ホラーの話
ガスが止まった。ガスと電気の契約を打ち切られたのだ。1年半ほど支払いが滞っていたそうで、もはやその習慣が廃れつつ今ではこの比喩を読んで頷くのもある程度の年齢以上の人かあるいはよほど筆マメな人であろうが、在りし日の年賀状のごとく分厚く輪ゴムで束ねられた請求書がポストに鎮座ましましておられやがった。某電力会社に電話をして聞けば「コロナウィルスの影響で一時的に請求を停止していた、このところコロナが落ち着いてきたので請求を再開した」とのことだった。果たして選挙前となって胡麻でも菜種でも悲鳴をあげる様相で検査数を絞りに絞る現状のコロナウィルスが落ち着いてきているのか、矮小にして寡聞が過ぎる僕には知る由もない。当然ひと月どころか半年の煙草代をはるかに超える金額を一括で払えるわけもなく直近の請求書だけ握りしめコンビニに駆け込んで払ったものの、焼石に水どころかマイケル・ベイ映画にクシャミをしたようなもので見事に契約を打ち切られてしまった。
当然読者同志諸君がこの文章を読んでいることからお分かりの通り、電気はまだ止まっていない。ここ数日は電子レンジと炊飯窯で沸かしたお湯で風呂を使うという野生的なのか文明的なのかイマイチよくわからない生活を送っている。それでもなおポケットの小銭をハタいてビールは買い込むのだから人間には優先順位というものが大切だ。大学時代から一貫して青息吐息、綱渡りの人生ではあるがそれにしてもここまでヒリヒリとした生存の恐怖を感じるのはいつ以来だろうか。
さて、そんなわけで秋の夜長に恐怖の話をしよう。なにせ月も輝く神無月、鬼が島根に集まる季節。欧州版お盆にあやかるわけでもないが、せっかくだし洗濯するのは秋晴れサワヤカな日中に譲ることにして薄曇り月の下ホラーでも語ろうじゃないか。関係ないが普段からハロウィンな恰好をしてハロウィンな映画ばかり観ている僕はハロウィンには何をすればいいんだろうか。七三分けにスーツでも着こもうかと思ったがモヒカンの僕にそんな髪の毛はなかった。
半ば強迫観念にカラれるように僕は夜な夜なホラー映画を観ている。メジャーなホラー映画ももちろん観るがニッチ(と言うとハードコアな方々から石が飛んできそうなので大昔にスキー用に買ったウシャンカを被ってこの文章を書いている)なものに偏りがちである。特に最近某サブスクサイトにまき散らされる東南アジアや中東産のホラーは実に興味深い。当然まずは生物的、根源的な肉体的感覚、皮膚感覚がある。具体的には未知への恐怖、それから人間の悪意に対する恐怖だ。人間は悲しいことに飽くまで理性的な生物であるので、自分が理解しえないことには恐怖を持って対処する。暗闇に対する恐れなどがこれにあたるだろう。また、生存を続ける上での「敵」を退けてきた以上、生物、無生物を問わず周囲の「悪意」を察知する能力も育っている。もちろんフィクションの世界においては、悪意を向けてくるのは物理的世界に存在する人間や事物とは限らない。例えばわかりやすいものでは自然という驚異/脅威を超自然的なアレゴリーで回収しようとするホラー映画などは枚挙に暇がない。
そこに文化的な背景を持った恐怖がまぶされる。僕のような不信心なヤカラにはイマイチ偉そうなことは言えないが、イスラム圏のホラーは実に新鮮だ。広義ではいわゆる「悪魔モノ」にあたるのだろうが、悪魔とは言わずジンが登場する。ジンとはイスラム教においては人間とは違う次元に暮らす(しかし時々我々と交わる)知的生命体で、堕天使たる悪魔とは完全に異なるモノでありジンのなかにもイスラム教徒と異教徒がいる。当たり前と言えばその通りだが大抵悪さをするのはアッラーの教えに帰依していない異教徒のジンたちで、個人的には垂涎尽きぬアヤシゲな儀式によって人間の悪意に突き動かされていることが多い。
