。
(大人になって初めての大号泣)
お酒は恐いですね←(違う)
GEORGEさん。色々な意味で男前な人です。