夢の話10⑩Ⅹ

夢の話も10回目になる。

今日の夢の話は、私の夢の話ではない。

母の夢の話。


最近は、私は夢を見なくなった。

正確には、夢を見ていると思うが、起きた瞬間は覚えているが、すぐに忘れてしまう。

まとめた睡眠をとっていないからかもしれない。

最近は、体が疲れやすく、お昼休みにもよく昼寝をする。

午後4時ごろに、業務終了前に、集中力が切れかかった際に、強烈な睡魔が襲ってくる。

職場から家にかえる車内、たかだか15分ぐらいだが、睡魔がくる。

家でプロボノ活動をしている前後にうたた寝をする。

夕食後、テレビを見ながら、ソファーに座っていると微睡む。

でも、ベットに移動すると眠れないので、テレビやスマホをみてしまう。

ベットで寝るのは、午前3時から午前5時の2時間ぐらい。

そして、今夜も子猫の鳴き声がしているので、夜は眠れそうにない。。。

近所の子猫は、お隣の庭が居心地が良いのか、其方に住み着いている。

我が家で保護しようと、色々と捕獲を試みたが、逃げ惑っていたので、縁がなかったのかなぁ、と感じている。

と、話が睡眠の話になってしまったので、夢の話に戻す。


母の夢の話。

母は、予知夢をみる。

ちなみに、妻も予知夢的なものをみる。

もしかしたら、女性はそのような力を持っているのかもしれない。

さらにちなみに、私の夢は逆になるパターンが多い(苦笑)


さて、母の夢の話。

最近、母からよく電話がある。

1か月に1回ぐらいの電話が、週に1回になり、最近は毎日のようにくる。

私が出ない際には、妻に伝言を残す。

最近、母は私が幼かったころの夢をよく見るそうだ。

主に、小学校の頃の夢らしい。

特に、私が小学校6年生の卒業間際に罹ったB型肝炎のこと。

1か月の入院を経て、無事に退院し、中学に復学した。

しかし、小学校の卒業式も中学校の入学式も、病院の個室で過ごした。


私は、体の弱い子供時代だった。

特に、喘息がひどく、季節の変わり目や梅雨時期には、救急病院にお世話になっていた。

その時の記憶が、母には蘇って夢にでてくるらしい。

母親は子供を心配するのは、理解できる。

私も、息子が2人いるので、息子たちの健康やこれからの人生について心配する。

きっと母は、私がB型肝炎と診断された際、医師に言われた一言を想い出したのだろう。

「あと、3日遅かったら死んでいますよ」

私も、その医師の一言を覚えている。


ただ不思議と、私自身は、全然心配ではなかった。

その1年前には、自ら命を絶とうと思うぐらい、追い詰められていたから。


私の人生は、常に死と隣り合わせにあるように思える。

もちろん、生きている全ての人は、死と隣り合わせである。


母が言うには、私は、出産時、仮死状態で生まれたそうだ。

逆子で、母と私をつなぐ臍の緒が、首に絡まわって、窒息死寸前で出産したそうだ。

そして、1年後、両親が出稼ぎ労働者として大阪に滞在し、そこから沖縄に引き上げる際、船で沖縄に戻ってきた。

その際にも、船で脱水状態になり、那覇に到着した際には、死ぬ寸前で、足首から点滴の注射を太腿の奥まで、カテーテルのように通して、なんとか生き延びたそうである。

小学校4年の時には、妹の誕生日の日(あ、来週が、妹の誕生日だ)に、交通事故に遭遇し、死にかけた。

私が道路に飛び出し、気づくのが遅れた車にひかれて、10メートルぐらい飛ばされ、頭部から出血するような怪我であった。

その時、初めて、走馬灯をみた。

ある意味、走馬灯も夢である。


小学校5年のころ、学校でのいじめや家庭環境での荒れた状況で、自暴自棄になり、自ら命を絶つことを考えた。

このことについては、いつか時間がある時にでも、自分の中でも整理したい。。。


そして、小学校6年生の時のB型肝炎ウイルスでの入院。

その他、大学生になるまで、様々な死と向き合うことになるが、それは、また別の機会に整理する。。。


時を戻そう。

私の中での、母の記憶。

一番最初の記憶は、母の胎内にいるときの記憶である。


なぜ、それが分かるかというと、小学校低学年のころに、学校の母の日の課題で、「お母さんとの想い出を絵にしてください」というものがあった。

私の中で、最も深い記憶を手繰り寄せると、一枚の大きな窓になった。

窓の外には、真っ白な雪が降っている。

それを母が眺めている。

そのような絵だった。


私は、備瀬で生まれて、備瀬で育ったと思っていたので、なぜ、そのような絵を描いたのか、自分自身でも不思議だった。

母に聞くと、私が生まれたのは大阪の病院で、その日(1月)は雪が降っていた、ということであった。

その絵は、母が入院していた病院の窓に似ている、ということであった。

ということは、胎内にいた私は臍の緒を通して、母の目、もしくは母の記憶から、そのイメージが焼き付いたのかもしれない、と感じたのである。

夢のような不思議な話だが、そのような胎児の記憶はあるそうである。

実際に、私の息子たちに小さいころに、「お母さんのおなかはどうだった」と聞いてみると、何か音がした、とか、光が見えた、とかの話をしてくれたのである。

※日本胎内記憶教育協会があることにも、驚きだが。

胎内記憶の論文もでている。


ただ、記憶も記録も曖昧なところがあることも事実である。

※エリザベス・ロフタス: 記憶が語るフィクション


さて、母の夢の話。

母は、私が小学校6年のB型肝炎発症時の状況と同じような夢を見るそうである。

そのため、毎日、必死に、その頃の診断書のコピーを探しているそうである。

私に尋ねてもわからないので、「とりあえず、見つかったら教えて。今、B型肝炎の国への賠償金のニュースもでているし、弁護士事務所がCMもバンバンしているから、役立つかもしれないしね」ぐらいの感覚で話した。


しかし、母の夢の話は、なんだか現実味を帯びている。

最近の私は、倦怠感がひどく、慢性的な睡眠不足のような感覚である。

実際に、平均睡眠時間3~4時間で20年間ぐらい過ごしていたので、何とも思っていなかったのだが、最近は、平均で2時間しか眠れない日が、3か月以上続いている。

貧血気味で立ち眩みも激しいし、まだ、黄疸はでていないが、なんだか死を意識してしまう。

先日の病院での診断では、脂肪肝と尿酸値の高い値で、7月22日まで、アルコール類の飲酒禁止と肉類の禁止制限を守って生活をしているが、やはり体調は良くなっていないような気がする。

感覚的には、小学校6年生の頃の疲れている毎日のような気がするが、それも遠い記憶である。

母の夢は、もしかしたら、その記憶をよみがえらせて、時空を超えた何らかの警鐘ではないかと、感じている。


母の夢の話。


私自身一番の親不孝なことは、両親よりも子供が早く死を迎えることだと思っていた。

ただ、その考えは、最近は、違っている。

命の長さではなく、どのように充実した命の時間を過ごしたか、という感覚である。

なので、今週末は、ゆっくり母や父、義理の父、もちろん、私の愛する妻や息子たちと話したいと思う。

充実した時間を過ごすため。

命を継承するため。

午前3時を過ぎたので、無理やりにでもベットに横になって眠りに就くとする。

今日は、どんな夢がみられるだろうか。












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