地域的、文化的な差だけではなく、時間的な差異からホラー映画を読み解くのも興味深い体験だ。映画の歴史を紐解けばそこには必ずホラー(ないしホラー表現のある)映画があり、当時の社会情勢や集合的な恐怖対象を知ることができるのは僕が偉そうに言うまでもなくよく知られた話だろう。近年においても政治的、社会的な背景からくる不安をホラーというアレゴリーに落とし込んだ作品は作られ続けている。もはやホラー映画とジャンルに落とし込むのも難しいこのところの大傑作『ヘレデタリー』や『ミッドサマー』などは家族やコミュニティという社会集団の崩壊と、おぞましくも美しいその復活を映しているし、上記のジンが登場するイランを舞台とした『アンダー・ザ・シャドウ』は今なお収束の糸口が見えない中東情勢の一端とそれに翻弄する母子の恐怖があくまでフィクショナルなアレゴリーと戦争やイスラム革命後の国家体制という現実的な状況を両手に使いこなして描かれている。母子と言えば、父/夫が不在の家庭においてトラウマと立ち向かう母子というモチーフが『ババドゥック』で極めて繊細に提示された。
そして各国様々な発展を遂げている映画文法的な違いが後味となる。トルコやエジプトの映画などはとにかく恐怖演出がクドい。ハリウッドないし日本の映画文法に慣れ親しんだ僕としてはちょいと胃もたれしてしまうくらいなものだ。もちろん逆もまたしかりで、日本のホラー映画を海外の連中に見せたのに「淡泊、静謐が過ぎる」「恐ろしい怪物が出ないなんてなんともつまらない」と言われてしまうことも一度ではない。まあ僕がみせた映画が大して怖いものではなかったのかもしれないし、なおややこしいことにそもそもホラーというジャンルが極めて多岐にわたるものである以上、一言にホラーと言ってもはたしてどのようなホラー映画を語っているのかはわかりづらいということがあるので読者同志諸君、これは!という作品があればぜひご教授願いたい。
もちろんホラー映画を観る上で自らにマゾ的な性質があることを否定することはできない。なんにせよホラーとは廃れることのないジャンルであり、実際のところホラーとなればどんなものでもウッカリ手を伸ばしてしまう僕のような人間がいる以上ハロウィンに限ったことなく常に粗製濫造尽きぬものである。ツマラナイ映画であることを前提として観れば失望することもなく、またどうしようもないなあと苦笑いしつつ実績解除感を得ることができる。こんなものに時間を費やしてしまった!俺はなんと馬鹿なのだ!と口では言いながらその実顔にはイイ笑顔が浮かんでいるのは僕だけではないはずだ。期待をせずに観てみると10本のうち1本は、いや50本に1本は、意外な掘り出しモノがあることも少なくない、と言うのは言い過ぎだった、実際のところほとんどはゴミみたいな映画ばかりだ。しかしなにせアヤシイ儀式が出てくればもう満足する安い安いお客さんが僕なのである。いわゆるヌキドコロというやつで、数秒のアヤシイ儀式のために人生の数時間をドブに放り込んでこその文化的人間というものだろう。
なにせホラーはなんとも難しい技術に拠って立つものである。突然の大きな音で文字通り驚かせてくるジャンプスケアは別としても、ホラーとコメディ(そしてホラーの持つタナトゥスの対極としてのエロス)は良しにしろ悪しきにしろ極めて近しいものだ。どちらも我らが持つ脳ミソの認知能力に過度な負担をかけ、オーバーロードさせようとするものであり、それが脅威と認知されればホラーに、あるいは意味をなさないものと認知されればコメディとなる。ジョークを説明されても笑えないというのもこのあたりに根拠があるのだが、論旨がずれるのでここでは深入りしないとか言ってみたが論旨もクソもないこんな文章で偉そうなことをいうものではないなと反省しておりますごめんなさいごめんなさい。
とまあ難しい話をこねくり回すフリをしてみたが、結局のところ僕がホラーを観ずにいられないのには自らのトラウマと向き合おうとする無意識の働きがあるのであろうと自覚している。モノゴコロついたころから僕は極端な怖がりであった。かすかな記憶の中で、僕は幼稚園の年長がふざけて被っていたフランケンシュタインのマスクが恐ろしく直視に耐えず母親の背中に隠れていたことを覚えている。同級生を含めた周囲の園児が皆普通に遊んでいたことを考えるとそのマスクもきっと大したものではなく、今で言うヒャッキンのオモチャ程度のものだったのだろう。あらゆるレベルの肝試しも当時の僕には恐ろしいもので、例え地域のおばちゃんたちが作った可愛らしいお化けの絵でさえも遠目に見ただけで号泣し5分もあればクリアできるルートを歩くことすらできなかった。当時の同い年の友人たちですら呆れるくらいの怖がりであったことと思う。
