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相撲ガチの人が「笑いにおける相撲」について思ってること
人よりも相撲に関わってきたと思います
小学生から大学生まで選手として日々精進して、引退後もイベントやコーチ、最近は配信者として相撲に携わっています
そんな僕が大喜利というお笑いに出会い、ほぼ同時に「笑いにおける相撲」に取り組むことになります
相撲のお題に対して面白おかしくボケなければいけない、または他の方がボケる姿を見て、「思うところがない」と言えば嘘になります
あ、びびらせるつもりはないです!!
たまに
「大残渣さんの前で相撲をネタにするのがちょっと怖い」
という声をいただくのですが、結論、全然やっちゃっていいです
ひとつだけ前提としてお伝えしたいことがあります
それは「これは大残渣の考えであって他の相撲に携わる人がそう思ってるわけではない」ということです
すごく当たり前のことだと思ったかもしれませんが、この後に書く相撲の特性上、相撲に対する捉え方はものすごく広いので、本当いろんな方がいます
なので特に頭においていただきたいと思ってます
そもそも相撲って何なんだ?
日本という国に生まれた人のほぼ全員が小さい頃に相撲という存在を何となく知ることになります
ただ改めて「相撲って何なんだ?」と問われると一言で説明できるでしょうか?
例えば
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この人に相撲を一言で説明するには何と言えばいいでしょうか
僕はこう答えます
It's Sports and Ritual and Entertainment.
「スポーツであり儀式(神事)であり興行である」
よくよく考えてみると相撲の要素は全てこの3つに収まります
例えば「ちゃんこ」を例に挙げます
「ちゃんこ」とは力士が食べる食べ物の総称です
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「ちゃんこ」の語源は諸説ありますが、「ちゃん(親)」と「こ(子)」が、つまり親方と弟子が同じ場所でご飯を食べるという意味があります
これはより良い指導者とプレイヤーの関係性を作るとも言い換えられます
またちゃんこ全般は効率的に体を大きくするように作られます
もちろんですが、相撲は体が大きい方が"基本的に"有利に働きます(これも話したら長くなる)
というところでちゃんこは強くなるためのものなのでスポーツの側面が強いです
次に横綱について例として挙げます
詳細の説明は割愛しますがこれは儀式と興行です
協会の公式説明の文章の中にもしっかり「儀式」「興行」の文字が書かれてます
また全力士が目指すべきチャンピオンという見方をするとスポーツの意味合いもでてきます
このように相撲の事柄はこの3つの切り口で説明ができます
逆に言うと切り口が3つ"も"あるのです
相撲の懐が深すぎる
相撲好きな方に相撲が好きなところを聞くと、それはもう幅広い答えが返ってきます
「取組の迫力がすごい、面白い」
「力士の出立ちがカッコいい」
「たまに見せるギャップが可愛い」
それぞれがスポーツ、儀式、興行のそれぞれの側面、またそれが複合して様々な人の心を掴んでいます
切り口が3つもあるからこそ相撲は受けが広いのです
しかも歴史が数百年もあるときたらそれは縦にも広いです
この数百年も続いてるというのが受けの広さの証拠にもなってきます
物事が長く続くためには何が必要でしょうか?
伝統を守り抜く力、それもそうなのですが、その時代時代に合わせてうまく変化していくというのも大事だと思います
一例として、ここ最近の女性の相撲ファンが増えている気がするのですが、これが時代に合わせて変化する相撲を物語ってます
流れとしては、Youtubeで食事を豪快に食べる動画を見ていると二子山部屋のYoutubeがオススメで出てくるらしく、そこから二子山部屋ファン、さらに相撲ファンになる、という流れです
(このルートを取った方が僕の周りに複数人います)
これは「いっぱい食べるのを見るのが好き」という層をYoutubeという新しい媒体をうまく使って相撲に引き込んだ例として今現在進行中なのですが、相撲が時代に合わせて変化した一例だと思っています
このように時代によって変化対応していけるからこそ相撲は長い間愛され、その歴史を持っているんだと思ってますし、それは相撲の引き出しの多さ、懐の深さがそうさせているとも思っています
相撲とお笑い
ここまで懐が深いと何でも受け入れてしまいそうですよね
ここで話が戻ってきます
じゃあ相撲にお笑いは受け入れてもらえるのか
答えは…
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すでに受け入れられてます
だってEntertainment(興行)って言ってるし!
この画像は相撲の巡業(地方の興行)等で行われる初切(しょっきり)という催し物の画像です
初切は相撲のルールを面白おかしく観客に説明するもので、こんなお茶目な姿も見せることもあります
すでに相撲という枠組みの中にお笑いの要素が含まれてるのです
つまり相撲を面白おかしく見せることを相撲が許容しています
だとしたら、お笑いの場で相撲を面白おかしくすることが許容されないかと考えると、僕はそうではないと思います
お笑いに相撲を使ってくれてありがとう
お笑い、各大喜利というものは皆さんに面白がってもらうものだと思ってます
その"皆さん"は時代、もっというのそのタイミングタイミングで違う価値観を持っていて、笑うツボも多種多様です
その中で普遍的な題材として相撲を使いやすいのはその懐の深さと伝統があってだと思ってます
またそうやってお笑いの場に相撲を立たせてくれてることによって、相撲が風化することなく時代に対応するということでもあると思ってます
僕が大喜利の相撲のお題や回答と出会う時、沸き立つ感情は怒りとかではなく感謝です
このおかげで相撲が過去のものにならなくて済むのですから
大残渣と相撲と大喜利
僕は大喜利で相撲を扱われることを感謝しています
それもう心の底からありがとうです
なので僕の前でも相撲のお題が出たら思いっきりやって大ウケ取ってもらいたいです!
大残渣さんいるからこれはやめとこうかなぁとかいらないんで!
僕がいるからこそ面白いヤツ見せてください
僕はそれを受け入れる準備はできてます
まぁ、でも、もちろん、相撲お題で僕が一番おもろいですけどね!
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嘘です、実はすごく苦手です
思い浮かぶ要素が多すぎてどれがウケるかわからなくなります…
そんな大残渣は放っておいて、イチ経験者として、みんな相撲お題でじゃんじゃん楽しんでもらいたいと思ってます!
さいごに
念のために、ですが、これはあくまで大残渣の場合、です
僕自身も現役時代、多感な時にこの考えだったかと言われるとそうではありません
みんながみんな相撲を笑いにしていいと考えてるわけではありません
そんなファンの方も多く見てきました
その辺は塩梅は難しいのですが…大喜利の方ならできると思ってます
だって空気読んでなんぼでしょ!お笑いって!
またこれは相撲に限る話じゃなくて、他の専門家がそれを題材にしたお笑いについてどう思うかというのはそれぞれだと思ってます
なので自分自身が空気を読む側にもなるということ
最後に相撲の豆知識をお伝えして終わりにしようと思います
大相撲の取組がスタートする合図って何でしょう?
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「のこった」
不正解です
「のこった」はお互いに相撲がスタートして、両者の体が土俵に残っている、つまりまだ決着してないという合図です
じゃあ「はっけよい」?
不正解です
「はっけよい」は「発気揚々」が変化したもので力士を鼓舞させる言葉です
正解は
無い
大相撲にはスタートの合図がありません
お互いの力士がお互いの空気読んでいい感じの時にスタートします
これを相撲用語では「呼吸が合う」と言います
相撲も空気を読みながらやること
僕も大喜利と、見てるみなさんと、呼吸を合わせてやっていきたいです
おわり