恐らく幼少期特有の豊かな想像力が必要以上に暴走していたのだろう。1を聞いて10を思い描く性格は今に至っても変わっていない。0から1を創造するのははたして不可能であっても、誰かが投げかけた1を10にするのは得意なのだ。願わくばこの性質が飯を食うまでに結びついてくれればいいのだが新自由主義の世の中に生きるナマケモノたる僕にはいい機会はめぐってこないものだ。そんなわけで僕は1円の得にもならない悪夢にうなされる幼少期をすごし、1円の得にもならないこんな文章を書き散らす日々をおくっている。
1つの転換点となったのが『学校の怪談』という映画シリーズだ。最低限文化的な僕の両親は夏となれば僕を映画館に連れ出してくれていた。本命の映画がはたしてドラゴンボールだったかゴジラかガメラかは今となっては思い出せないが、劇場で流れた『学校の怪談』の予告編の間中僕は目を閉じて耳を塞いでいたのは覚えている。なにせホラー映画である。学校の図書室でやめておけばいいのに薄目で読んだ学校の怪談をまさか映像にして突きつけてこようというのだ。こんなものまともに観れるはずがない。どんなに情報を遮断しようとしても映画館の素晴らしい音響をもって座席まで震わせる恐ろしい声は今ではキューバ産葉巻のような太さになってしまった僕のかつての細い指を突き抜けて耳まで届き、僕を毎晩のように悪夢の世界にいざなった。
長い長い小学生時代も半ばに差し掛かったある夏のお泊り会の夜。友達の家で僕たちは親のいない非日常に興奮し、夜通し映画を観ようとしていた。僕の『スターウォーズ』を観ようという案は読者同志諸君であれば怒りをこらえることに苦労するであろうが却下され、例の恐ろしい映画、『学校の怪談』を観ることになってしまった。なにせ小学生男子の抱えるどこぞの元大統領なみに肥大化したプライドである。例え目の前で口裂け女が笑っていても怖がっているなんて口が裂けても言えない。はるかかなたの銀河系の親子喧嘩を観られないことに落胆しているフリをしながらシブシブ僕はブラウン管に映るVHSの粗い画面に細く細く開けた目を向けた。
落胆、という言葉が正しいのかはわからない。画面に映るのは一言で言えば子供だましの茶番であった。いや、別にツマラナイ映画だとクサしているわけではない。子供だましの茶番を子供だましの茶番として作ることの難しさを知らぬ僕ではない。ただ、僕がはるかに恐ろしいものを勝手に妄想の中で膨らませていたのだということをまざまざと見せつけられたのだ。僕が恐ろしいものと勝手に想像していた『学校の怪談』は、(決して悪い意味ではなく)正しくまっとうにプロが作った子供だましの茶番であった。
十中八九この体験から僕は、想像ではどこまでも恐ろしく膨らむホラー映画も実際に観てしまえばきっと大したことはなく、そのことを確認すべく日がなホラー映画を観ているのだと思う。ちょうど仕事あがりの靴下のにおいを臭いと知りつつ嗅いでしまうように。
ホラーというと少し限定的になりすぎてしまうキライがあるかもしれないが、いわゆる「野蛮趣味」も幼少期から好むところだったということは散々書いている。以前『魔宮の伝説』やスズキ・コージの絵画に多大な影響を受けたことを書いた。さらに地獄絵図や妖怪絵巻は(水木しげる程度のものではあったが)枕元に常備し、預けられた祖母の家で地獄の鬼の絵を見せびらかし、「同じように三つ目になりたい」と祖母にねだって困らせていた。この傾向が上記のトラウマへの対処と合流した結果、僕は年がら年中トリック・オア・トリートな人間になってしまったのかもしれない。
一般論を言えば、ホラーとは「シミュレーション&トレーニング」であると言えるだろう。大袈裟なことを言えば、人類が現在に至るまでなんとか絶滅せずに生き延びてきたのも生物がどこかの段階で獲得した恐怖心という武器が少なからず寄与しているはずだ。とかく我らが暮らすこの世界は厳しく、人生は不条理に満ちている。未知の脅威に警戒し、必要とあれば襲いかかる災厄から逃げ出すための装置。それが動物の持つ恐怖心だ。ありがたいことに文明の力によって僕たちは日々より「安心で安全」な生をおくれるようになってきている。恐怖心という武器を発揮しなくても生き延びられるようになった結果、かつて野生の生を生きていた頃ほどは恐怖を感じない人間も生まれてきているようだ。ホラー映画なんて怖くもなんともないや、お化けも信じないし高いところも平気の平左、勇気満点恐れ知らず!といった具合に。しかしそれは人類の動物としての退化に他ならない。本当の勇気とは、恐怖を知り、恐怖を抱えた上で最善の方法を持って生き残ろうとすることだろう。そのためには世界の厳しさ、人生の不条理を安全地帯たる客席からポップコーンをホオバり身をチジコマせながら覗き見て、自らの恐怖心が錆びつかないように鍛えておかなければならない。
とグダグダ理屈をこねくり回してみたが、結局のところあらゆる意味でのエンターテインメントというのは喜び、悲しみ、恋愛や絶望を始めとした人間の持つ様々な感情を擬似体験する装置である。そうとなれば恐怖もリッパな人間の感情。恐怖を喚起させるホラーもまたリッパなエンターテインメントであり、だからこそ人類の歴史からホラーが消えることもないのだ。
最後にちょっとオカルトな話をして筆を置こう。我が家には、というか僕には妙なヤツがツイている。以前スズキ・コージの話を書いた際、マグカップとケンカしたと話していたアイツだ。名前などは特にないのでトムチットトットでもセムシの小人でもなんとでも呼んでいいのだが、とりあえず僕はヤツのことをそのままヤツと呼んでいる。
どうやらヤツは僕が慌てたり困ったりするのを見るのが好きなようで小学生の頃から何かとイタズラを仕掛けてくる。簡単に言うと自分が意識したのと逆のことがよく起きていたのである。具体的には、これだけは忘れ物にできないぞとしっかりランドセルに詰めたものが翌日学校で見つからず、逆にこれは学校に持って行ってはいけないものだと遠く離したものが翌日ランドセルから発見される。夜中に勝手に電気がついたり、真冬に窓が全開になっていたりしたのも一度ではない。もちろん自分は随分とイイカゲンな人間なのだという自覚は今でもしっかり内面化しているつもりだが、どうやらこういったタグイのシクジリは僕にツイている妙なヤツの仕業なのだと確信したのは大学生になってからのある日のことだ。おそらくちょうど今くらい、肌寒くなり始めた秋の夕方のことだったと思う。僕は例の喫茶店BUNCAで勉強でもしようかと出かける支度をしていた。靴を履いた時点で休憩中にでも読もうと思っていた本を部屋に忘れたことを思い出し、僕はヨツンバイで部屋まで戻って電気のスイッチを押した。ツルベ落としの秋の日がすでに沈んだ薄暗い部屋に電灯が輝くことはなかった。さては電球が切れたかな、と思いながらもすでに10ホールブーツの靴紐を固く締め上げていた僕は電球のチェックは後回しにして試しに何度かオンオフを繰り返した後電気のスイッチを切り、携帯のライトを使って本を探した。前日の夜に読んでいたはずの本はベッドの枕元にも机にもなく、僕はウッスラ汗をかきながら膝立ちで部屋中を探し回った。数分の格闘の後、諦めて他の適当な本を見繕った僕は再びヨツンバイになり部屋を出ようとした。
探していた本は部屋の入り口の床に落ちていた。先ほどヨツンバイで部屋に入った時にはそこにはなかったはずだ。果たして僕の目はフシアナに銀紙でも貼り付けたものだったのかしらと苦笑いしながらその本に手を触れた瞬間、真っ暗だった部屋に強烈な光がさした。電気がついたのだ。先ほど切ったはずのスイッチはいつの間にかオンになっている。不思議と恐怖は感じなかった。あったのは「やられたぜ!」という悔しさと、なぜかほんの少しの嬉しさであった。
東京に出てきてからもヤツのイタズラは続いている。大事な探し物が必要な時に限って見つからず、家中ひっくり返した後にトイレなどのアリエナイ場所から発見されることもシバシバだ。今もヤツはきっと僕がこの文章を書くのを後ろから眺めているに違いない。次はどんなイタズラを仕掛けてくるのか、願わくばこの文章を無事にアップするまではオトナしくしていてもらいたいものである。
終わり
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